第11話 支配人との面談(性格と認知症)
「岡谷さん、あなたが歩んでこられた人生は立派なものです。誰もケチをつけることなんてできません。心配しなくても、認知症になったからと言って、世間はあなたを見下したりしませんよ。だって、それは脳の病気なんですから」
清治は力が抜けてソファーの背もたれに体を預けた。「そうは言ったってなあ」と独り言のように言って、残りのコーヒーを飲み干した。
「仮に将来認知症を発症するとしても、どういうボケ方をするのかを今のうちに予測できないものですかね?血液型や脳の検査とかで」
それが分かれば、息子の宏也に覚悟を決めておくよう伝えることができると思った。
支配人は清治の胸元から目を離さないまま、しばし逡巡した。自分の立場上、本来なら個人のことに踏み込むべき類の話ではない。
だが、相手が清治だからこそと腹を決め、先に確認を求めることにした。
「私は認知症の専門医ではありませんので、これからお話しすることは、グランドライフビューの支配人から聞いたと外で言いふらさないでくださいよ。よろしいですか?」
清治は一瞬構えたあと、真面目な支配人が常識外れのことを言うはずがないと思って応諾した。
そこへ、事務職員の高山真穂がドアをノックして入ってきた。コーヒーカップを下げて熱い日本茶を出す気遣いが嬉しい。支配人に何かを耳打ちする素振りも見せず、「ごゆっくり」と微笑んで下がっていった。
「さて、本題の認知症のことなんですけど。認知症にはアルツハイマー病、脳血管性、レビー小体型などがあると言われています。あるいは併発の場合もあります」
勿体つけられた割には教科書的な話が始まって、清治は多少がっかりした。
「私でもアルツハイマーという名前くらいは知ってます。じわじわ進行する病でしょ?」
清治は、内田さんがそうなのかと訊こうとした。直接名前を口に出して確認するのはさすがにはばかられ、とっさに呑み込んだ。
「そうです。認知症の種類によってそれぞれ症状に特徴がありますし、共通するものもあります。岡谷さんがおっしゃったボケ方の予測、いやいや、私の立場でボケなんていう言葉を使っちゃいけませんね。……現れる症状について、一般的に言われていることではなくて、特に岡谷さん個人について私が危惧するところをお伝えしてみようと思いますが、構いませんか?」
清治は空気が一変したのを肌で感じた。支配人が自分の何を危惧しているのか、何を根拠に語ろうとしているのか皆目見当がつかない。とにかく聞いてみるしかないと腹を括った。
「ええ、そうしていただければありがたいです。どうぞご遠慮なく」
支配人が持論を展開する準備が整った。
「岡谷さんは、常に他との競争をしてきた人生で、性格は負けず嫌い、でしたよね」
「はい、その通りです。そういう性格を自覚していて、経歴書の端っこに書きました。ちょっと正直すぎましたかね。しかし、支配人はつまんないことをよく覚えてるもんですね」
「すみません、ここに来る前に、岡谷さんの経歴書を読み直しておいたもので」
清治は背筋が寒くなった。相手は自分の何もかもを知っている。
「認知症の症状は生まれつきの性格ももちろん影響しますが、長年仕事をしてきた職場環境に作用されると思っておかれたほうが良いと思います。岡谷さんの現役時代は、まだパワハラという言葉のないころですから、負けず嫌いの延長で相当無理をしてまで強い言い方をしたこともあったでしょう。無理をした時の勢いを頭の中に残したままでおられるなら、認知症になったときに顕著に現れる確率が高いと思われます」
清治は暴言についての心当たりがあった。ただし、認めるのはもう少し話を聞いてからにしたかった。
「支配人は、どこでそういう因果関係を学んだのですか?」
「失礼しました。先にそれを申し上げておかなければいけませんでしたね。私は、老人保健施設で認知症専門のフロアを担当したことがあるんです。そこで、個々の症状の方々は、認知症になる前はどんな性格の人だったんだろう、と深い関心を抱きました。のちに、縁あって元気なうちから入居する介護付き有料老人ホームに転職し、認知症になった人はそれ以前はどういう性格だったのか、という情報を集めて症状と照らし合わせてみたんです」
「データを細かく分析して、驚くべき事実を発見したということですね」
清治は大げさに言った。
「いやあ、この病気はそんなに簡単なものではありません。結果として、多くの症例別に因果関係をグループ化することは困難でしたし、一概にああだこうだと決めつけるわけにもいきませんでした。でも、過激な性格の人が認知症になった場合は、なる直前の性格が保持されるという特質を掴んだんです。それを裏付けてくれたのは、『おじいちゃんは若いころはすごく優しかったのに、精神的にきつい職業に就いてから荒々しい性格に変わってしまって、呆けてもそのままだわ』という家族の嘆きでした」
「そんなのは、たった一人の例だけでは決めつけられないと思いますが」
清治は抵抗したくなった。自分が行く道だとは信じたくない。
「そう思われて当然です。私は同じような症状の方々のご家族にお訊きしたのです。昔からああいう性格だったのですか、と。その答えを踏まえた上で、確率という観点から申し上げているんです」
支配人は満を持して言った。
「岡谷さん、大変恐縮ですが、自分の中に嫌な性格が染みついているとしたら、それを今からでも直す努力をしてみませんか?」
「はあ?」
清治にとってみれば、突拍子もない提案だった。
「性格を直すと言ったって、生まれつきの性格はそう簡単に変えられるはずがありません。仕事のノルマ達成などのために、ストレスを感じつつ過激な言葉を発した時の気持ちを覚えておられますよね。それを自分本来の性格に上乗せさせたままにしておかないで、人間らしい自分を取り戻そうということなんですよ」
清治は性格が鬼に変貌したと恐れられていた時代を忘れてはいなかった。支配人の言う上乗せの意味は理解できた。
「本来の人間らしい自分を取り戻すことができれば、認知症になるかならないかにかかわらず、平穏な老後の日々を送ることができます。それだけでも御の字じゃないですか。仮に重度の認知症になったとしても、感情を爆発させて家族や介護する職員に怒鳴ってしまう恐れが小さくなります。繰り返しになりますけど、頭が正常に働くうちに、自分に染みついた上乗せの嫌な性格を、少しずつでも削ぎ落とす努力をしておいたほうがいいと申し上げているのです」
清治は、うーんと唸って、両手を組んで頭の上に乗せた。ずいぶんなことを断定的に言われてしまった。俺を誰だと思ってるんだ。ネイビーのネクタイが憎らしくなり、だんだん興奮してきた。
「でも、削ぎ落とすって、どうやって?」
イライラした口調で、テーブルの脚をドンと蹴とばした。
「ほらほら、もう怒っていらっしゃるじゃないですか。削ぎ落とすとは、そういう怒りを意識的に抑えることを言うんです。抑えているうちにいつしかそれが当たり前のことになります。岡谷さんが本来の心に戻れば、少々のことでは蹴とばさなくなると思いますよ」
黒縁の高級メガネが憎たらしく見えた。あんたが回りくどい言い方をするから余計にイライラするんだ、と口元まで出かかったのをぐっと抑えた。その場で自分の主張や意見を表明するのは困難で、支配人の森山理論を受け入れるにはもう少し時間が必要だと感じた。
話が途切れたところへ、プルルプルルという優しい音が聞こえてきた。部屋の入口にある内線電話が点滅している。
「失礼します」
支配人が立って受話器を取った。
「えっ、容体が急変した?」
診療所の看護師からのようだった。臭い猿芝居とは次元が違う。二人は挨拶もそこそこに部屋を出た。




