①1966年4月26日
ビートルズがやって来る。
映画のタイトルではない。
正真正銘本物のビートルズがやって来る。
しかもこの日本に。
ビートルズがやって来る。
1966年(昭和41年)4月26日の新聞に掲載されたその知らせは瞬く間に日本中を駆け巡った。
そして全国の少年少女たちは狂喜乱舞した。
ビートルズがやって来る。
ビートルズがやって来る!
ヤァ!ヤァ!ヤァ!
「やあやあやあ我こそは道下五郎なり!」
丸めた教科書を突きつけて五郎は声高に叫んだ。
「汝佐藤実一朗、ビートルズ来日の知らせに浮かれていると見たり!」
教科書を突きつけられた当の実一朗は、ぽかんとした顔を五郎に向けた。
「は?」
「何だよじっちゃん、大好きなビートルズが来るんだぞ。俺が頑張って盛り上げてるんだから、もっと盛り上がれよ」
「それより何だよ、そのやあやあって」
「この前古文でやった平家物語に出てきたじゃん。じっちゃんもう忘れたのかよ。それじゃまた赤点だぞ」
「ほっとけよ」
ビートルズが来日するらしいという噂は以前からあったが、主催の新聞社が正式に紙面で発表したことによって確定となった。
日程は6月30日(木)、7月1日(金)、7月2日(土)の3日間、会場は日本武道館。
「なんでそんなにしらけてるんだよじっちゃん。本当は嬉しいくせに」
もちろん実一朗だって嬉しくないはずがない。
内心は嬉しくて仕方なかった。
でも他の軽薄な連中みたいに大騒ぎするのは嫌だったのだ。
「五郎、お前あんまり大声でじっちゃんじっちゃん言うなよ」
「だってじっちゃんはじっちゃんだろ」
「実一朗」だから「じっちゃん」というわけだが、実一朗はこのあだ名が好きではない。
そもそも「実一朗」という名前自体年寄り臭くて嫌なのに、「じっちゃん」なんて更に年寄り呼ばわりされているみたいだからだ。
「うるさいな、どうしたゴロー」
「その呼び方やめてくれよ」
五郎は本気で嫌そうな顔をする。
道下五郎は「みちしたごろう」と読むのだが、「道下」は「どうした」とも読めるので、何かにつけ「どうしたゴロー」とからかわれることが多い。
お互い名前で苦労しているせいもあってか、実一朗は五郎とは一番仲の良い、気の置けない友人だった。
「入場券の販売方法については後日発表だって書いてあったね」
「どうなるんだろうな」
「すごい闘いになりそうだね」
「どんな闘いでも俺は挑んでやるさ」
「さすがじっちゃん。頼りにしてるよ」
「五郎も行く気なのかよ」
「じっちゃんが行くなら俺も行くよ」
五郎はそう言ったが、実一朗は五郎と二人でビートルズを見に行く気などさらさらない。
実一朗が一緒にビートルズを見たい相手は他にいた。
山本悦子である。
「実一朗!」
廊下で声をかけられて振り返ると、悦子が手を振ってこちらにやって来た。
もっともクラスの男子や友人はみんな「じっちゃん」呼びで、女子でしかも実一朗を下の名前で呼ぶのは悦子だけなので、悦子に決まっているのだが。
「ねえねえ、今朝の新聞見た?ビートルズが来るって!」
悦子は興奮気味に目を輝かせている。
「見たよ。さっき五郎ともそれ話してたんだ」
「そうなの?五郎くんがビートルズが好きなんて聞いたことないけど」
「ファンじゃなくてもみんな見たいからだろ」
「ライバルが増えちゃうのは嫌だなぁ」
悦子は口を尖らせたが、すぐに実一朗に向き直って、
「入場券、頑張って手に入れようね」
「もちろん」
「私、今日帰りに葉書を買いに行こうと思ってるの」
「え?葉書で応募するってこと?」
「絶対そうでしょ。だから今のうちにまとめて買っておかなきゃ」
悦子と別れて手を振りながら、実一朗は顔がにやけて仕方なかった。
ビートルズがやって来る!
