第18話 そば処たしろ(初参加と面々)
清治が「そば処たしろ」を訪れたのは翌々日の午後二時過ぎだった。白地に黒文字のくたびれた暖簾に「きそば」と書いてある。どこの蕎麦屋もそうだが、もっと簡単な文字で書いて欲しいと長年思ってきた。
暖簾をくぐって引き戸を滑らせた。最近のチェーン店と違い、木目がきれいな一枚板の古いテーブルがいくつか目に入った。店内は出汁のいい香りが漂っている。二時で終わるランチを食べている客がまだ四人ほど残っていた。
厨房の奥にいた田代は、清治の姿に気がついて破顔した。青い作務衣を着た姿が実によく似合っている。奥さんと二人で厨房から出て来て、三人で店の奥での立ち話になった。
「一昨日は、主人がご迷惑をおかけして、大変申し訳ございませんでした」
奥さんが平身低頭した。田代は横で小さくなっている。どうやらこってり絞られたらしい。
「私の方こそ、無理やりご主人を引き留めてしまって、ご心配をおかけしました」
清治は田代の立場を気遣いつつお辞儀をした。奥さんは田代を横目で押さえて言った。
「あんなにおいしい太刀魚の料理は食べたことがないと言って、うちに帰ってからもその話ばっかりなんですよ。私にも同じものを作って欲しいって頼んだんですけど、小さい太刀魚では無理だとかなんとか言っちゃって。店が休みの日は私をほったらかしにして釣りにばかり行ってるんですから、たまには大きな太刀魚を釣って帰って欲しいものですわ。よろしければ、うちの主人に釣り方を教えてやってください」
まだまだ続きそうだった。田代は、「お前はもういいから」と奥さんの背中を両手で押して厨房へ戻した。
「岡ちゃん、いやあ、知らぬ間に布団に入れてもらったりして、本当にお世話になりました」
田代はあらためて礼を言った。親しき中にも礼儀ありだ。
「何をおっしゃいますか、世話になったのはこっちの方です。楽しかったなあ、太刀魚釣り。私は、人生の最後で、正真正銘の人間になったような気がしてるんですよ」
「なんだ、あんたは妖怪人間だったのかい?」
二人は気兼ねなく大笑いした。
店の客がいなくなったところへ、一人、二人と暖簾をくぐって入って来た。やあ、と田代に手を上げて席に着く。どうやら指定席が決まっているらしく、八人掛けのテーブルがすんなりと埋まっていった。
清治は田代に勧められて左側の奥の席に座った。
「おや、新入りかい?」
最長老とおぼしき小西太助が、清治を歓迎する意味で軽く会釈をした。清治は小西の三倍くらい上体を傾けて、「よろしくお願いします」と返した。
「栄ちゃん、ざるの小盛でわさびなし」
「あたしはネギたっぷりの玉子焼きお願い」
「なんでもいいから、天ぷら三種」
「俺は分厚い板わさ。それと、栄ちゃん、瓶ビール一本もらおうかな」
矢継ぎ早に注文が続いた。
「おっ、ご隠居、今日も調子がいいねえ」
仲間内から声が飛ぶ。他のメンバーも、めいめい好きなものを注文した。田代はメモを取るでもなく頷いていた。
テーブルの中央に置かれたポットと急須から、人数分の湯呑みにお茶を入れて回す。その役割を担っている女性がいた。年齢不詳。何十年も前に流行ったぶりっ子の髪型で若作りをしている。
本人は気に入っているのだろうが、白髪が九割のせいか、誰も気に留めていない。清治が参加者をざっと見渡すと、髪型や容貌に関しては、お互いに寛大な人ばかりが集まっているのは疑いの余地がなかった。
お茶を一口啜るやいなや、賑やかな話が始まった。まずは本日のニュースから。
田代の奥さんは休憩に入ったのか、姿が見えなくなった。なのに、料理が出てくるのは異常に早かった。清治がその理由を理解したのは田代の一言だった。
「いつもと違うのは、ご隠居の日本酒が瓶ビールに変わっただけだな」
注文をした料理は全部出てきたにもかかわらず、皆は次の一品を期待してチラチラと厨房に目をやった。
「さて、お口に合いますかな」
田代が大皿にアジの南蛮漬けを盛って出てきた。以前に釣ったアジを冷凍しておいたのだ。
「これが楽しみで来てんだ」
端っこにいた西野が手を叩いた。髪が禿げあがって腹が出ている。自称小説家の卵だ。生活費は教員の妻に甘えることで、長年、卵がふ化しなくても食べてこられた。見るからに尻の重そうな男だった。家でもたぶんそうだろうと皆が思っている。
反対に、サッと席を立って大皿から小皿に取り分ける男がいた。献血という赤い文字が入ったTシャツがよく似合う、メンバーの中では一番若々しい大介だった。
「僕はこれくらいしかできませんから」と自嘲気味に言って、さも当然のように下働きをしている。謙虚な態度でありながら、話が盛り上がった時には一番大きな声で笑った。
清治が黙っておとなしくしていたところへ、田代が、「この前のお礼だ」と言ってまぐろの山かけと冷酒のミニボトルを持ってきた。
初参加の清治が厚遇されていることに対し、他のメンバーは別段驚きもしなかった。皆、初回はそうしてもらっていた。田代と何かの縁で繋がった人たちばかりなのだ。
参加者のおしゃべりは、本日のニュースの次は、テレビショッピングで買った商品の紹介や韓流ドラマの寸評、年金額の微々たる改訂などの話題で尽きることなく、永遠に続きそうだった。




