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第17話 友達

 清治は大きいという表現だとは直感したが、その言葉は初耳だった。F六の「F」はフィンガーで、「六」は文字通り指が六本置ける幅なのだと解釈した。

「網に入るまで岡ちゃんが竿を持っていたのだから、完全に岡ちゃんの釣果だよ。おめでとう」

 ビギナーズラックとはこのことか。清治は夢心地だった。こんな大物を本当に七十歳を過ぎた自分が釣ったのかと興奮して、なんとも表現のしようがない喜びが体中から湧き上がった。

 気がつくと、日が落ちて辺りはすっかり暗くなっていた。桟橋のスピーカーから蛍の光が流れ始めた。本日の営業は終了の合図だ。さあ、帰ろうか。田代は太刀魚を巻いて大型クーラーボックスに納めた。「新しいタモ網買わなきゃな」とかすかな声が聞こえた。

 清治は帰りの車でタモ網を壊したことを詫びた。弁償すると言っても受け入れてもらえず、それなら獲物を持ち帰って欲しいとお願いした。田代は、「いいから、グランドライフビューのみんなに自慢してやれよ」と言って譲らなかった。

 車がホームの玄関に着いて、田代は重たいクーラーボックスをヨイショと下ろした。すぐに大きな蓋を開け、太刀魚の下あごをフィッシュグリップで挟んで清治に手渡した。

 清治はそれを肩の位置まで持ち上げた。ずしりと重い。そして、長い。うろこのない銀色の表面が玄関のLED電球に照らされてキラキラと光った。清治にあらためて興奮がよみがえった。

 カウンターの職員がいつもとは違う外の様子に気付いて、支配人や事務職員たちとともに出てきた。

「すごい、これ、岡谷さんが釣ったんですか?」

 支配人が田代から話を聞いて目を白黒させた。みんなで記念写真を撮ることになった。主役は言うまでもなく大きな太刀魚をぶら下げた清治で、その隣に師匠の田代が立った。他の人たちは二人と一匹を取り囲んで並んだ。

 支配人は急いでレストランに電話をし、料理長の冨田悟郎を呼んだ。清治が海釣り公園で目の前の太刀魚を釣ったのだと声を弾ませると、信じられないという顔をした。

「本当にあそこで釣れたんですか?びっくりですね。船釣りでも、なかなかこんな立派なものは釣れませんよ。そうだ、今日の夕食は松茸ご飯ですから、この太刀魚を料理して岡谷さんのお部屋にお届けしますよ。まだ時間の余裕もありますし、支配人、よろしいですか?」

 冨田の申し出に支配人は二度ほど頷いた。

「そのために君を呼んだんだ。急ですまないな。じゃあ、頼んだよ」

「まかせてください。そこらの料亭には負けないものをお出ししますから」

 自信ありげに言った。清治は心意気が嬉しかった。

「いいの?悪いなあ。じゃあ、残った分は皆さんで分けてください」

 これほどの大きさならば、何人前になるのだろうかと想像した。清治は一流の漁師になったかのような気分だった。ここまでくれば田代を帰すわけにはいかない。先のことは考えずに、無理やり自分の部屋に招き入れた。

 二人の夕食は太刀魚づくしの豪華メニューになった。塩焼きしかイメージしていなかったのに、刺身に煮付け、竜田揚げまで出てきた。しかも、どれも最高に美味だった。

「うまいなあ。ここの板さん、ホントに料理が上手だな」

 田代は仕事柄なのか、清治が釣った太刀魚のことより先に料理を褒めた。

「でも、なんと言ってもなあ、自分で釣った魚は味が違うんだよ。岡ちゃんは、俺より何倍もうまいと感じてるはずだ。まあ、俺もアシストした分、うまさがプラスになってるけどな」

 田代は、太刀魚は痛みが早い魚だとか、釣ったあとで身が崩れないようにするには、クーラーボックスでよく冷やしておかねばならないとか、清治に講釈を垂れながら上機嫌で酒をしこたま飲んだ。顔が赤くなってテカテカしている。

 締めはレンジで温めた松茸ご飯とお吸い物だった。

「岡ちゃんと友達で良かったー」

 田代が冗談ぽく言ったにせよ、清治はその一言に涙が出そうになった。

「栄ちゃん、今度、お店にそばを食べに行ってもいいですか?」

「もちろん、もちろん。うちの店は、朝の十一時から夜の九時まで、休憩時間なしで営業してるんだ。午後の二時半から四時半くらいまでの二時間は、近くのお年寄りが集まって来るんだよ。みーんな家でやることがなくて、おしゃべりをしに来るってわけさ。俺は、釣った魚を適当に料理してサービスしてるんだ。それを楽しみにしてる人もたくさんいてねえ。俺なんかでも、少しは人の役に立ってるのかなあ、と思ってさあ。なあ、岡ちゃんヨー」

 清治の老後には、そんな生きがいはなかった。田代が高齢になっても店を続けている理由がよく分かった。

 二人ともよく飲んだ。缶ビール七本と鹿児島の芋焼酎のボトルが一本空いていた。清治は宏也が使った布団を出してきて、酔っ払って動けない田代を寝かせた。自分もそろそろベッドに行こうとしたところに田代の携帯電話が鳴った。

 人の電話に出るのは気が引けた。とはいえ、田代が自宅へ連絡をした様子がなかったことから、もしや家族からかと思って出てみた。

 案の定、帰宅しない田代を心配した奥さんからだった。いきさつを話すと恐縮して、「すみません、うちの主人がご迷惑をおかけして、すみません、申し訳ございません」と何度も繰り返した。

 翌朝早く、清治は田代に起こされた。

 世話になった。帰る。店に遊びに来て。

 田代はそういう意味のことを言って、玄関ドアの鍵を開けて出て行った。二日酔いの清治は鍵もかけずに二度寝した。

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