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第10話 支配人との面談(認知症の不安)

 支配人が口を開こうとするのを制して、自ら切り出した。

「このホームに対する不満はありません。各職員さんは明るく接してくれますし、よく頑張っていると思いますよ。強いて挙げれば、退職する人が多いことぐらいですかね」

 清治にホームを攻撃する意思がないことを認めて、支配人はフッと息を吐いた。

「さすがは岡谷さんです。おっしゃる通りで、特に看護・介護職員の離職が多く、定着率が低いことが当ホームの、いえ、医療福祉業界の悩みなんです」

 離職はどの業界でもよくある話だ。うんうんと頷いて、次の提案をした。

「ならば、人材派遣を利用したらいかがですか。私が社長をしていた自動車関連企業では、派遣会社に依頼して働く人を確保しましたよ」

 清治は少し得意顔になった。人材確保の話をしたのは久しぶりだった。

「ええ、おっしゃる通りなんですけど、介護福祉士等の資格者の派遣は、一年単位で計算すると正社員より相当高くついてしまうんです。難しい資格のいらない運転手や清掃員などなら、それほどでもないんですが」

 支配人は額にしわを寄せていた。とっくに検討済みの対策なのだろう。言われてみれば、清治が雇った派遣社員は、資格が不要な現場要員がほとんどだった。

「支配人、雇用難というのはよくわかりました。サービスの質の向上と保持のためにも、職員さんたちの定着率が上がるよう、ご尽力ください」

 清治は一礼して席を立とうとした。いかんせん、話題がないのだ。それに、ホームのトップを勤務中にいつまでも拘束するべきではないと考えた。

 清治の現役時代は、長尻の来客があった場合、メモを持った部下が応接室のドアをノックして入室し、何事か耳打ちする真似事をさせた。やにわに慌てた様子を見せれば、よほど鈍い客でもない限り、大体は帰り支度を始めるものだ。

 清治は中腰のまま支配人の様子をうかがった。時間を気にする様子などなく、悠然と座ったままだ。ここは時計の針の進むスピードが違うのか、と錯覚した。再度椅子に腰を下ろして深く座り直した。

 差し障りのない話題として、ここの入居者に外からの来訪がどの程度あるのか尋ねてみた。

「岡谷さんは、入居された当時はたくさんお客さんがありましたよね。他の方々も似たり寄ったりで、多いのは最初だけなんです」

 よく見ているな、と清治はあご髭を撫でた。

「最初のお客さんが落ち着いてからはどうですか?」

「人によって違います。ご家族がよくお見えになる方や、だーれも訪ねて来ない人もいます。そうだ、毎年同窓会が開催されて、教え子さんたちが集まってくれる入居者もいらっしゃいますよ。レストランの特別会席を利用されましてね」

 清治は内田さんのことだとすぐに分かった。

「そうそう、私も女性ばかりの同窓会に遭遇したことがあります。でも、私の場合、そんなものは開催してもらえそうにありません。昔の部下は一度だけ付き合いで来てくれましたけど、私に会いに来たというよりも、このホームを見たかっただけなのだとあとになって気が付きました。だって、それっきり連絡もよこしませんから。仕方がないですよね。人事権や決済権もないただのOBなんて、どうせ赤の他人と同じなんでしょうよ」

 支配人は、清治の卑屈な物言いに首を傾げた。経歴からすれば、もっと堂々とした人物であると想像していた。自暴自棄になる必要はないし、まだまだこれからですよ、と励ましかけた矢先に清治が話題を変えた。

「ところで、私はここで最後までお世話になるつもりなんです。いくら介護付きと言ったって、認知症にはなりたくありません。どうしたらその病気にならずに済むんでしょうか」

 清治は内田さんの病気が気に掛かっていた。昔の部下が訪ねて来る確率は低いにせよ、もしものときに認知症になった姿を見せたくない。息子や息子の将来の嫁、孫たちにも威厳を保ったまま死にたかった。

「それは、高齢者の誰もが恐れていることですよ。日本では六十五歳以上の認知症の発症率は五人に一人だと言われています。認知症にならないための予防は、バランスの良い食事、適度な運動、積極的な交流などいろいろあります。でも、それらで完全に防げるかというと、答えはノーなんです」

「じゃあ、運が悪かったと諦めるしかないのですか。あと何十年かすれば、医学の進歩が助けてくれるかもしれませんね。それはさておき、認知症にもいろいろあると聞いておりますが」

 どう頑張っても認知症になる確率がゼロにならないのだとすれば、特徴的な症状くらいは理解しておきたくなった。

「そうですね、私は介護業界に長く身を置いてきましたので、いろんな症状の人と接してきました。職員を泥棒呼ばわりする人、やたらと怒鳴る人、食べたことを忘れてもう一度食堂に食べに来る人、過去の記憶をすべて失っている人、反対に、新しいことは頭に入らないのに、昔覚えたことはスラスラ言える人など。それぞれ十人十色どころか、百人百様とはよく言ったものです」

 続けて、自分が何かを正しいと思い込んでいる人に対しては、その人が言っていることが真実だとして対応することが肝要だ、という意味のことを現場目線で語った。

「私は、頑張って積み上げてきたプライドが霧消しないような最期を迎えたいんです」

 清治は訴えるかのごとく前のめりになっていた。

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