プロローグ~第1話 高級有料老人ホーム
東京湾奥にある千葉県市原市の海釣り公園は、秋のベストシーズンを迎えて、朝早くから多くの釣り客で賑わっていた。平日の水曜日だというのに、六時の営業開始から一時間もしないうちに桟橋は満員になっている。
千葉側の先端に若者や中年に交じって釣っている老人がいた。七十八歳の田代栄輔という男で、かくしゃくとして竿を振る姿は、常連からの憧れの的だった。田代の技術はただ遠くに飛ばすだけでなく、狙いどころの一点にルアーを落とす正確性、キャスト面で秀でていた。どんなに混みあった釣り場でも、自分の釣り糸を他の釣り客の糸に絡ませることはなかった。
この日はあいにく朝から降ったり止んだりの天気だったが、田代には関係なかった。経験的には雨の日のほうが大物を釣ったことが多かった。遠くの釣り場には出かけず、長年自宅から近い海釣り公園に絞って釣行を重ねる中で、季節、天気、潮、時間帯、釣り場所などによるデータが頭の中に蓄積されていた。
田代がルアーを投げ始めて五十回目くらいのことだった。ペンシル型の大きめのサイズで全くアタリがなく、次はどのルアーに付け替えようかと考えた瞬間、ガクガクッと強い引きが来た。
田代が釣り人生で体験したことのない激しくて獰猛な引きだった。リールから糸がギイギイと出ている。竿を持つ手がブルブル震えた。緊張して震えたのではなく、魚の激しい抵抗にあって震わされたのだ。
自分も竿ごと海の中に引きずり込まれるのではないかと思うほどの強烈なパワーだった。糸は桟橋の手前に引っ張られ、魚は自分の立っている真下に潜り込んでいるのが分かった。
釣り公園のスタッフが駆け寄ってきて、「橋脚に糸を巻き付けられたら切れてしまいますよ。獲物を橋脚から離して」と興奮気味に大声を出した。
田代はその言葉通り、竿を斜めに立てて格闘した。いつの間にか人だかりができて、「頑張って!」と声がかかった。海面まで魚を寄せた時、スタッフが備え付けの竹のタモ網を使って捕獲した。
桟橋の上に上がった正体を見て仰天した。身がはち切れんばかりの見事なブリだった。周りから自然に拍手と歓声が沸き起こり、それを聞いた遠くの人たちも何事かと走って来た。即座にスマホを取り出して写真を撮っている人もいる。
「岡ちゃん、あとで持って行って見せてあげるよ」
田代は嬉しそうに友の名を呼ぶと、その場にへたり込んだ。その友は、今日も小川でサビキ釣りの竿を出している。
*
海釣り公園から車で四十分くらいの所に、介護付き高級有料老人ホームがあった。ホームの名前は「グランドライフビュー」で、一年前にオープンしたばかりだ。まだ空いている部屋はたくさんある。何しろ庶民が簡単に出せるような入居金額ではなく、入居できる人は一部の富裕層に限られていた。
岡谷清治がこのホームに入居することを決めたのは、老後の介護を心配したからではない。元頭取の葬儀で昔の同僚と久しぶりに顔を合わせた際、一日中名門ゴルフ場を眺めて暮らせる高級な有料老人ホームが、千葉県の市原市にできたらしく、そこに入居できる人が羨ましいという話を聞いたからだ。
それまで住んでいた都内のタワマンを処分して引っ越すまで、三か月もかからなかった。
清治が買った部屋は南西向きの九階の角部屋で、1LDKだった。リビングが広く、一人で住むにはもったいないくらいゆったりしている。ベランダからは絨毯を敷き詰めたような美しいフェアウェイが一望できて気持ちが良い。
ところどころに白い砂が見えるのはコースの戦略性を高めるバンカーで、ゴルフ好きにはたまらない景観が眼前に広がっていた。
買ったと言っても所有権があるわけではなく、自分の人生が終わるまでの利用権を取得する契約を結んだということだ。入居金額は約六千八百万円。十五年以内に退去した場合は、一定額を引いたあとの日割り計算で返済金がある。
