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Dear Friend  作者: 橘 零
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麗子


病院の薄暗い廊下を歩きながら、麗子は先ほどのエリとのやり取りを思い出していた。

やはりエリは何かを知っている。それは間違いないだろう。重要なのはその何か、が何かということだ。エリは事件という言葉を使った。かなり警戒していたにも関わらず、無意識のうちにそう言ったのだからおそらく本音だろう。

事件。すなわち、犯人がいるということだ。エリはその犯人を知っており、その犯人を庇っているのか。それとも、エリ自身が犯人だろうか。そこで、麗子は自分のミスに気付く。

「彼女のアリバイを聞くの忘れてたわ」

溜め息を吐きながらそう呟く。弟のクラスの生徒だということで動揺していたのかもしれない。近藤に再教育する前に、自分がもう一度教育をされなければならないかもしれない。

私もまだまだ甘いな。などと考えながら麗子は屋上へと続く扉を開けた。

屋上は広く、真夏の夜明けは意外なほど涼しかった。最近は夜もずっと暑苦しかったので、麗子は久しぶりの感覚に、思わず伸びをしていた。

そのままフェンスの手前まで歩き、空を見上げる。空はすでに白み出してはいるが、星もちらほら見えていた。東京で星を見たのは初めてかもしれない。そんなことを考えながら近くのベンチに座ると、携帯が大きな着信音を鳴らして着信を告げる。もう少し星を見ていたかった麗子はその大音量に思わず舌打ちをする。無視しようかと一瞬考えるが、仕方なく携帯を取り出し電話に出る。

「槙村よ」

「俺だ。佐藤に何があった?」

電話に出た瞬間に相手は怒鳴るように聞いてくる。麗子はその大きな声に顔を顰めながら答えた。

「あら、我が愛しの弟君じゃない。そんなに慌ててどうしたの?」

「ふざけるな!佐藤に何があったか聞いてるんだ。なんで佐藤は病院に運ばれたんだ?」

「そんなにカッカしないの。だから結婚できないのよ?」

麗子は隼人の怒声を聞き流しながら、こんなに慌てている隼人を見るのは初めてかもしれない。そう思い、少しだけ嬉しくなった。

「佐藤美優さんは噴水公園の階段から落下して頭を強打。今は手術中よ。あんたどこにいるの?」

「病院に向かってる。何で落下なんかしたんだ?」

「さぁ。今調べてる所よ。事故か事件かもわからない」

隼人は何も言わなくなった。おそらく様々な可能性を検討しているのだろう。

「ところで、車で向かってるのね?」

「ああ」

「車を運転しながら電話してるんだ。…逮捕するわよ?」

「下らないこと言ってないで早く調べたらどうなんだ?」

麗子の軽い冗談に、隼人はかなり頭に来ているようだ。こんな冗談も通じないほど、隼人の頭の中は混乱しているということだ。

「下らないこと?そんなこと交通課に言ったら、あんたの免許を取り消すまで追い掛け回すかもね」

「……」

無視。一番危険な反応に、麗子もさすがに前言撤回する。

「冗談よ。あんたは先生なんだからもっと冷静に対処しなさい」

「先生だから冷静でいられないんだ。他のクラスの生徒だったらこんな風になってない」

「そう…。それもどうかと思うけど。自分のクラスの生徒だとしても冷静に対処すべきよ。あんたは生徒を守らないといけないんだから。暴漢からも、警察からもね」

「…どういう意味だ?」

麗子の最後の一言に、隼人は不穏なものを感じ取ったのだろう。一瞬の後に聞き返してくる。

「別に。どんな奴が来ても生徒を守りなさいって言いたいだけよ」

隼人は麗子の言葉の真意を測っているようであったが、すぐに答える。

「わかってる。とにかく姉貴は何があったか早く調べてくれ」

「ええ。全力で捜査するわ。結果はどうなるかわからないけど」

「…頼む」

そう言うと、電話は切れた。呆気ない。

「愛してるくらい言いなさいよ」

麗子は通話の切れた携帯に向かって、最後の冗談を言う。

もう一度空を見上げる。夏の日の出はあっという間で、もう東の空から太陽が顔を出していた。先ほどまで空に散らばっていた消え入りそうな星たちを探すが、その弱々しい姿は全て灼熱の太陽に飲み込まれ、跡形もなく消え去っていた。

