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囁く家  作者: 西蜜梨瓜
12/13

12.




 翌日。朝食を終えると、ママは静かに二階へ上がっていった。

 クロエとノアは、いつものようにパティオから庭へ出て遊び始める。


 ほどなくして、二階からママの声が響いた。


「あなた! ちょっと来てくれない?」


 パパはあからさまに面倒そうな顔をして立ち上がり、階段を上っていった。


 私はすぐさま地下室へ向かう。

 ドアを開けた瞬間、初日に感じたホコリとカビの混じったにおいが鼻を突いた。

 足早に階段を下りると、私は思わず息を呑んだ。


 そこには、パパが描いたと思われる絵が無数に置かれていた。

 それ自体が異様なのではない。問題は――それらが、私の見た悪夢とまったく同じだったことだ。


 斧で首を切られた女性がベッドに横たわる絵。

 血まみれで床に倒れた小さな男の子。

 逃げる間もなく殺された家族の姿が、あまりにも生々しく描かれている。


 私はその絵から目を背け、地下室に異常がないかを調べ始めた。


 棚には、絵の具やパレットナイフなどの画材がぎっしり並んでいる。

 私はレンガ造りの壁に手をやり、軽く叩いて音の変化を探る。


 ――コンコン、コンコン……


 移動しながら、壁を叩き続ける。


 ――コンコン……コーン、コーン。


 ――ここだ。


 私の腰より少し下。音が明らかに違う。

 狭い範囲だが、棚がわずかにかぶさっている。


 私は力を込めて棚を押し動かす。

 剥き出しの土がざらついた音を立て、埃が舞い上がる。


 お願い、二階まで音が聞こえていませんように――


 汗だくになりながら棚をずらし、私はパレットナイフを手に取った。

 ナイフの刃先でレンガの境目を突く。


 最初はびくともしなかった壁が、次第にもろくなり、境い目から欠片が剥がれ落ち始める。

 私は夢中でナイフを差し込み、一つ目のレンガを取り外した。


 中は真っ暗で何も見えない。

 私はレンガの上段をナイフの柄で叩く。亀裂が入り、ゴトリと落ちた。


 要領を得た私は、次々とレンガを取り外していく。

 やがて、そこには土壁で塞がれた空間が現れた。


 その土壁には、奇妙な模様が描かれている。

 私は恐る恐る、パレットナイフを突き立てた。


 ――ドサッ。


 土壁が一気に崩れ落ちる。

 私はTシャツで鼻と口を覆い、土煙の中に目を凝らす。


 そこにあったのは、見たこともない――いや、人の形に凝縮されたような、異形の壺だった。


「何してるのお姉ちゃん」


 ビクリとして顔を上げると、階段の途中にノアが立っていた。


「ノア……こんな所に来ちゃダメでしょ。お庭で遊んでなさい」


「あのね、森にいるカイルがダメだって言うの」


「何が?」


「“あの家族”を死なせちゃいけない、って。でもね、僕はお友だちが増えたほうが楽しいと思うんだ。“お姉ちゃん”」


 私は、その一言で確信した。――ノアはノアじゃない。

 本当のノアなら、私のことを“ねぇね”と呼ぶはずだから。


「……あなた、リッキーね?」


「そうだよ。お姉ちゃんは、どうしてこの家の言うことを聞かないの? 言うとおりにすれば、僕たちみたいに楽になれるのに」


 私はゆっくりと階段に近づいた。壺をしっかりと握りしめながら。


「上に行くの? ダメだよ。それを元に戻さなきゃ、戻れないよ?」


「どいてリッキー。……いい子だから」


 リッキーは突然、大声で笑い出した。


「ごめんね、お姉ちゃん! 僕、悪い子だから言うこと聞けないや」


 そして悲鳴を上げた。


「パパー! 助けてパパー! ねぇねがパパの絵にいたずらしてるー!」


 嘘を叫ぶリッキーに私は舌打ちし、階段を駆け上がろうとする。

 だが、彼は私の足を掴んで離さない。


「離して! 離しなさい!!」


 リッキーはニタニタと笑っている。その力はとても五歳児とは思えなかった。


 そのとき――階段を降りてくる足音が聞こえてきた。


 私はロザリオを胸元から取り出し、リッキーに向けて突きつけた。


「手を離しなさい! ノアの体から出ていけ!」


 リッキーは叫び声を上げ、階段から転げ落ちた。

 大きな段差ではない。きっと怪我で済んでいる――そう信じて私は一階を目指した。


 階段を這うようにして登り、玄関へ向かう。

 背後から、パパの怒号が響く。


 私は玄関を開け、壺を抱えたまま外へ飛び出した。

 森に入れば、時間が稼げる――そう思った。


 けれど、私とパパの足の長さではあまりに差がある。

 すぐに、後ろから腕を掴まれた。


「それを返せ!」


「いやよ! 離して、パパ!」


 パパは私を羽交い締めにする。

 そこへママが駆け寄り、彼を引き剥がそうとした。


「やめて、あなた! お願い、戻って!」


 ママの涙声は、パパの耳には届かない。

 悪魔のような形相で、壺を奪い取ろうとしてくる。


 私は叫んだ。


「私は主に守られている! 立ち去れ、邪悪なものよ!」


 ロザリオが胸元で熱を帯びる。


「ママ! ロザリオを、パパの額に!」


 ママは言われた通りに、ロザリオをパパの額へ押し当てた。


 ジュッ――。


 肉の焼ける嫌な匂いとともに、パパの額から煙が上がる。

 パパの力が緩んだ隙に、私は森の中へ駆け出した。


 走って、走って、ただひたすらに走った。

 息が切れて、胸が苦しくなる。


 ついに膝をつき、私は壺を掲げて叫んだ。


「私はかつて、あなたを信じることをやめた。でも今は違う。この闇に、私は負けない――父と子と精霊の御名において。主の光のもとに退け! 聖なる炎が、おまえの闇を焼き尽くす!」


 そして壺を地面に叩きつけた。


 耳を裂くような叫び声が森全体に響き渡る。

 私は壺の破片に小瓶から聖水を振りかけた。


 さらに激しい絶叫が、森を支配する。


 私はロザリオを握りしめ、ひたすら祈りを捧げた。


「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできる!」


 森を駆け巡る悪魔の声に負けないよう、私は何度も叫んだ。


「私を強くしてくださる方によって――!」


 どれだけの時が経っただろう。

 ママの呼ぶ声が、意識の底から私を引き戻す。


「エミリー! 大丈夫よ! もう大丈夫……!」


 ママに抱きしめられながら、私は泣き崩れた。


「ママ……パパは?」


「ええ、たぶん元に戻ったわ。あなたが壺を壊したとき、パパはその場で気を失ったの」


 ママは強く私を抱きしめた。


「もっと早くにあなたを信じていれば……ごめんなさい。でも言わせて。あなたを産んで良かった。私の自慢の娘よ、エミリー」


 私は気が抜けて、ママの腕の中で泣き続けた。


 やっと信じてもらえた。

 やっと認めてもらえた。


 それだけで、胸がいっぱいになる。


 ――もう二度と、この家族を壊させはしない。


 私は、強くそう誓った。




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