オルゴール時空店
ベートーベンの『エリーゼのために』が、他のメロディーに混じって流れはじめた。
老店主はレジカウンターの内側で、椅子に腰かけて商品の手入れをしていたが、胸に下がったグラスコードに手をやり、顔を上げながら耳にかけた。
そこには賑わう店内の家族連れやカップルたちに紛れて、いつもの少年がいつもの棚の前にいた。そして通路のあちこちに置いてある三十センチほどのステップに立ち、そのオルゴールの蓋を開いて聴き入っている。
その商品ブランドは、ひとつ一つ手作業で音色の調律がされており、メロディーの速度最適化と低音・高音の響きに他ブランドと一線を画したこだわりがある。いうまでもなく彼のおこづかい程度では、とても購入できるものではない。
少年は二ヶ月ほど前から決まって、日曜日の昼下がり、この”オルゴール時空店”にいつも一人でやってきた。
レジをパートタイムに任せて、老店主は少年の傍に行って話しかけた。
「よほど、そのオルゴールが気に入ってくれたようだね」
彼はびくりと振り返った。「あ……、すいません」いって、パタリと蓋を閉じた。
「あぁ、いいんだよ。聴いていてくれて。……好きなのかなベートーベンが。それとも曲?」
「あの、その……」
あまり要領を得ない少年の話を要約すると、現在、父親と二人で店から電車で三駅離れたアパートに住んでいる。母親は職場でのストレスによる精神疾患で、入院が半年ほどになるようだ。だが、父親の収入だけでは生活は苦しく、少年も新聞配達をして家計を助けているという。
また、彼の母親は幼いころからクラシックバレエをしていて、数々の舞台でその演舞を披露していて、特に思い出の曲が『エリーゼのために』。昔話を時折聞かされていたようだ。
「そのオルゴールをお母さんにプレゼントしたいのかな」
老店主はプライスカードに目をやりながら訊いた。そこには五桁の数字が並んでいる。
「お母さんに少しでも元気になってほしくて……」少年は俯いて応えた。
白髪の店主は天井を見上げたあと彼に視線を戻した。
「君は分割払いというのを知ってるかい」
少年は首をかしげて顔を振った。
「毎月千円、新聞配達のお給料が出たらここに持ってくる。それを三年二ヶ月続ければ支払いは終わりだ。わかるかな」
彼は小さく頷いた。「わかります」
「じゃあ、特別にそのオルゴールを売るよ。男同士の約束だ、いいね?」
少年は大きく首肯すると、きらきらとした瞳を店主に返した。




