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Dear Friend  作者: 橘 零
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エリ


「佐藤美優さんは病院よ」

その言葉が、エリの脳内を駆け巡り続けていた。

やはり間に合わなかった。おそらく美優は宏樹たちに犯されたのだろう。それで、3人が立ち去った後も倒れていたのだ。泣いていたのかもしれない。そこに誰かが通りかかって、警察と救急車を呼んだのだ。

美優は精神的に強いほうではない。それはエリが一番わかっていた。美優はどれほどの恐怖を感じながら、地獄のような時を耐えていたのだろう。もし黒幕がエリだとわかったら、美優はどうなるだろうか。自分を憎むだろうか。少なくとも、誰も信じられなくなってしまうだろう。もしかしたら、襲われた瞬間に全てを悟ったかもしれない。エリが仕掛けた罠だと気づいたかもしれない。エリの瞼の裏に焼き付いていたはずの、美優の笑顔が、泣きそう顔が、エリには見えなくなってしまった。

エリは激しい自己嫌悪と罪悪感に陥り、どうしても病院に行くことが出来なかった。行かなくてはいけないと頭では理解しているのだが、体が全く動かなかったのだ。すると、再び携帯が鳴り出す。液晶には宏樹の文字。エリは出るのが憂鬱で辛かったが、一応話を聞いておこうと電話に出た。

「もしもし」

「……やべぇよ」

聞こえてきた宏樹の声は、暗く沈み、今にも消え入りそうなほどのか細い声だった。いつものバカみたいなハイテンションを予想していたエリは、その予想外に暗い声を聞き驚く。

「確かにヤバい。けど黙ってれば大丈夫じゃない」

そうエリが言っても、宏樹からは何の反応もなかった。先ほど掛けた時には背後から聞こえていたビートも聞こえない。

「…死んだかな?」

「え?」

どれほど時間が経ったかわからなくなるほど沈黙は続き、ようやく宏樹はポツリと呟く。エリの頭は、宏樹のその一言で一気に混乱し始める。

「どういうこと?ヤッただけじゃないの?」

「ヤッてねぇよ!…落ちたんだよ」

「落ちた?誰が?どこから?」

「美優ちゃんだよ!押さえようとしたら逃げられて、追いかけたら…」

宏樹はそこで言い淀む。

「…追いかけたら、何?」

続く言葉はわかっていた。公園の作りや、どこに何があるかくらいはエリも知っていたからだ。それでも聞き返していた。違う言葉が返ってくることを、心の底から祈りながら。

「階段から落ちた。あの公園真っ暗だから。近付いて声掛けたけどピクリとも動かないし、血も…すげぇ出てたし。…けど俺らは追い掛けただけなんだよ!あいつが勝手に落ちたんだよ。だから俺らは何にもしてねぇ。あいつが勝手に…」

宏樹は何かのスイッチが入ったかのように一気に捲し立てた。だが、エリの耳には何の音も入っていなかった。エリの祈りは届かなかった。

「みぃが死ぬ?」

声に出してみると、その言葉はエリの心に鋭く突き刺さる。誰のせいかなど考えなくてもわかる。自分のせいだ。この期に及んで誰かのせいにしようとしている自分を呪いたい気分だった。

「だから俺らは関係ねぇからな!ただ声掛けただけなんだよ!関係ねぇか…」

宏樹の声は通話口を通ってネットカフェの店内に漂い、一瞬で消える。その声は誰にも届いていなかった。

「病院に行かなくちゃ…」

エリは無意識のうちにネットカフェを飛び出し、人々が目覚め、昼間よりも明るくなった真夜中の街を、全速力で駆け出した。


病院は独特な匂いがする。エリはその匂いを嗅ぐ度に、自分が病気になったような気分に陥る。

自分でも信じられないくらい走り続け、病院にやって来ていた。病院に着いて独特な匂いを嗅ぎ、手術室の前に立ち真っ赤に光る“手術中”のランプを見ても、その扉の向こうに美優がいるとは思えなかった。そんなエリに現実を突きつけたのは、手術室の近くに設置してあるソファーに座る、美優の両親の憔悴しきった姿だった。その姿を見たエリは、美優は本当に死ぬのかもしれないと改めて感じた。ソファーに俯いて座る好子のほうは、特に憔悴しており、今にも倒れてしまいそうだった。

そんな2人の姿を見て、立ち尽くしていると、俯いていた好子が顔を上げ、エリの姿に気付く。エリに気付いた好子は前に会った時と同じように微笑んだ。だがその微笑みもどこか無理をしているようで痛々しかった。

「エリちゃん来てくれたのね。ありがとう」

好子はエリの横まで来て、小さな声でそう言った。

「みぃは?」

そんな好子の顔をエリは見ることが出来ず、手術室のほうを見ながら質問をする。

「まだ手術中」

「助かるんですか?」

「…助かってくれなきゃ…私…美優ちゃんが死んだら…」

好子はエリの前で泣き始める。好子はよく笑い、よく泣く人だった。それでも、こんな悲痛な涙を見たことはない。声を上げず、ハンカチで目を押さえ泣き続ける好子の肩を、美優の父親がそっと抱き寄せソファーに連れて行く。その目元にも、拭いきれない涙の跡がはっきりと刻まれていた。支え合って、支え合わなければ5メートル先のソファーにすら辿り着けない2人の姿は、ひどく小さく見えた。


