美優
4月らしい暖かな気候の中、午前中の授業はあっという間に過ぎていく。真面目に授業を受けるのは数名の生徒だけなので、ほとんどの生徒たちは眠って過ごす。当たり前で、いつもと変わらぬ日常の一コマ。
美優もその一コマと同じように、いつも通り真面目に授業を受けているつもりだったが、今日は全く集中出来なかった。原因は一つ。朝の出来事が頭から離れなかったからだ。
寝坊をして、1人で転倒。それでエリに迷惑を掛けてしまった。美優はそんな間抜けな自分が大嫌いだった。休み時間が来る度に謝り続けているのだが、エリにはずっと無視されていた。そのことも、美優を落ち込ませている原因の一つになっていた。
「みぃ。行くよぉ」
様々な臭いが充満し、あまり居心地のよくない昼休みの教室で、美優が弁当箱を開こうとしていると、廊下の窓から靖子がそう叫んだ。
「行くってどこに?」
美優が聞くと、靖子は指を上に向け、同時に唇を、「うえ」と動かす。声は出ていなかったが、その動作だけで美優にも、靖子が何を言っているのか理解することが出来た。
急いで弁当をカバンに仕舞い込んで教室を出ると、靖子はすでにかなり先を歩いて行ってしまっていた。その距離を確認した美優は、遅れないように小走りで走り出す。残念ながら、靖子との距離は縮まることはなかったのだが。足を動かす度に膝がヒリヒリと痛んだが、靖子との距離が縮まらないことも、膝が痛むことも、少しも気にならないくらい、美優の気分は高揚していた。
階段を3階分上がるとそこには、昼間なのに薄暗い、畳2畳くらいの空間があり、そのすぐ先に、屋上へ繋がる扉があった。扉の前には知香。その横にエリがいた。知香はうっすらとホコリが床に膝をつき、いつものように開錠作業に入っていた。
屋上は立ち入り禁止であり、扉にも鍵が掛かっているのだが、その鍵は信じられないくらい脆く、針金を突っ込んでグリグリ回すと、簡単に開いてしまうのだった。床の状態を見ればわかるように、ここまで上がってくる人間もほとんどいない為、バレることもなく、屋上で悠々と昼の麗らかな陽気を楽しむことが出来るのだった。
美優が来てものの1分ほどで鍵は開き、4人は光が降り注ぐ屋上に勢いよく飛び出す。
美優が屋上に来てまずすることは、大きく深呼吸をすることだった。薄暗く、空気もあまりよくない空間から、眩しいくらいに明るく、それなりに空気もいい場所に出れば、それが東京の空気だとしても、おいしく感じてしまうのだった。
美優が東京の薄汚い空気を肺いっぱいに取り込み、3人の方を見ると、3人はそんな美優の姿に目もくれず、思い思いに昼食を食べ始めていた。
靖子が話す、彼氏の変な癖や、趣味の話を、知香はクリームのたっぷり詰まったパンを頬張りながら聞いている。2人ともとても楽しそうだったが、エリはあまり笑っていなかった。美優は、エリにもう一度謝りたかったが、知香と靖子がいる手前それも出来ず、仕方なく黙々と弁当を食べる。先ほどまでの高揚した気分は、とうに消え去っていた。
太陽の光をいっぱいに浴びて、明るさが溢れているはずの屋上で、美優の心には少しだけ、陰が差していた。