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Dear Friend  作者: 橘 零
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エリ


「もしもし」

エリは、知香からの電話に無意識に近いうちに出ていた。携帯を開き、通話ボタンを押す自分の姿がどこか遠くに見える気がしていた。

「もっしぃ。エリ?」

久しぶりに聞く知香の声は、普段とほとんど変わらないように感じた。唯一変わったことといえば、電波の向こう側にいる知香の周辺が静かのことくらいだ。知香や靖子と話す時は、必ずと言っていいほど周辺が騒がしい。クラブやゲームセンターにいることが多いからだ。だが、今日の知香の周辺からは何の雑音も聞こえてこなかった。

「どうしたの?」

エリは、知香がなぜ電話をしてきたのか恐る恐る尋ねる。すると、知香は電話の向こうで大きな声で笑い始めた。隣に誰かいるようで、その誰かにエリの言葉を伝えて、一緒に笑い出す。なぜ知香が笑うのかがわからず、エリは不安になる。知香は横にいると思われる誰かとひとしきり笑い合った後、思い出したようにエリに言う。

「なんでそんな声小っちゃいのさ?エリらしくなくて笑える…プッ」

そこまで言うと、知香は再び笑い出す。エリは状況があまり飲み込めていなかったが、知香が事件のことで電話をしてきたわけじゃないことがわかり、安堵した。

「あたしはいつも声小っちゃいし」

「まぁ、それもそうだね」

笑いながら話す知香の声を聞いていると、エリも少しだけ元気になったような気がして、普段通りに話せるようになっていた。

「で、何の用?」

「え?ああ。用はないけど最近連絡ないからちょっと心配しただけさぁ」

「心配?」

知香の口から心配などという単語が出てくると思っていなかったエリは、思わず聞き返してしまう。

「なにさ。うちが心配するのおかしい?」

それをどう取ったのか、知香は一段と大きな声で怒りを表現してきた。だが、その声は全く怒りを含んでおらず、文字通り表現しただけであった。

「おかしいよ。なんか今日の知香はおかしい」

エリは、いつも以上にテンションが高くなり始めた知香を、少し奇妙に感じていた。エリには、知香が無理にテンションを上げて話しているように感じたのだ。

「そう?いつも通りだって。そんなことより、エリはどうなのさ?」

「あたし?あたしは…」

知香の問いに言葉が詰まる。どの答えが正解なのか、エリにはその答えを導き出すことが出来なかった。

「元気?」

エリが言葉に詰まり一瞬黙ると、すぐに知香が問い直してきた。まるで、問いであり答えでもあるかのような、強い問いだった。

「…うん。元気だよ」

なんと答えればいいのかわからなかったエリは、知香の問いにそのまま答えた。

「そっか。元気だって。…んじゃいい」

その答えを聞いた知香は、安心したように隣の誰かにも伝える。エリは、知香の隣にいるのが誰なのか、半ばわかってはいたが敢えて聞いてみる。

「誰と一緒なの?」

「誰とって、靖子に決まってんじゃん」

やはり靖子の名前が出てきた。いつも通り2人で遊びながら、いつも通りエリに電話してきた。そんな感じだった。美優の事件などなかったかのような自然さに、エリは戸惑い始めていた。

「てか今ひま?」

なぜ知香たちが美優のことを聞いてこないのか不思議に思っていると、知香はこれまた普段通りにエリを遊びに誘ってくる。

「今?今は…ちょっと出てる」

「そっかぁ」

「あ、でも男じゃないから。…お姉ちゃんみたいな人の所にいるだけ」

エリがそう言うと、電話の向こうからまた笑い声が聞こえてきた。

「何?」

おかしなことを言っただろうか。エリはそう思いながら聞く。

「ハハハ。だって…別に聞いてないし。エリ…やっぱりおかしい」

知香は笑いの合間に何とかそこまで言う。そして、再び爆笑し出した。エリは知香にそう言われて、自分が男の所にいることを慌てて否定していたことに気付く。その情報は確かに知香たちには全く必要のない情報であり、普段のエリならば決して言うことのない情報でもあった。

