2.
ボロ屋敷は外観とは違い、中は思ったより傷んでいなかった。
「これは腕が鳴るなぁ!」パパが嬉しそうに言う。
ママは心配そうに言った。「無理はしないでねあなた。あぁ、そうだったわ! 壁紙だけは私に選ばせてよね」
私は二人を無視して中に入り、玄関の右側近くにあった部屋のドアを開けた。
そこは地下室への入口だった。光源はないかと私は手探りでスイッチを探し、見つけたスイッチを押してみた。
点滅しながら裸電球に明かりが灯る。
地下から湿った土とカビの混ざった臭いが、階段の上にまで立ち上ってきた。
覗き込むと暗闇だけが静かに地下から這い出てきそうな空気を感じて慌ててドアを閉めた。
廊下を歩くとギシギシと嫌な音がした。クロエとノアは楽しそうに走り回っている。
地下室の隣は二階への階段が続いている。
その隣はランドリールーム、左手側はリビング、ダイニング、キッチンと続いていた。そして一番奥がバスルームだった。
リビングルームにもう一部屋続くドアがあった。私はその部屋のドア開けて中を見回した。一体何の為の部屋なのか疑問に思っていると、背後からパパが楽しそうに言った。
「この部屋はパパの仕事部屋なんだ。ここで思う存分絵を描くんだよ」
浮かれるパパとは違い、私は無言でその場から去り、二階へ続く階段を登った。
一階と同じく廊下の突き当りにバスルームがあり、廊下を挟んでそれぞれ部屋がある。
一番大きな部屋に入ると、窓辺に近い場所にまたドアがあった。
私はそのドアを開けて中を覗き込む。他の部屋より幾分小さな部屋で、多分子供部屋なのだろう。廊下側に通じるドアも付いていた。
私はまた廊下に出て向かいの部屋のドアを開けた。バスルームに一番近い部屋だ。この部屋を私の部屋にしよう。
他にはゲストルームに使えそうな部屋が二部屋もあった。
廊下から見える窓の外の風景を見ていたら、階下からママが私を呼ぶ声がする。
「エミリー、降りてきなさい。昼食にしましょう!」
階下に降りるとママがリビングルームにレジャーシートを広げ、そこに作ってきた昼食の入ったバスケットを置いて、サンドイッチや果物を取り出している。
私は無言でシートに座り込む。家中を走り回っていたクロエとノアがやってきた。パパはキッチンから出てきて頭を掻いている。
「ガスは通ってるみたいだけど、何せ古いコンロとオーブンだから点いたり消えたりするよ。ちょっと業者に電話してみるよ」
パパがスマホを取り出して検索し始めた。すぐに修理業者に電話をして修理を頼み込んでいる。
私はそれを見ながらビーナッツバターがたっぷり塗ってあるサンドイッチを頬張った。
パパはウォール街で培った交渉術で何とか業者に今日中に来てもらう約束を取り付けた。
「ローラ、夕食には間に合いそうだよ」パパが言う。
「さすが元凄腕証券マンね。さぁ、あなたも食べて」
ママに促され、パパもシートに座った。
「家具はいつ届くの」私が尋ねると、パパが答えた。
「もうそろそろ来るはずだよ。それより自分の部屋は決めたのかい?」
パパが見透かすように尋ね返してくる。
「私は二階のバスルームの近くの部屋に決めたわ」
それを聞いたクロエが途端に頬を膨らませる。
「なんでお姉ちゃんが一番先に決めるの? 私が一番がいい!」
クロエが不服そうに床を叩く。ママは行儀よくしなさいと静かに窘めた。
「それはね、お姉ちゃんが一番最初に生まれたからだよ。でも次はクロエだから好きに選びなさい」パパの言葉にクロエが気色ばむ。
「私が決めていいの? どの部屋にしようかな! 私見てくる!」
食べるのもそこそこに、クロエは二階へ上がっていった。
引っ越しの業者はパパが言うとおり昼食を終える頃にやってきた。
パパとママはテキパキと指示を出して家具が収まるべき場所へと運ばれていく。
作業が半分ほど進んだ時に、今度はガスの修理業者がやってきた。二人組で、背が低くてずんぐりした体型の顔半分が髭に覆われてるおじさんと、背は高いけど痩せっぽちで赤ら顔の落ち着きのない青年で、二人はしきりに家の中を警戒するようにあちこち見ていた。
「早くに来てくれてありがとう! ニューヨークだったら一週間はかかるところだ」
パパの大げさな歓迎にも二人はさして反応しなかった。
髭のおじさんは必要最低限の言葉をボソボソ話すと、キッチンに向かった。
ママの方を見るとガスコンロとガスオーブンが直る過程を監視するように、彼らに張り付いていた。あれでは仕事がやりづらいだろうと、私は少し同情した。
「エミリー、パパと一緒に町に行って買い物してきてちょうだい。買うものは全部リストアップしてあるから」
ママは視線も寄越さずジーンズのポケットから紙切れを取り出すと私に渡してきた。
町に行くなんて嫌だと訴える前に、パパが私の肩を抱いて家を出た。
「町の様子を見るのも良いと思うよ。夏休みが終わったら学校に行かなきゃならないからね。その前に町のことを知っておいて損はないよ」パパが家の前に停めた車に乗り込みながら言った。
私は渋々車に乗り込んだ。ママの料理はとても美味しい。その料理にありつくには空っぽの冷蔵庫を食材で満たしてやらなければならないのだ。
パパはまたスマホをハンドル近くにセットすると、地図アプリを開いて目的地を設定する。ずっとニューヨークで住んでいると、そもそも車を使う機会なんて早々ないからこの町では地図が必須だ。
うんざりしつつ、私は助手席のシートに体を沈めた。