しかも悦子と一緒に見に行ける(かもしれない)!
悦子とは小学校からのいわゆる幼なじみだったが、中学生になってお互いビートルズが好きだと知ってから急速に距離が縮まり、高校生になっても親しい仲は続いていた。
ビートルズ来日に誰もが心をときめかせている。
それはこの高校の他の生徒たちも同様だった。
「ビートルズの日本公演、行けるものなら行ってみたいわね」
「だめよ、学校でビートルズの話なんて。美加さんが聞いたらおかんむりよ」
「わかってるわよ。ここで言うだけならいいじゃない」
岩本久美子にとがめられて、千葉みどりは口をすぼめる。
「ねえ、みんなは誰が好き?」
池田智佳子が食い気味に尋ねる。
「私は絶対ジョンがいいわ。だってカッコイイもの」
「あら、カッコイイなら断然ポールよ」
「そうかしら。ジョージも素敵よ」
久美子と智佳子に続いて、みどりも応戦する。
「リンゴは?」
「リンゴも可愛いわよね」
「結局4人ともカッコイイってことよ」
きゃあきゃあはしゃく3人の耳に、
「くだらない」
と突然声が飛び込んできて、3人ともビクッと身を震わせた。
いつからそこにいたのか、教室の隅に腰かけていた杉左近松江が、けだるそうに声を上げたのだ。
「何よ。杉左近さんだったの」
智佳子はどこかほっとした様子だったが、
「杉左近さん。今何て言ったの?」
久美子は問い詰める。
「別に何も言ってないわよ」
「嘘。今くだらないってそう言ったでしょ」
「聞こえてるならはっきりそう言えばいいじゃない。今何て言ったのなんて、いやぁね勿体ぶっちゃって」
「何ですって?」
「やめなさいよ。杉左近さんも悪いわ。口が過ぎるわよ」
声を荒らげる久美子を、みどりが制止する。
「生徒会長の嫌いなビートルズの話に随分花が咲いていたみたいね」
松江に指摘されて、3人は一斉に押し黙ってしまった。
「安心なさいよ。告げ口なんてしないから。あんな女と口もききたくないし、顔も見たくないもの」
松江は憎々しげにフンと鼻を鳴らして教室を出て行く。
「ちょっと杉左近さん!美加さんを侮辱したら承知しないわよ!」
久美子は松江の背に向かってがなりたてる。
「何なのあの態度」
「もう放っておきましょう。しま姉には関わらないほうが無難よ」
「そうよ。美加さんに告げ口されたらたまったものじゃないわ」
〈しま姉〉とは松江のあだ名である。
「松江」だから島根→しま姉というわけだ。
もっともこれは女子が松江を揶揄して、陰でそう呼んでいる裏のあだ名である。
エキゾチックな顔立ちと鶴のような痩身の持ち主で、「マドンナ」ともてはやされている美少女・杉左近松江は、男子人気は絶大な分、女子からは大いに反感を買っている。
そして取り巻きの3人が恐れをなしている高飛車な生徒会長・高橋美加こそがその反感の先導者だった。
杉左近松江と高橋美加は犬猿の仲どころか、猫に皿、不倶戴天など、とてつもなく仲が悪いことを表すことわざや慣用句をどれほど持ち出しても足りないほどのスーパー敵対関係なのだ。
一方その頃、学校の屋上で寝転んで、ビートルズ来日を報じる新聞記事をじっと見つめている男子生徒がいた。
西條淳一である。
淳一は新聞記事を見つめたままぬっと体を起こすと、長髪を掻き上げて思案顔で呟いた。
「さぁて、どうするかな…」
熾烈な入場券争奪戦はこの時点で既に始まっていたのだ。




