第1章 エリ
3年前
私立青崎高校3年A組
4月3日。
「今年の担任って転任してくる奴なんだってさぁ」
「マジで?イケメン?」
「さぁ?けどおっさんらしいよ」
「えぇ~!高校生活最後の担任もオヤジかよ…」
「うるさいんだけど」
「え?あぁ…ごめん」
「どうせどんな担任でも一緒なんだから靖子も知香も騒ぎすぎ」
「そうだよね。ごめん」
エリは2人を睨み付け、溜め息を吐く。毎日ちょっとしたことで騒ぎまくるこの2人に、エリも毎日のようにイラついていた。
村田知香に田上靖子。
2人とも高1で初めて出会い、それからずっとエリにくっ付いてくる金魚の糞だ。
知香は毎日甘いものばかり食べている。今日も朝からアンパンのようなものや、チョコレートのようなものを食べ続けている。甘いものしか食べないので、おそらく頭も味覚もバカなのだろう。
一方、靖子の方も、頭のネジが1本外れているんじゃないかと疑いたくなるようなバカ女だった。なぜなら、1日20時間は笑っているのだ。放課はもちろんのこと、授業中でもずっと爆笑している。靖子が笑っていない時を見るのは、東京の夜空に流れ星を発見することと同じくらい稀な出来事で、そんな時は思わず手を合わせ、願い事を3度呟いてしまうほどだった。
「みぃ!」
イライラしたまま、大きな声で美優を呼ぶ。だが、聞こえてきた返事は、衛星中継かと思うほど遅れてやってきた。
「あ、何?」
一応急いでいるのだろう。美優はガタガタと大きな音を立てながら、自分の席から駆け足でやって来る。
佐藤美優。小学生の頃からの同級生だ。小学6年の時から高3の今年まで、7年連続同じクラスである。
性格は、いい風に言えばおっとりとしていてマイペース。顔も可愛らしいので意外と男子には人気だった。ただ、極度の人見知りの為に、いつもエリの横から離れない。
そんな可愛らしい美優も、エリから言わせればただのノロマだ。いつもやることが遅く、イライラさせられる。
「タバコ!」
「あ、うん」
また駆け足で机に戻り、カバンからタバコを取り出す。
「はい」
美優が差し出した箱からタバコを1本取り出し、火を点ける。
「ふぅ~。もういいよ。どっか行って」
「え?あ、うん」
今度はとぼとぼ戻っていく。さっきの駆け足と比べると、多少ではあるが、やはり駆け足の方が速いことが確認出来た。
そんな下らないことを確かめていると、チャイムが鳴り、教室の扉が開く。
「来たぁ!」
知香と靖子が同時に叫ぶが、残念なことに教室の扉を開けて入ってきたのは、噂のイケメン教師ではなく、教頭の猿渡だった。
「ってツルリンかよぉ!ふざけんな!」
生徒全員の大ブーイングが教室内を包む。
猿渡の渾名はツルリン。その渾名の通り、頭はツルツルの禿げ頭。さらに、禿げ上がった額は脂でテカテカ。腹は妊婦のように出ており、どんな漫画やドラマにも1人は登場する、典型的なキモキャラだ。だが、その後ろから入ってきた教師を見て、教室内の大ブーイングが歓声に変わる。はずだったが、入ってきたのは何の特徴もない30代前半くらいの男だった。
「かっこ…いいかぁ?」
「まぁ…こんなもんじゃない」
案の定、知香と靖子も期待外れだったらしい。それでも、始めから教師に外見の良さなど求めていない生徒たちは、各々が勝手に納得をしていた。その為、期待を裏切られたことに対する、嘆きや罵声が聞こえてくることはなかった。
「静かに!え~、このクラスの担任は転任してきた槙村先生になります」
エリは、久しぶりに聞いた猿渡の声に、思わず顔を顰める。
猿渡は、見た目もキモイが声もキモイのだった。その見た目からは想像も出来ないくらいの高音で、聞く者たちの聴覚を破壊していく。
「じゃあ槙村先生。後は頼みますよ」
そう言って、猿渡は教室を出て行った。
残された新任教師は、小さく息を吸い込み、一気に話し出す。
「おはようございます。今日から転任してきて早速担任をやらせてもらう槙村隼人といいます。授業は英語を担当します。みんなのことは全く知らないし、みんなも私のことを知らないはずなので、これからゆっくり時間を掛けてお互いのことを理解していけたらいいと思います」
その話し方は流暢ではあるが、緊張しているのが手に取るように伝わってくる。
「演説みてぇ」
「ガッチガチじゃーん」
エリが感じたものを、他の生徒たちもすぐに感じ取り、小馬鹿にしたようにからかい出す。
隼人の初めての挨拶は、生徒たちの爆笑、苦笑、そして、失笑を誘っただけであった。
「ははは。あんまり挨拶なんてしないからちょっと緊張してしまってね」
隼人も自分の挨拶の固さに苦笑し、照れたように頭を掻いていた。
そんな和やかで、平和な1年の始まりを、エリは、一片の桜の花びらが風に舞うのを窓から眺め、過ごしていた。