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第8話 再会

 その日の夕食で、清治は和食メニューののどくろの塩焼きを選択した。イワシ料理を食べたかったが、ホームではカタクチイワシがメインで出たことはなかった。

 部屋に帰るとテレビよりも外の景色を見たくなってベランダに出た。フェアウェイとフェアウェイとの間を区切っている林が暗闇の中で揺れていた。十月でも風があるとひんやりする。海の方向にも顔を向けた。昼間の感触がまだ手に残っている。

 魚が食いついたときのなんとも言えない引きの醍醐味。小魚でさえあんなに手応えがあるのなら、もっと大きな魚ならどんなに強く引くのだろう。いまだに興奮が冷めやらなかった。

 それより、清治が関心を持ったのは田代という男だった。裏表がある人間かどうかを見極める眼力には銀行時代から自信があった。田代は健全だと一目で見抜いた。彼とは煩わしい利害関係が無いのが新鮮だった。

 顧みれば、現役時代は仕事第一で趣味に走る気などさらさらなく、仕事と無関係の知り合いは一人もいなかった。

 田代のことを考えていると一杯飲みたくなった。ワインセラーからボトルを取り出してワイングラスに注いだ。柔らかいソファーに背中を丸くして座り、一口飲んだ。いつにも増してうまいと感じた。

 今度はいつ海釣り公園に行こうかと考えたところへ、田代の話が頭に浮かんだ。

「俺は毎週水曜日が店の定休日で、その日は必ずここに通ってるんだ。もう、女房も諦めてるみたいでさ。家では怒られてばかりの情けない亭主だよ。あっはっは」

 清治は翌週の水曜日の朝も玄関にタクシーを呼んだ。前回の往復で世話になった高齢のドライバーが約束の九時に車の外で待っていた。

「先週は釣った魚をみんな隣の人にあげたとおっしゃってましたね。ご自分で料理とかされないんですか?」

「いやあ、私は魚を捌くなんて、とてもとても……」

「そういう釣るだけの人って結構多いんですよ。唐揚げにすると、いい酒のつまみになるんだけどなあ」

 酒飲みの顔がルームミラーに映った。まもなく目的地が近づいて来た。釣り場に行く前から心が弾んでいる。

 清治はタクシーを降りて階段を二階に上がった。慣れた手順で釣り道具を調達して桟橋を下る。途中で立ち止まって茶色の野球帽を探した。

 会いたいという願いが通じたのか、斜面になった桟橋の下にいるのを目ざとく見つけた。

「こんにちは」

「やあ、岡ちゃん、また会ったね」

 田代は偶然だと思っているようだが、清治は田代に会いに来たのだ。そんなことは恥ずかしくて面と向かって言えなかった。

 田代は清治の方に顔を向けたあとで仕掛けを巻き上げた。針に長い生き餌がついている。クーラーボックスをそこに置いたまま、竿を持って遠くへ行ってしまった。

 清治がサビキの用意をしていると、クロダイの入ったタモ網を持って戻ってきた。

「凄い!」

 清治が驚嘆の声を上げた。田代は清治の目の前でテキパキと獲物を締め始めた。

「まずは、こうやって脳を突くんだ」

 こんなのはお手のものとばかり、細いナイフでクロダイのこめかみを刺し、刃先を目の斜め上に持ち上げた。獲物はピクピクと体を揺らした。続いてエラにナイフを入れ、尻尾の手前を切って魚を曲げると血が噴き出した。

 バケツの海水につけて血抜きをしたあと、ワイヤを使って神経締めまで終えてから、クーラーボックスに入れた。一つ一つの処理の流れが実にスムーズだった。

「釣るだけでも凄いと思ったのに、釣った魚の処理まで自分でできるんですね」

「まあ、おいしく食べてもらうためには、これぐらいのことはやっておかなきゃね。俺の釣る魚を楽しみにしている仲間がいるんだよ。今日は捌くだけにして、明日刺身にしようかな」

 田代はこともなげに言った。清治はクーラーボックスの中を見せてもらった。四十センチ前後のクロダイが三匹入っている。触ってみると、弾力があった。硬いウロコを剥して、どうやって身だけをきれいに取り出すのだろう。

 清治はこれまで刺身がどんな顔や形をした魚なのかを想像したことがなかった。行きつけの高級寿司店では、赤身か白身かの希望を伝えるだけで済んだ。あとは大将が適当な高級魚を選んで刺身にしてくれた。

 値段が高くて庶民の口には入らないのだから、この刺身が最高にうまいのだと思い込んでいた。だが、今になって疑いを持った。自分で釣った魚を自ら捌いて食べる刺身こそがこの世で一番うまいのではないか。

「もういいかい?」

 田代はクロダイを見たまま固まっている清治の肩を叩いて、クーラーボックスの蓋を閉めた。三匹釣れば十分だという顔をして、早々と納竿の準備を始めている。

 清治は田代が経営している蕎麦屋の名前を訊いてスマホにメモした。桟橋を渡って帰って行く背中は輝かしく、師匠と呼ぶにふさわしかった。田代が帰ってからの釣りは一気に味気なくなった。早々にボウズと諦めてサビキの仕掛けを外し、備え付けのゴミ箱に捨てた。

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