「てか、エリにお姉ちゃんなんかいたっけ?」

ひとしきり笑うと、知香はエリの言った、お姉ちゃんという言葉を疑問に思ったらしく、質問してくる。エリは麗子のことをお姉ちゃんと自ら言ったことに今さらながら困惑し、だが、ここでまた慌てて否定するのもおかしい為、少し考えてから答える。

「まぁ、お姉ちゃんみたいな人だよ。みたいな、ね」

「ふ~ん。よくわかんないけど、まぁいいや。とりあえずエリが元気でうちらも元気だし」

知香はエリの答えに納得しているのかしていないのか、というか、エリにお姉ちゃんがいるかどうかの質問すらどうでもよかったんじゃないかと思えるような生返事をした。その知香の反応に、エリは少しだけムッとする。だが、心の別の場所で、普段だったらイライラしてしょうがない知香の反応や笑い声に、今日の自分が安心感のようなものを感じていることに気付き、驚いていた。最初は、知香が美優のことを聞いてこないことに対する安心感だと思っていたが、本当は、知香の適当な相槌があまりにも普段通りで、そんな知香と会話をしていること自体に安心感を感じていたのだ。そして、そんな自分に思わず笑い出しそうになってしまう。知香の言う通り、今日のエリはエリらしくなかった。

「知香って、あたしのことどう思ってる?」

エリは、その安心感に後押しされるように、自然と聞いていた。

「はぁ?なんて?」

エリの質問に、知香は間の抜けた返事をする。その反応は当然の反応ではあったが、その反応によって、エリは自分がした質問があまりに突飛で、要領を得ない質問であったことに気付く。そして、気付いてしまうと、もう一度同じ質問が出来なくなってしまった。エリが何も言えなくなってしまった為に、嫌な沈黙が流れる。

「人を見下してバカにしてる嫌な女」

沈黙に耐えかねたエリが、自分のした質問を撤回しようと口を開きかけた時、突然知香がそんなことを言った。その言葉は、エリがした質問の答えだとは気付かないくらい強烈な言葉だった。だが、徐々に言葉の意味を理解すると、エリの心を再び暗い闇が覆い始める。先ほどまで感じていたはずの安心感など、一気に消え去ってしまう。

知香や靖子が自分のことを好きじゃないことくらいわかっていた。わかっていたのだ。だから確認しなかったのだ。わざわざ確認した所で何の意味があるのか。結局、傷付いただけだった。

「聞こえた?」

エリがずっと黙っているからか、知香は大声で呼び掛けてくる。ほんの少し前まで安心感を感じていたその声も、今はひどく遠くに感じられ、エリは返事をするのもやっとという感じだった。だが、知香はそんなエリの変化を気にもせず、相変わらずの大声で話し始めた。その声はどこか楽しんでいるようでもあり、それがまたエリには苦痛であった。

「ちょっとキツかったぁ?けど、エリが聞くから答えたんだぞぉ?」

「わかってるよ。もういいから」

大声で話す知香にエリは嫌気が差し、電話を切ろうと指を動かす。そんなエリの行動を察知したのか、知香は慌てたように、「ちょっと待った!冗談冗談。ホントのこと話すよ」と言った。その言葉を聞いても、エリは全く信じる気にはならなかったが、麗子が言っていた“相手の想いを聞くこと”という言葉を思い出し、とりあえず最後まで聞いてみようと、動かしていた指を止める。

「何話してくれるの?」

エリは強い口調で知香に尋ねる。その数分後に、自分が泣き出してしまうことなど、この時には知る由もなかった。


「じゃあ話すよ?全部本音だかんね?」

知香は隣の靖子にも、「話すかんね」と言ってから、本当はエリのことをどう思っているのかを話し出した。その声は、先ほどまでとは打って変わって、張り詰めた緊張感を含んでいた。

「エリと初めて会ったのは1年の時だったじゃん?そん時はあんまし関わんないようにしようって思ってた。なんでかって言うと、まぁ…エリの色んな噂聞いてたからって感じ」

最後は消え入るような声だったが、エリにはしっかりと聞こえていた。エリに関する噂がどんな噂かは知っていた。その中には事実もあったし、根も葉もない嘘もあった。なので、知香から噂の内容を聞く必要はなかったのだが、知香の口から全てを聞きたいと思ったエリは、知香に言う。

