エリ
教室に入ると、教室の中央に机が向かい合って並んでおり、片方の机に、オバマこと隼人が座っていた。
「そこに座って」
隼人に言われ、黙って椅子に座る。
「神谷は就職希望でいいのかな?」
「はい」
「どこか行きたい会社なんかはあるのか?」
「別に」
エリは隼人と喋りながらも、先ほどの美優との会話を思い出していた。いつものように適当な話題で時間を潰そうとしていたはずなのに、美優の幸せそうな表情を見ていたら、無性に腹が立ってしまった。その怒りに任せ、全く必要のないことを言ってしまい、あんなことをわざわざ言ってしまった自分に、また腹が立っていた。
「じゃあ、やってみたい仕事なんかは?」
隼人はそんなエリの様子に気付くわけもなく、質問を続けている。
「別に」
「じゃあこれから資料を集めて行きたい会社とか、やってみたい仕事なんかを探そうな」
隼人が言ったこの言葉が、なぜかエリを刺激した。
「嫌です」
「嫌?」
「ていうか卒業出来ればそれでいから」
「就職もしないってことか?」
「はい」
「でもなぁ神谷。学校から就職しておいたほうが楽だぞ?何にもやりたいことがないなら進学して、大学で見つけるのも手だしな」
「あたしのことを思って言ってくれてるんだ?」
「そうだ」
エリの身体中を、真っ黒な血が駆け巡る。自分でもどうしようもないくらいに、隼人に苛立った。
「…バッカじゃないの!!ホントは自分の評価の為のくせに!キレイ事言うのやめてくれる?ムカつくから!」
エリの突然の爆発に、隼人は面食らったような表情になるが、すぐに真剣な表情になり、エリと対峙する。
「なぜそう思う?」
隼人の声は、激昂するわけでも、悲観するわけでもなく、どこまでも冷静で、穏やかだった。
「みんな自分が一番だから。あたしもだけど」
「確かにそうかもしれない。けど他にも一番がある可能性もあるんじゃないのか?」
「はぁ?」
意味のわからない隼人の言葉に、次はエリが面食らってしまう。
「何言ってんの?」
「だから、自分が一番だけど、他にも一番があるかもしれない。一番が一つだけじゃないといけないなんて誰が決めたんだ?」
「意味わかんない」
本当に意味がわからなかった。隼人が何を言っているのかも、なぜ隼人がこれほど穏やかなのかも、何もかも意味不明だった。
「俺は自分が一番だが、他にも家族や友達、そして生徒たちも一番だ」
「全然意味わかんない。……帰る。とにかく、就職も進学もしないから」
エリの怒りは急速に冷めていく。こんな奴にあれほど苛立った自分がバカみたいだった。
エリは席を立ち、教室を出ようとする。その背中に、隼人の言葉が投げ掛けられた。
「神谷。君の一番はなんだ?」
エリは振り向かず答える。
「自分って言ってんじゃん」
「他には?」
「ない」
「俺はあると思う」
「ないし」
「一番大事なものは一つじゃなくていいんだ。欲張っていいんだ」
エリは、何も言わず教室を出た。