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Dear Friend  作者: 橘 零
29/45

エリ


病室の前に立ち、身動きが取れなくなってしまってからどのくらいの時間が過ぎただろうか。エリは何度も手を扉の前に持っていっては、その手を引っ込めるという動作を繰り返していた。美優に会わずに帰ろうと思っても、次は足が動かない。動くのは手だけだった。

このままでは埒が明かないと意を決し、大きく深呼吸をしてから逃げ出しそうな手を必死に抑え、扉をノックする。

「はい」

扉の向こうから小さな返事が聞こえ、エリの心臓は早鐘を打ち、その速度はみるみる内に速くなる。思い切って扉を開くと、その扉の向こうには美優の白い顔があった。

美優は勢いよく開いた扉に驚いたような表情を見せたが、扉を開いたのがエリだとわかり、その表情は途端に輝く。

「エリちゃん!来てくれたんだ!」

そう言って笑顔で手を振る美優の頭には、包帯がグルグル巻きにされていた。それを見たエリは、さらに罪悪感を感じ、病室に入ることが出来なくなってしまった。そんなエリの姿を見て、美優は不思議そうに首を傾げる。

「エリちゃん?入って?」

「…うん」

美優に言われ、エリは重い足を無理矢理動かしてベッドの横まで歩いた。今動いているのが自分の足だとは思えないほど、エリは緊張していた。

ベッドに座る美優は、顔色こそ良くないが、元気そうであった。そして、エリが何かを喋ろうと口を開く前に、美優は嬉しそうに喋り出す。

「久しぶりだね。って言っても私はずっと寝てたんだけど。エリちゃんは元気だった?私、1週間も寝てたんだって。ビックリしちゃった。起きたらお母さんがワァワァ泣き出すし、何が悲しいのか全然わからなかったよぉ」

嬉しそうに喋ってはいるが、そんな美優の姿はまるで、エリに何も聞かれたくなくて喋りつづけているように見えた。エリは、美優が喋り続けるのを静かに聞き続けた。

「お母さんって泣いたり笑ったり忙しい人なんだ。私が起きた時は泣きまくってたのに、ちょっとしたら次はずっと笑ってるの。だから私も釣られて泣いたり笑ったりで疲れちゃった」

中々途切れない美優の声が一瞬途切れた時、エリは美優に全てを告白しようと口を開く。

「みぃ。聞いて?」

だが、美優から返ってきた返事は、今まで聞いたことのないような大きな声だった。

「聞かない!」

美優の強い口調にエリは驚き、美優の顔を見る。口を真一文字に結んだその顔は、強い決心のようなものが滲み出していた。

「…何で事故だなんて言ったの?」

それでもエリは聞いていた。

「だって事故なんだもん。私が足を滑らせて自分で落ちたんだもん」

「みぃ。違うよ?わかってるでしょ?あれは…」

「違うくなんかない!」

美優の大きな声にまたもエリは驚く。こんなに強い口調でエリに反論する美優など、見たことがなかった。

「あのね、いつもは使わない道だったから、それで、見えなくて…落ちちゃったの」

「みぃ…」

美優の瞳からは大粒の涙がいくつも零れ落ちていた。

「あのね、近道しようとしてね、それで…」

泣きじゃくり、何度もつかえながら、必死に同じことを繰り返し言い続ける。その姿を見て、エリは全てを悟った。美優はやはり何もかも知っている。知っていて、エリを庇っているのだ。

「あのね、いつもは使わない道だったから…」

「みぃ…もういいよ」

エリの瞳からも涙が止めどなく溢れた。

「…ごめんね……ごめんなさい」

「違うよ?私が勝手に落ちちゃったんだもん…私が勝手に…」

エリは美優を抱き締めていた。どうしようもなく悲しかった。

自分の犯した過ちが。

美優の優しさが。

そして、この期に及んでその優しさに甘えようとしている自分自身が。

「みぃ?」

「何?」

「みぃ。あたしがみぃを守るからね。これからずっとずっと、みぃを守るから」

「エリちゃん…ありがとう。じゃあ私がエリちゃんを守るね」

「…うん。ありがとう」

美優とエリは抱き合ったまま泣き続けた。涙が出ているのかわからなくなるほど泣き続けた。


どのくらいの時間そうしていただろう。実際には数分だったかもしれないが、エリには何時間にも感じられた。

お互いだいぶ落ち着きを取り戻し、美優が眠っている間に、おしどり夫婦で有名だった俳優が離婚した、などの他愛もない会話を続けていた。美優は事件などなかったかのように、終始笑顔であった。そして、エリも事件に触れることはなかった。