「どんな噂?」

知香は少しの間の後、口を開いた。

「…それは色々だよ。…売春してるとか、目が合ったら殺られるとか」

「他には?」

「まだ聞くの?」

エリに直接噂の内容を言うのが気まずいのだろう。知香の口は次第に重くなる。

「ホントのこと言うんでしょ?」

エリはそんな知香の口をこじ開けようと、強い口調で言葉をぶつけた。

「…わかった。言うよ」

知香は溜め息を吐き出し、再び話し始めた。

「他は、ヤクザと付き合ってる。薬中。何とか中の誰それを殺した。あの時の通り魔はエリだった。とかかな。他にも小っちゃい噂はあるけどもういいでしょ?まぁ、バカバカしい噂ばっかだけど、エリのこと初めて見た時は全部マジなんじゃないかと思ったよ。そんくらいのオーラあったもん。ハハ」

知香はそこまで言って笑った。だが、その笑いは重く、長くは続かなかった。やはり知香や靖子は、最初から自分のことが嫌いだった。いや、嫌いどころか、関わりたくないとすら思っていた。これではさっきと全く同じ結論ではないか。そう思った時、エリの中にふと疑問が湧き上がった。

「じゃあなんで話し掛けてきたの?」

エリはその疑問をそのまま知香にぶつける。知香はその質問が来るとわかっていたかのようにすぐに答えた。その答えは、エリが全く予想していなかった答えだった。

「みぃだよ」

「みぃ?」

「みぃが言いに来たんだ。私とお友達になって、エリちゃんともお友達になってほしい。って」

知香は、美優のモノマネのつもりなのか、高音でゆっくりとした喋り方で、美優の言ったと思われるセリフを言った。だが、エリの耳にはその言葉がうまく入ってこなかった。

あの時、知香と靖子が話し掛けてきた時、エリには2人が何かの目的の為に、それこそエリのバックにいると噂されていたヤクザや、色々なヤバい連中を敵に回さないように、エリを味方に付けようと愛想を振り撒いて寄ってきたのかと思っていた。いや、美優が言いに来たと聞いて今でも、結局はそういう計算をして話し掛けてきたんだと思った。そう思ったエリは、もう一つ質問を重ねる。

「なんでそんなことくらいで話し掛けようと思ったの?」

「なんでって、あんなに頼まれちゃしょうがないじゃん」

「じゃあ、あたしのバック目当てじゃないの?」

「バック?バックってカバン?」

知香はエリの質問に、アホ丸出しの答えを返してきた。だが、その答えが、知香たちの目的がそんなものではないことを表していた。2人は、純粋な美優の頼みを断ることが出来ず、エリに話し掛けてきたのだった。ただそれだけ。汚い計算などではなく、頼まれたから話し掛けたのだ。エリは呆然としてしまい、言葉を返すことが出来ず、一言、「そう」と呟くのがやっとだった。

「ねぇ!」

知香はエリの反応があまりのも弱かったのが気になったのか、大声で呼び掛け、さらに問い掛ける。

「ねぇ!もしか、これで終わりだと思ってる?」

その問い掛けにエリは我に返るが、知香が次に話す内容も、信じられない思いで聞くことになるのだった。

「これで終わっちゃったらなんでうちらが今もエリと仲良くしてるのかわかんなくね?」

「なんで?」

エリは知香に問われた質問をそのまま聞き返した。確かに、知香たちがなぜ今も自分のそばに寄ってくるのかはわからないが、そんなことはもうどうでもいい気がしてきていたのだ。