エリはその後も手術室の前から動くことが出来ずにいた。今自分に出来ることなど何一つないことがわかっているにも関わらず、手術室の前に立ち尽くしていた。

「結局来たのね」

エリが手術室の前から動けずにいると、後ろから声を掛けられた。振り返ると、そこには30半ばくらいの女性が立っていた。声は女性にしては低く、髪は黒髪のストレート。目鼻立ちもスッキリしているが化粧気が全くなかった。それでもエリは、その女性を見た時、綺麗な人だと思った。エリがその女性を見つめ、黙っていると相手から再び声を掛けられる。

「神谷エリさんね?」

もう一度その声を聞いて、エリは相手が誰なのかに気付く。さっき美優の携帯から電話を掛けてきた刑事だ。

「そう…だけど」

エリは警戒しながら答える。

「こっちで話を聞かせて」

そう言うと、その刑事はエリの答えを待たずに歩いて行ってしまった。エリはどうしようか迷うが、美優の両親の姿を見ていたくなかったので付いて行くことにした。

女刑事は振り返りもせずに喫煙所まで歩き続けた。そして喫煙所に到着するとすぐにタバコに火を点ける。エリは設置してある椅子には座らず、立ったまま相手が話し出すのを待っていた。だが、女刑事は何も言わずにタバコを吸い続ける。そして、2本目のタバコに火を点け、エリの顔を見ながらようやく言う。

「綺麗ね」

エリは刑事の予想外の言葉に困惑するが、相手のペースに引き込まれないように気を引き締める。

「話って何を聞きたいんですか?」

そして、自分から水を向けることにした。

「え?ああ、そうね。じゃあ1つ聞くわ」

女刑事はそう言うと、タバコの灰を灰皿に落とし、エリの顔を正面から見据えてきた。女刑事は座ったままのはずなのに、エリはその瞳から強い威圧感を感じた。

「なんで佐藤美優さんに電話したの?」

「…それと事件と何か関係あるんですか?」

「別にないわ。ただ10回以上も電話するほどの用事って何か気になっただけ。最近の若者についてちょっとくらい勉強しておかなきゃと思ってね」

女刑事はそう言い、口元を緩める。刑事とは思えないほど美しかった。

「別に大した用事じゃありません」

エリはそれでも警戒心を解かずに、一言ずつ確認をしながら話す。

「大した用事じゃないなら聞かせて?」

女刑事は、そんなエリの顔を見据えたまま動かない。瞳も体も全く動かず、じっとエリの心の動きを見透かそうとしているかのようだった。エリも女刑事を睨み続けたが、埒が明かないので仕方なく話すことにする。

「みぃ、今日デートだったんです。だからその話を聞こうと思って」

「デート?デートの結果を聞く為にわざわざ10回以上電話を?」

「今時の女子高生はそういうのが気になるんです」

そう言うと、女刑事は頷くように少しだけ首を上下に動かしながら、「今時の女子高生は友達のデート結果がどうしようもなく気になるのね」と、独り言のように呟く。そして、すぐに次の質問を繰り出してきた。

「どうして事件だと思うの?」

「え?」

エリは質問の意味がわからず聞き返した。

「あなたさっき、事件と関係あるんですかって聞いたじゃない。事件だなんて誰も言ってないのに。警察も事故か事件かまだ判断出来ていない状況なのに、あなたはどうして事件だと思ったのかしら?」

エリはその瞬間、自分の顔が歪むのを感じた。女刑事はエリの変化に気付いているのかいないのか、相変わらず無表情のまま、エリの顔を、その奥にあるエリの心を見つめ続けているようだった。エリは目の前にいる美しい女刑事に底知れぬ恐怖を感じた。

「…何となくですけど」

絶体絶命の状況の中、何とかそれだけ言う。エリがそう言った後も女刑事はエリの顔を見つめ続けていたが、フッとその目から力が抜けたように見えた。

「これで質問は終わりよ。最後に、佐藤美優さんとデートをしたっていう男の子の名前と連絡先を教えてもらえると助かるんだけど」

そう言われ、エリは晃太の名前と連絡先を教える。

「ありがとう。じゃあ今日は帰るわ。また話を聞くかもしれないからその時はよろしく」

そう言って、女刑事は立ち上がり歩き出した。だが、すぐに立ち止まり振り返る。

「お友達、助かるといいわね。そうすれば全部解決する。事件なら犯人もわかるし、佐藤美優さんのご両親のあんな表情も見なくて済む」

女刑事は再び口元を少しだけ緩め、そう言う。そしてすぐに背を向け歩いて行ってしまった。

エリは喫煙所のソファーに座り込み、大きく息を吐き出す。その時になって初めて、自分が大量に汗をかいていることに気付いた。もちろんその汗は、走ってきたことによるものではなかった。

しばらく目を瞑り、心を落ち着けようと試みる。そのまま、先ほどのやり取りについて考えた。あの女刑事はどう思っただろうか。上手く誤魔化せたとは到底思えなかった。もしバレたらどうなるだろうか。それを考えると、今さっきまで感じていた恐怖とは違う、別の恐怖を感じる。だが、その恐怖と同じくらい、美優に助かってほしいという想いがエリことを内側から激しく揺さぶり続けていた。たとえそれで自分が捕まることになっても。そして、エリは呟いた。

「みぃが助かるなら、それでもいい」


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