「あら!」

2人が無難な会話を続けていると、突然背後から声が聞こえ、エリは驚いて振り向く。そこには、好子が美優と瓜二つの笑顔で佇んでいた。

「エリちゃん。来てくれたのね。ありがとう」

好子は先ほど廊下で擦れ違った際に話したことを忘れてしまったかのように、もう一度礼を言い、深々と頭を下げる。その姿がエリに、隠そうとしていた罪悪感を思い出させた。

「いえ。あの…すみませんでした」

エリも深々と頭を下げ、謝罪した。だが、好子は小首を傾げ、不思議そうにエリを見ていた。

「どうしてエリちゃんが謝るの?」

「え?あ、あの…何となく」

好子の疑うことを知らない瞳を見たエリは、結局本当のことを言うことが出来なかった。

「フフ。おかしいこと言うわね」

好子はエリの答えを聞いて笑い出す。エリは本当のことを言えない自分が腹立たしくて仕方なかった。

「そろそろ帰るね」

そして、何も知らない好子と一緒にいることが辛くなり、逃げるように病室から出ようとする。

「エリちゃん!また来てね?」

病室を出ていくエリの背中に美優の声が届くが、エリは振り返ることなく病室を出た。


病院の廊下を逃げるように早足で歩きながら、エリは美優と抱き合って泣いたことを思い出していた。

あんなに泣いたのはいつ以来だろうか。初めてかもしれない。美優のことを守ると約束したのになぜ逃げ出してしまったのか。エリは自分の矛盾した行動に、再び怒りが込み上げて来るのを感じていた。

正面玄関が見えてくると、その扉の先に知った顔があるのに気付いた。

「またか」

思わず呟きながら正面玄関を出ると、案の定声を掛けられる。

「お友達とは仲直り出来た?」

女刑事は車に寄り掛かり、口元に例の微笑を浮かべながら、エリの瞳を覗き込むように聞いてくる。

「別に喧嘩してませんから」

エリはつっけんどんに言い返し、そのまま去ろうと歩き続けた。

「どこに行くの?」

「帰るんです」

「どこに?」

そう聞かれ、エリは立ち止まる。自分はどこに帰るのだろうか。自分の帰る場所はどこだろうか。家?いや、家には帰れない。母は娘が帰ってきたら邪魔で仕方ないだろうし、何より母の待つ家には何があっても帰りたくなかった。じゃあ渋谷?またあの街に戻るしかないのだろうか。

「また夜の街に戻るの?」

女刑事はエリの心を見透かしているように言う。

「うるさい!」

エリは思わず大きな声を出す。だが、出した後に、またこの女刑事に対して感情を露にしてしまった自分がいることに気付く。

「…関係ないでしょ」

一気にトーンダウンしたエリは。ゆっくり振り向く。その視線の先に見たものは、女刑事の顔ではなく、開いた助手席のドアであった。

「乗りなさい」

女刑事は助手席のドアを片手で押さえながら、先ほどと変わらぬ微笑を浮かべていた。

「え?」

「帰る所ないんでしょ?今日だけ私の家に泊めてあげるわ」

「な、何で刑事さんの家に泊まらなきゃいけないのよ。ほっといてください」

エリは急な話に驚きながらもすぐに拒否する。刑事の家になんて死んでも行きたくなかった。

「あなた、私の名前覚えてる?」

「名前?」

そういえばこの女刑事の名前は知らなかった。いや、事件の日、美優の携帯から掛かってきた時に聞いたような気がするが、全く覚えていなかった。

「…覚えてません」

「でしょうね」

「何?」

「槙村。槙村麗子」

「槙…村?」

その名前を聞いてもピンと来なかったエリだったが、次の女刑事の言葉を聞いて、驚愕する。

「青崎高校3年A組担任、槙村隼人の姉です」

「え!?……嘘でしょ?」

「嘘じゃないわよ」

エリは驚きのあまり言葉が出てこず立ち尽くしてしまった。そんなエリに、麗子の穏やかな声が届く。

「神谷エリさん。私は刑事としてじゃなく、槙村麗子としてあなたと話がしたいわ。あなたも誰かに聞いてもらいたいことがたくさんあるんじゃない?」

どうしてこの人はこんなに人の心が読めるのだろうか。もしかして自分はかなりわかりやすい人間なのだろうか。エリはなぜかそんな場違いなことを思う。

本当は全部誰かに話したかった。自分の苦しみを誰かに聞いてもらいたかった。そして、これからどうすればいいのか教えてもらいたかった。

「さぁ、乗って?」

それでもエリは迷っていた。槙村麗子として話したいと言ったが、やはり警察を信用することは出来なかった。そう思い、ふと麗子の顔を見ると、彼女の口元には、いや、彼女の全身から、刑事として対峙していた時に感じた威圧感が消えていた。残っていたのは、槙村麗子の優しさだけだった。

「……はい」

いつの間にかエリは返事をしていた。麗子はその返事を聞くとエリの横まで来て、そっとエリの肩を抱き車まで歩いた。

助手席に乗り、シートベルトを締めると、麗子が運転席に乗り込む。乗り込むのと同時に、エンジンが唸りをあげて掛かり、辺りに轟音が轟いた。

「今日は安全運転で帰ることにするわ。弟の生徒を怪我させたら怒られちゃうから」

そう言う麗子の顔は、イタズラをしようとする少女のように可愛らしかった。エリは、麗子の刑事の時とは全く違う表情に思わず微笑み返す。麗子のことを信頼し始めている自分に驚きながら。だが、次の瞬間その微笑みは恐怖に歪む。麗子の運転する車は、風のように病院の正面玄関を吹き抜けて行った。


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