12.
翌日。朝食を終えると、ママは静かに二階へ上がっていった。
クロエとノアは、いつものようにパティオから庭へ出て遊び始める。
ほどなくして、二階からママの声が響いた。
「あなた! ちょっと来てくれない?」
パパはあからさまに面倒そうな顔をして立ち上がり、階段を上っていった。
私はすぐさま地下室へ向かう。
ドアを開けた瞬間、初日に感じたホコリとカビの混じったにおいが鼻を突いた。
足早に階段を下りると、私は思わず息を呑んだ。
そこには、パパが描いたと思われる絵が無数に置かれていた。
それ自体が異様なのではない。問題は――それらが、私の見た悪夢とまったく同じだったことだ。
斧で首を切られた女性がベッドに横たわる絵。
血まみれで床に倒れた小さな男の子。
逃げる間もなく殺された家族の姿が、あまりにも生々しく描かれている。
私はその絵から目を背け、地下室に異常がないかを調べ始めた。
棚には、絵の具やパレットナイフなどの画材がぎっしり並んでいる。
私はレンガ造りの壁に手をやり、軽く叩いて音の変化を探る。
――コンコン、コンコン……
移動しながら、壁を叩き続ける。
――コンコン……コーン、コーン。
――ここだ。
私の腰より少し下。音が明らかに違う。
狭い範囲だが、棚がわずかにかぶさっている。
私は力を込めて棚を押し動かす。
剥き出しの土がざらついた音を立て、埃が舞い上がる。
お願い、二階まで音が聞こえていませんように――
汗だくになりながら棚をずらし、私はパレットナイフを手に取った。
ナイフの刃先でレンガの境目を突く。
最初はびくともしなかった壁が、次第にもろくなり、境い目から欠片が剥がれ落ち始める。
私は夢中でナイフを差し込み、一つ目のレンガを取り外した。
中は真っ暗で何も見えない。
私はレンガの上段をナイフの柄で叩く。亀裂が入り、ゴトリと落ちた。
要領を得た私は、次々とレンガを取り外していく。
やがて、そこには土壁で塞がれた空間が現れた。
その土壁には、奇妙な模様が描かれている。
私は恐る恐る、パレットナイフを突き立てた。
――ドサッ。
土壁が一気に崩れ落ちる。
私はTシャツで鼻と口を覆い、土煙の中に目を凝らす。
そこにあったのは、見たこともない――いや、人の形に凝縮されたような、異形の壺だった。
「何してるのお姉ちゃん」
ビクリとして顔を上げると、階段の途中にノアが立っていた。
「ノア……こんな所に来ちゃダメでしょ。お庭で遊んでなさい」
「あのね、森にいるカイルがダメだって言うの」
「何が?」
「“あの家族”を死なせちゃいけない、って。でもね、僕はお友だちが増えたほうが楽しいと思うんだ。“お姉ちゃん”」
私は、その一言で確信した。――ノアはノアじゃない。
本当のノアなら、私のことを“ねぇね”と呼ぶはずだから。
「……あなた、リッキーね?」
「そうだよ。お姉ちゃんは、どうしてこの家の言うことを聞かないの? 言うとおりにすれば、僕たちみたいに楽になれるのに」
私はゆっくりと階段に近づいた。壺をしっかりと握りしめながら。
「上に行くの? ダメだよ。それを元に戻さなきゃ、戻れないよ?」
「どいてリッキー。……いい子だから」
リッキーは突然、大声で笑い出した。
「ごめんね、お姉ちゃん! 僕、悪い子だから言うこと聞けないや」
そして悲鳴を上げた。
「パパー! 助けてパパー! ねぇねがパパの絵にいたずらしてるー!」
嘘を叫ぶリッキーに私は舌打ちし、階段を駆け上がろうとする。
だが、彼は私の足を掴んで離さない。
「離して! 離しなさい!!」
リッキーはニタニタと笑っている。その力はとても五歳児とは思えなかった。
そのとき――階段を降りてくる足音が聞こえてきた。
私はロザリオを胸元から取り出し、リッキーに向けて突きつけた。
「手を離しなさい! ノアの体から出ていけ!」
リッキーは叫び声を上げ、階段から転げ落ちた。
大きな段差ではない。きっと怪我で済んでいる――そう信じて私は一階を目指した。
階段を這うようにして登り、玄関へ向かう。
背後から、パパの怒号が響く。
私は玄関を開け、壺を抱えたまま外へ飛び出した。
森に入れば、時間が稼げる――そう思った。
けれど、私とパパの足の長さではあまりに差がある。
すぐに、後ろから腕を掴まれた。
「それを返せ!」
「いやよ! 離して、パパ!」
パパは私を羽交い締めにする。
そこへママが駆け寄り、彼を引き剥がそうとした。
「やめて、あなた! お願い、戻って!」
ママの涙声は、パパの耳には届かない。
悪魔のような形相で、壺を奪い取ろうとしてくる。
私は叫んだ。
「私は主に守られている! 立ち去れ、邪悪なものよ!」
ロザリオが胸元で熱を帯びる。
「ママ! ロザリオを、パパの額に!」
ママは言われた通りに、ロザリオをパパの額へ押し当てた。
ジュッ――。
肉の焼ける嫌な匂いとともに、パパの額から煙が上がる。
パパの力が緩んだ隙に、私は森の中へ駆け出した。
走って、走って、ただひたすらに走った。
息が切れて、胸が苦しくなる。
ついに膝をつき、私は壺を掲げて叫んだ。
「私はかつて、あなたを信じることをやめた。でも今は違う。この闇に、私は負けない――父と子と精霊の御名において。主の光のもとに退け! 聖なる炎が、おまえの闇を焼き尽くす!」
そして壺を地面に叩きつけた。
耳を裂くような叫び声が森全体に響き渡る。
私は壺の破片に小瓶から聖水を振りかけた。
さらに激しい絶叫が、森を支配する。
私はロザリオを握りしめ、ひたすら祈りを捧げた。
「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできる!」
森を駆け巡る悪魔の声に負けないよう、私は何度も叫んだ。
「私を強くしてくださる方によって――!」
どれだけの時が経っただろう。
ママの呼ぶ声が、意識の底から私を引き戻す。
「エミリー! 大丈夫よ! もう大丈夫……!」
ママに抱きしめられながら、私は泣き崩れた。
「ママ……パパは?」
「ええ、たぶん元に戻ったわ。あなたが壺を壊したとき、パパはその場で気を失ったの」
ママは強く私を抱きしめた。
「もっと早くにあなたを信じていれば……ごめんなさい。でも言わせて。あなたを産んで良かった。私の自慢の娘よ、エミリー」
私は気が抜けて、ママの腕の中で泣き続けた。
やっと信じてもらえた。
やっと認めてもらえた。
それだけで、胸がいっぱいになる。
――もう二度と、この家族を壊させはしない。
私は、強くそう誓った。