総戸数は百二十戸で外壁は明るいベージュの八階建てだ。六十五歳以上の高齢者が元気なうちに入居して、要介護状態になっても退去する必要はなく、最後まで世話をしてもらえる。
エントランスのセキュリティは万全で、診療所と介護個室の併設に加え、看護師、介護士が二十四時間常駐している。食事はレストランでも取れるし、有料だがルームサービスもある。人工温泉の大浴場も完備しており、趣味を活かせる共用スペースを含めてまさに至れり尽くせりだった。
大銀行の子会社で社長まで務めた清治は、入居金額に躊躇することなく、契約書にサインをした。
四月に引っ越して新しい生活の第一歩を踏み出したころ、毎年年賀状を書いているメンバーに転居ハガキを送付した。
東京駅から快速に乗れば最寄り駅まで約一時間という近さもあって、彼らは入れ替わりで訪ねて来た。共用スペースはホームの事務職員に案内してもらい、自分の部屋は隅々まで自由に見せた。
皆が息を呑んだのは、清治の想像した通り、ベランダからの開放的な景観だった。特にゴルフ好きの連中には眼下に広がる緑の芝生が垂涎の的らしく、ビールのグラスを片手にそこから離れようとはしなかった。
「ここは介護付きで死ぬまで面倒を見てくれるそうだ」と他人事のように説明した時には、全員が羨望の眼差しを向けてきた。
「岡谷さん、認知症になっても全然安心ですね」
昔の部下の一人が表情を変えずに言った。清治は「要介護」ならともかく、「認知症」という言葉を使うのが気に入らなかった。いつからこんな失礼な奴になったのか。おまけに、あれだけ社長、社長と媚びていたくせに、今や馴れ馴れしい「さん付け」のオジイサン扱いだ。
清治の腹の虫が治まらないのをなだめようとしたのか、同期入社の相田がニコニコしてそばに来た。
「岡谷、いいとこに入ったなあ。俺もここに入りたくなっちゃったよ。多喜ちゃんも一緒に入居したら喜んだだろうなあ」
相田は亡くなった清治の妻を思い出すかのように遠くを見た。清治が一つ年上の島田多喜子と職場結婚をしたのは、相田からの紹介がきっかけだった。厳密には紹介ではなく、多喜子が清治に惚れて仲介を依頼したのだ。
相田は結婚式でお祝いのスピーチを引き受け、清治夫妻が自宅に招待するほどの昵懇の間柄だった。その後、お互いに子供が生まれてからは次第に行き来が減っていた。
多喜子がこの世を去ったのは十二年前で、還暦を迎える直前のことだった。
見学者ご一行様が帰ったあとは、形ばかりのお土産が残された。甘いお菓子の詰め合わせだ。清治は持て余して事務管理室にいる支配人のところに持参した。ホームでは入居者からの付け届けは禁じられている。
そうは言っても、例外はどこにでもあるものだ。受け取ってもらえなければ捨てられる運命のお菓子は、誰からとは明かされずに各職場に配られた。
ホームへの来訪は入居三か月後の六月末で一段落した。清治はそれとともに時間を持て余し始めた。
設備が豪華な有料老人ホームと言っても、全員が日中を共用スペースで過ごすわけではない。外部のサークルへ参加する人もいれば、部屋から出ずに人とかかわらない生活をする人もいる。
また、中には海外旅行をしたり、豪華客船で長期のクルーズ旅行に出かけたり、ゴルフ場のメンバーになってプレイを楽しんだりとリッチに過ごす人たちもいた。
清治は誰とでも友達になれるタイプの人間ではなかった。支配人の森山功は早くからそれを見抜いて、気軽に声をかけてきた。
「岡谷さん、これだけたくさんの入居者がいらっしゃるんですから、一人くらいは気の合う方が見つかると思いますよ」
清治は、「お気遣いありがとうございます」といつも生返事をした。
人を見上げたり自分を落としてまで付き合う気は全くなかったし、自分のようなプライドの高い者に合う人はそうそういるものではないと端から諦めていた。