「最初はちょっと喋って、後は適当に距離取っときゃいいかって考えてたけど、エリと喋ってみたら意外と楽しかったんだよね」

「楽しかった?」

「そう。あんなにヤバいって言われてたのに冗談も言うし、うちらがタバコ見つかりそうになった時も、カンニングがバレそうになった時も、エリが庇ってくれたしね」

「それは、あたしもとばっちり喰らいそうだったからでしょ」

「そうかなぁ?だってさぁ、エリは停学なんて常連でしょ?なのになんでわざわざ庇うのさ?うちは違うと思うよ」

確かに停学なんて大したことではないが、庇ったつもりもなかった。ただ、大人に突っ掛かりたかった。言いなりになりたくなかっただけなのだ。だが、知香はエリが庇ってくれたと断言した。それは間違いだろうか。タバコやカンニングがバレたのが知香や靖子じゃなかったらどうだっただろうか。その時、エリの脳裏に1つの場面が甦った。

目の前に、大きな絆創膏を膝に貼り、泣きそうな顔で謝る美優がいた。いつだったか、美優がタバコを持っているのがバレた時だ。もちろん美優が自分で吸う為に持っているわけもなく、エリが持たせていたタバコだったが、あの時エリはわざわざ教室から出て行って美優を庇った。あれが美優や知香たちじゃなかったら庇っただろうか。庇わなかった。間違いなく無視していただろう。エリの目の前で、泣きそうな顔をしていた美優の顔がみるみる笑顔に変わる。その笑顔は、優しい光に包まれていた。

「…だよ」

その美優の笑顔は、知香の声で消え去る。エリはその時になってようやく、自分の見ていた映像が幻だったことに気が付いた。

「なんて?」

全く知香の声を聞いていなかったエリは、知香が何と言ったのかを問い直す。すると知香は、恥ずかしそうに口の中でモゴモゴと何か言っていたが、意を決したようにもう一度答える。

「だからぁ…、エリはうちらの大切な友達だよって言ったの!1回目で聞き取れよぅ!」

心配。元気。楽しい。そして、大切な友達。そんな言葉が自分に向けて発せられることなどないと思っていた。1人で生きてきたし、これからもそうだと思っていた。知香や靖子のことなんて、寝泊まりするときに必要なだけの、都合のいいバカ女たちとして扱っていた。そのつもりだった。しかし、結局エリは何もわかっていなかった。2人のことも、自分の本当の気持ちさえも。

「ねぇ、聞こえた?」

エリが黙っていたので、また聞こえなかったのかと心配したのか、知香はさっきから何度も確認してきていた。エリも何か言わなければならないと頭ではわかっていたのだが、何一つ言葉が浮かんでこず、ただ「うん」と言うことしか出来なかった。そして、再び沈黙が流れ始めると、電話の向こうで知香と靖子が話し合う声が聞こえ、しばらくすると電話を持ち替えるような音が聞こえてきた。

「もしもし。靖子だよ」

聞こえてきた声は紛れもなく靖子の声だったが、その声は普段の靖子からは想像も出来ないくらい真剣な色を帯びており、あぁ、靖子も何か大切なことを言いたいんだ。と、容易に推測することの出来る声だった。

「知香がぶっちゃけたからうちもぶっちゃけるよ。いい?」

「…うん」

エリは先ほどと同じように、それしか言うことが出来なかった。だが、靖子はそんなことなど気にしていないのだろう。構わず話し始める。

「エリに初めて会った時は、マジで人を見下してバカにしてる嫌な女って思ったよ。これは事実。けどあの時のエリに直接そんなこと言える奴いないよね。うちも結局の所ビビッてたから心ん中でそう思ってちょっと優越感に浸ってるって感じだった。けどねエリ。今はエリに直接言えるよ。エリは友達想いなくせに、自分は誰も必要としてないって思い込んで勘違いしてるバカな女の子だよ。エリはうちらが……みぃが必要だよ。そんなこともわかんないエリはホントにバカ。…バカだよ」

靖子はそこまで言うと大きな音を出して鼻を啜った。横で、知香がすすり泣く声も聞こえた。エリには、2人がなぜ泣くのかが不思議でしょうがなかった。何が悲しいのかわからなかった。そのエリの瞳からは、涙が溢れていた。1粒、2粒と溢れ出し、見る見るうちに涙の川を作った。3人は何の言葉も出ないまま大声で泣き続ける。頬を伝って流れ落ちるその涙は、エリの中に溜まり続けていた黒い塊を、汚れ続けた心を、優しく洗い流していった。


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