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囁く家  作者: 西蜜梨瓜
10/13

10.




 早朝、両親に気づかれないよう家を抜け出した。リュックを背負い、スマホのGPSを頼りに森へと分け入る。木々は鬱蒼と茂り、あちこちに細い獣道が伸びている。小川は静かに流れ、緩やかな水音が耳に心地よい。


 思いのほか深い木立に辟易し、一度立ち止まって小川の水でタオルを濡らし、首筋に当ててひんやりとした感触を味わった。短い休憩の後、改めて歩を進める。そんな悠長なことをしている暇はない。


 やがて、コンクリートの道が見えた。息を吐き、小走りで森を抜ける。これで第一関門は突破だ。次は教会へ行くため、バス停を探さなくては。地図アプリで調べると、歩くよりバスのほうが早く着くと分かったからだ。


 町に入ると、ガラスにポスターを貼る本屋の店員が私に気づき、顔をこわばらせた。背後の森を振り返った彼は慌てて店内に引っ込み、私は冷たい視線を痛感する。すれ違う人々も私を見かけると目を逸らし、足早に通り過ぎていく。家族が“呪われた家”から引っ越してきたことが、もう町中に知れ渡っているのだろう。


 スマホの地図を追いながら歩くことしばし、私は意を決して肉屋の奥さんに声をかけた。


「すみません、バス停はどちらですか?」


 まん丸い顔のおばさんは眉をひそめ、こちらをじっと見つめた。


「雑貨屋の横の小道を抜けて大通りに出れば、すぐに見つかるわ」


「ありがとうございます」


 出口に向かった途端、背後でおばさんの友人が小声で囁くのが聞こえた。


「ほら、例の呪いの家の娘よ」


 その言葉を背に受けながら、小道を進んでバス停を探し当てた。時刻表とスマホを交互に眺め、私は安堵の息をつく。しばらくして、バスが予定より少し早くやって来た。


 がらがらの車内に乗り込み、奥の窓際の席に腰を下ろす。運転手は一瞬怪訝な顔をしたが、こちらに身を乗り出すでもなく、発車する。

 窓の外を流れる景色をぼんやり眺めながら、家のことを考える。連絡がない。気づかれていないのか、すぐに戻ってくると思われているのか、それとも私がいなくても問題ないと思われているのか。考えても答えは見つからない。


 教会前のバス停で降りると、青灰色にくすんだ壁、苔むした屋根、尖塔の鐘楼が威厳を放つ聖堂がそこにあった。オーク材の扉を力いっぱい押し開け、靴音を響かせて中へ入る。色とりどりのステンドグラスが薄暗い礼拝堂を輝かせ、正面には厳かな祭壇がある。


「すみません、どなたか……!」


 しばらく声を張り続けた後、奥の扉からひとりの神父様が現れた。


 白い長髭を蓄えた温かな笑顔の“典型的な”神父様――彼はゆっくりと近づき、柔和な声で名乗った。


「ようこそおいでくださいました。私はイライアス・ウィットモアです」


 差し出された手を震えながら握り返し、私は席へと促された。鳩尾が痛む。神父様の前で、あの恐怖を口に出せるだろうか。


「落ち着いて、ゆっくりでいいですよ」


 その言葉に支えられて、私は震える声で切り出した。


「私の家族を、助けてください!」


 家の場所を告げると、神父様は驚いた表情を浮かべたあと、静かに頷いた。


「可哀想に……辛い思いをされてきたのですね」


 私は涙を止められず、リュックからタオルを取り出して頬を拭った。神父様は優しく見守りながら、すべてを聞いてくれた。


 話し終えると神父様が「これから話すことは君にはとても不快で残酷な話になる。それでも話さなければと私は思っているが、よろしいかな?」


 私は頷く。


「過去にあの家に五人家族が引っ越してきた。38年ほど前だ。家族は仲睦まじく、日曜礼拝にも欠かさず来ていてくれた」


 神父様は言葉を区切ると深く息を吸った。


「しかしその家族の父親が家族を殺害した後、最期は自殺したのです」


 驚きで私は動けなかった。


「当時、町は大騒ぎになった。しかし人の記憶は薄れるもの。10年ほど経った頃に新たな家族があの家に引っ越してきた」


 私は先に言った。


「次の家族も五人家族だったんですね。私たち家族と同じく」


 神父様は聖書を強く握りしめた。


「やはりそうでしたか。君の家族も同じ五人家族だったんですね。あの家は災いを呼び寄せる家なのかもしれない」


 私は気になって尋ねた。


「最初の家族は斧で殺害されたのではないですか?」


 神父様が驚きの表情を浮かべる。


「二番目の家族は包丁……ですよね?」


「君は敏い。えぇ、そうでしたよ。二番目の家族の末っ子だけ縄で森の木に吊るされて亡くなっていたそうです」


 それは初めての情報だった。


 神父様はそっと立ち上がり、礼拝堂の奥へ消えていった。戻ると、小瓶と十字架、聖書を手にしていた。


「全能の神よ……悪の力からこの家族をお守りください……」


 神父様が朗々と祈りを唱え、小瓶の中の聖水を私の額にそっと付けて十字を切った。私は小さく「アーメン」と呟く。次に、聖体のパンを分かち合い、聖書から詩編を読み上げてくれた。


 祈りを終えた後、神父様は微笑みながら言った。


「あなたの信仰が、あの家の闇を切り裂く光となるでしょう。どうか日々祈りを絶やさず、主を信頼してください」


 胸の重さが消え、体がふわりと軽くなるのを感じた。神父様様が帰り際にロザリオをくれた。「いつかそのロザリオがあなたを守ってくれるでしょう」


 神父様に深く礼をすると、私は静かに礼拝堂を後にした。


 帰り道、私は心の中で繰り返した。


「私なら、できる。家族を、守る――」


 ――決意を胸に、私は再びあの異様な家へと戻っていった。




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