「チッ」

麗子は思わず舌打ちをし、徹夜明けの重い体を引き摺りながら、病棟へと続く扉を再び開いた。


屋上から下りて病院の正面玄関を出た所に、近藤の車が停まっていた。何も言わなくてもしっかり運転手の役割をこなす近藤に、拍手を送りたい気分だった。もちろん、気持ちを込めて。

助手席に乗り込み、すぐにタバコに火を点ける。

「佐藤美優さんの手術が終わったそうです。一応成功して、今はICUで治療中だそうです」

「知ってる。さっき聞いてきた。まだまだ話は聞けそうにないわね」

近藤は、麗子がその情報を知っていることを意外に思ったらしい。普段からそういう情報収集は全て近藤に任せているからだ。

「そうだったんですか。意識が戻るかどうかもわからないみたいですからね。1回署に戻りますか?」

「そうね。そうしましょう」

近藤がシフトをドライブに入れて出発しようとした時、エリが正面玄関を出てくるのが目に入った。

「待って」

麗子は近藤が車を出そうとするのを止め、降りる。エリのほうも麗子に気付いたらしく、表情は変えなかったが、その姿からは不快感が滲み出ていた。だが、麗子はそんなことは全く気にせずにエリの前まで歩いて行く。刑事は相手に嫌がられるのは日常茶飯事なので、いちいち気にしてはいられない。重要で、報われない仕事なのだ。

「手術は成功したみたいね」

そう言うと、エリは小さな声で、「ええ」と返事をする。視線も足先も、あさっての方向を向いていた。

「よかったわね」

「どうも」

「あなたにもう一つだけ聞きたいことがあったの。いいかしら?」

「よくないと言っても聞くんでしょ?さっさとしてください」

エリは手を体の前で組んでこちらに体を向ける。精一杯の虚勢。刑事が相手でも怯んでなんといないと思わせたいのだ。いや、麗子にではなく、自分に言い聞かせているのだろう。

「物分かりのいい子で助かるわ」

麗子は口元に微笑を作りながら、忘れていた質問をする。何でもないことのように。重要なことほどさりげなく、相手に準備の時間を与えてはいけない。

「昨日の21時から22時までの間、あなたはどこにいたのかしら?」

麗子の問いに、エリは虚を衝かれたようだったが、すぐにあからさまに顔を顰める。見飽きた表情。今まで何百回と見てきた表情だった。

「アリバイ、ですか?」

「そうなるわね。けどこれは関係者全員に聞くルーティン作業みたいなものだから。気を悪くしないで」

麗子は口元の微笑を絶やさず、エリの答えを待つ。やがてエリは諦めたように息を吐き、麗子の顔を見つめて答える。睨むような視線とは裏腹に、体の前で組まれていたはずの手は、背中に隠れて見えなくなっていた。

「1人でネットカフェにいました。ペンタゴンっていうネットカフェ」

「ペンタゴン?すごい名前ね」

「そうですね。名前や見た目だけでもかっこよく見せたいんですよ、きっと。…もういいですか?」

「ええ。ありがとう。送って行きましょうか?」

「結構です」

そう言うとエリは足早に歩き去る。麗子はその後ろ姿を見て、少し意外な印象を受けた。かなり追い込まれているはずなのに、その背中はピンと伸びていた。エリの精神状態から考えて、歩き去る背中にまで気が回せるとは考えにくかった。

エリの開き直ったかのように伸びきった背中をしばらく見つめ、麗子は近藤の待つ車に乗り込む。

「あれが神谷エリさんすか?」

車に乗り込むと、早速近藤は話を聞いてきた。麗子は再びタバコに取り出し、火を点ける。

「そうよ」

「何を話してたんすか?」

「世間話」

「世間話?」

「そう。早く出してよ」

「え?ああ、はい」

近藤は納得していないような表情ではあったが、シートベルトを締めて車を発車させる。従順で、素直。

麗子は窓を開けてタバコの煙を外に吐き出した。その煙の向こうに、エリの小さくなった背中が見えていた。


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