第16話 太刀魚ドラゴン
その次の水曜日も、またすぐに来た。
十一月に入ると海の夕方はぐっと冷え込んでくる。清治は田代に言われた通りジャンパーを持参した。車が海釣り公園に着いたのは十五時過ぎだった。
「さあて、今から夕まずめを迎える一時間ちょいが勝負だ。ベタ凪より少しくらい波があるほうが釣れるんだよ」
清治は、釣り具は全部自分が用意する、という田代の言葉に甘えて手ぶらでの釣行だった。何を釣るのかは釣れてからのお楽しみだとして教えてもらえず、かえってそれが清治をわくわくさせた。
秋の太陽が富士山の西に傾いていた。風が出てきて肌寒い。海は音のない波を桟橋に繰り返し送り込んでいる。田代は竿を素早く用意して清治に一本渡した。
いつものサビキの代わりに、小魚の形をした疑似餌が鋭い針を付けてぶら下がっていた。
「岡ちゃん、ルアーを投げたことはあったっけ?」
サビキ釣りしか経験のない身には虚しい質問だった。苦笑いをして手を横に振った。
「じゃあ、俺が投げてやろう」
田代は後ろに人がいないことを確認して、振り被った竿をビュンと軽く振った。それでも五十メートル以上は飛んだだろう。驚く清治を横目にして、「あまり飛距離はいらない釣りなんだ」と平然と言った。
糸の遊びの分だけリールを巻いて、穂先をやや上に向けてさらにひと巻き、ふた巻きした。再び竿を海面と並行に戻して数秒置く。それからまた穂先を上に向けてリールを数回巻いた。
「これをねえ、リフトアンドフォールって言うんだよ。こうすることで、ルアーが海中で生きている魚のように上下に動くってわけ。わざわざ英語で言わなくてもいいと思うんだけどさ。リールを巻くことをリトリーブって言うし、釣り用語として覚えるしかないね。さあ、やってごらん」
清治は習った通りに竿を動かしてリールを巻いた。桟橋の上まで巻き上げると田代が再度沖に投げてくれた。ぎこちない動かし方しかできないが、一丁前の釣り師になったようで気分が高揚した。
田代も五メートル離れた釣り座でルアーを投げ始めた。何度目かで引きがあったようで、「食った!」と言ってリールを巻いた。竿の上半分がしなってグググっと揺れている。
すぐ下の海面で五十センチくらいの魚がバシャバシャと暴れた。田代はタモ網を海中に入れて捕獲し、素早く桟橋に上げた。知らないうちに釣り公園のスタッフがそばに寄ってきていた。
「型の良いシーバスですね」とニコニコしている。ホームページの釣果情報に載せるらしく、デジカメで写真を撮った。
田代は、「これが今日の狙いじゃないんだ」と残念そうに言って、惜し気もなく隣の夫婦にプレゼントした。「まあ、いいんですか」と奥さんが大喜びして、旦那さんも軽く頭を下げた。
田代は再びルアーを投げた。清治は寒さ対策で持参したジャンパーを着て、リフトアンドフォールを繰り返した。五回目くらいのフォール中に、突然ガツンと強いアタリがあった。アワワワワワ、ナニナニナニ。言葉にならない。竿が海の中に引き込まれそうになっている。
「竿を立ててリールを巻くんだ!」
田代が隣に来て叫んだ。
「こりゃあ大物だ。いいかい、岡ちゃん。バラさないように、ゆっくりと引き寄せるんだよ」
バラすというのは、針に掛かった魚を逃がしてしまうことだと教えてもらったことがある。たとえリールを速く巻けと言われても、ゆっくりしか巻けない強烈な引きだった。その上、やけに獲物が重かった。
だんだん抵抗が激しくなり、グイグイと糸を強く引っ張って海の中を暴れ回っている。それから五、六回巻くあいだに急に抵抗がなくなった。「あれ?」清治はてっきりバラしたかと思った。田代はまだ海の中を覗き込んでいる。また巻くと、おとなしかった魚が息を吹き返して暴れた。
相手も生きるか死ぬかの瀬戸際だ。おいそれと釣られる気はない。格闘の末、海中三メートルくらいのところまで上がってきて長い体がキラリと光った。
「やった、本命の太刀魚だ!岡ちゃん、横に逃げられないように、真下に寄せるんだ」
清治には言われた通りにする技術などない。「栄ちゃん、やってよ」と頼んでも、田代は清治の竿を受け取るのを拒否してタモ網を伸ばしている。魚が全身の姿を現したのを目の当たりにして、二人一緒に叫んだ。
「おおっ、デカっ」
田代が「入るかなあ」と首を捻りながら網の先を海の中へ入れていく。清治はおどおどするばかりで手をこまねいているしかなかった。
三度ほど逃げられたあとで、尻尾の方から網で掬ってようやく捕獲した。あとは網を引き上げるだけだった。ところが、獲物をするすると上げている途中で、ベキっという鈍い音がした。
あまりの重さにタモ網の柄が耐え切れずにひびが入ったのだ。真下から引き上げるのが基本なのに、未熟な清治が桟橋の近くに太刀魚を引き寄せられなかったことが原因だった。田代はやっとのことで網を桟橋の上に引き上げた。
ルアーの針は上あごの内側に掛かっていた。清治が無防備に針を外そうとした時、「口の中に指を入れると噛まれるよ」と田代が大声でとめた。不揃いでギザギザの歯がいまにも清治の指を傷つけそうだった。針外しは田代にお願いするしかなかった。
清治は魚を横に寝かせてみた。田代が巻尺で体長を測ると百二十五センチもあった。スタッフがまたしても知らぬ間に寄ってきて写真を撮った。続いて、田代に言われるまま太刀魚の横幅に手を重ねてみた。指が六本分だった。
「F六のドラゴンだ!」
田代が驚嘆の声を漏らした。




