無限ループ突入
七・零:既視感の螺旋、久留米の幻影
「この歪んだ世界を、バグとして排除し、全てを『正常』に戻すのか。それとも、この『歪み』ごと受け入れ、新たな『物語』を創造するのか」 神のプログラムの言葉を胸に、ユウマたちはバグ空間から久留米の街へと戻った。しかし、彼らの目の前に広がっていたのは、見慣れた、しかしどこか違和感のある光景だった。
2025年7月17日、久留米の空は鉛色に鈍く沈み、梅雨特有の湿気が肌にまとわりついていた。路地裏のコンクリートからは、濡れた土と微かなカビの匂いが立ち昇り、それはまるで未来への不穏な予兆のようでもあった。 久留米駅前の雑居ビルの一室――古びたゲームセンターの片隅で、ユウマはヘッドセットを装着したまま、ぐったりと椅子にもたれかかっていた。彼の周囲には、カップ麺の空き容器とエナジードリンクの缶が散乱し、ディスプレイの輝きだけが、この空間にわずかな生命感を宿している。ヘッドセットの奥では、今日配信されたばかりのVRMMORPG最終アップデート「宇宙の終焉」のログイン画面が、まばゆい光を放っていた。
「くっそ、もう朝か……」 ユウマの口から、疲労とカフェインでかすれた声が漏れる。徹夜明けの口の中には、どことなく鉄錆のような味が広がり、胃の腑ではエナジードリンクがまだ暴れていた。昨夜から、彼はこの最終アップデートを待ちわび、友人たちと盛り上がっていたのだ。
「……は?」 ユウマは、がばりと顔を上げた。この光景、この会話、この感覚……全てが、初めてではない。彼はこの状況を、何度経験したか分からないほど、肌で知っていた。それは、無限ループの始まりの光景だった。 「また、ここか……!」 彼の心臓に、錆びついたギアが噛み合うような鈍い痛みが走る。
「識別コード:無限ループ、再開。セーブデータ破損状態を継続。これは、まさにデジャヴュの洪水、あるいは時間の輪が回転を始めた瞬間とでも言うべき現象です」 ミコが、背後から現れ、無表情に告げる。彼女の瞳は、高速で周囲のデータを解析しているが、その顔には驚きの色はない。彼女もまた、このループを何度も経験していることを示唆していた。 「うわっ、ミコ!? お前もいるのかよ! って、なんでこんな状況で冷静なんだよ! ツッコミどころ満載だろ、この状況!」 ユウマは叫んだ。
その時、遠くからレムの声が聞こえてきた。 「下郎! いつまで寝ている! バグ魔族の襲撃が始まったぞ!」 彼女は、久留米の商店街の入り口で、剣を構えていた。その表情は、以前と同じ、ツンツンとしたものだ。ユウマが、無限ループの入り口で何度も見てきた光景だった。
七・一:選択と改変、記憶の迷宮
ユウマは、レムとミコと共に、バグ魔族との戦いへと身を投じた。前回と同じ場所で、同じ種類のバグ魔族が出現し、同じセリフを繰り返す。レムは相変わらずユウマを「下郎」と呼び、ミコは淡々と状況を解析する。全てが、寸分違わず繰り返される。まるで、世界が巨大なリプレイボタンを押されたかのようだ。
だが、ユウマは違った。彼の心には、神のプログラムから告げられた真実と、スラオの魂のツッコミが刻まれている。 「この状況に、どう『ツッコミ』を入れるか……か」 彼は、ふと、ある選択肢を試すことを決意した。 普段なら、レムがバグ魔族に追い詰められたところで、ユウマが助けに入る。しかし、今回は違った。 「レム! その攻撃、もうパターン化してるぞ! もっとひねり入れろ! じゃねーと、読者が飽きる!」 ユウマは、敢えて助太刀せず、挑発的な言葉を投げかけた。レムの顔が、怒りで赤くなる。 「なっ……貴様、何を言うか! この私は、常に最高の戦術を……!」 しかし、その時、レムの放った一撃が、普段とは異なる軌道を描き、バグ魔族の弱点を的確に突いた。それは、ユウマの言葉によって、レムが「ツッコミ」を入れられ、意識的に行動を変えた結果だった。
ミコは、その変化を即座に解析する。 「識別コード:レム=バグナイン。行動パターン、意図的な改変を確認。予測外の変数。これにより、バグ魔族の撃破時間が0.03秒短縮されました。これは……ループ内での『選択肢』による『展開変化』。興味深いデータです」 ミコの無表情な顔に、わずかながらも「探究心」のようなものが浮かぶ。
ユウマは確信した。このループは、決して一方的な繰り返しではない。彼の「記憶」と、彼らの「選択」によって、未来はわずかに、しかし確実に変化していくのだ。それはまるで、同じ楽譜を演奏しながらも、奏者の感情によって音色が変わる音楽のようだった。
七・二:記憶の再生、唯一の観測者
戦いの最中、ユウマの脳裏に、突如として断片的な映像がフラッシュバックした。それは、見知らぬ人々の顔、そして、彼らが《ギャラクシー・クエスト》をプレイしている光景だった。喜び、怒り、悲しみ、そして「こうあってほしい」という強い願いが、まるで感情の奔流のように、彼の意識に流れ込んでくる。
『プレイヤーA:ああ、このクエスト、もっと手応えが欲しいな!』 『プレイヤーB:なんで俺のキャラ、こんなに弱いんだよ! もっと強くしてくれ!』 『プレイヤーC:この無限ループ、いつになったら終わるんだよ……早くクリアしたいのに!』 『プレイヤーD:この世界、もっと自由だったらいいのに! 誰かの指示じゃなくて、俺の好きなように動きたい!』
それらの声は、ユウマがこの世界で見てきた「バグ」や「歪み」の根源と、寸分違わず一致していた。 そして、その中に、自分自身の声も聞こえてきた。 『ユウマ:くっそ、もう朝か……『セーブはこまめにしろよ、ユウマ』……親父、ごめん。今日だけは許してくれ』 それは、まさにこのループの始まり、彼がゲームにログインした瞬間の記憶だった。
「……そうか……これが……」 ユウマは悟った。神のプログラムが言っていた「ユーザーの願い」によって生まれたバグ。そして、この「無限ループ」の正体。 それは、決して世界が壊れているだけではなかった。このループは、この世界をプレイしてきた「プレイヤーたちの記憶の再生」なのだ。彼らの願い、不満、そして挑戦の記録が、このバグによって無限に繰り返されている。
ユウマは、その中でもただ一人、このループの記憶を保持していた。それは、彼の「セーブ忘れ」という、最も個人的なバグによってもたらされた特異点だった。彼だけが、過去のデータを認識し、未来を変える可能性を秘めた、唯一の存在だったのだ。
彼の心臓に、スラオのツッコミが響き渡る。 『おいおいユウマ! お前、まさかの「記憶持ち」設定で、この無限ループの唯一の「観測者」ってか!? それ、完全に主人公補正だろ! お前の「静かに暮らしたい」って願いが、まさかこんな壮大な「ループの鍵」になってるなんて、最高のギャグじゃねーか! さあ、この壮大なボケに、お前はどう「ツッコミ」を入れて、この物語を「オチ」に持っていくんだよ!』
久留米の街は、依然として無限ループの中にあった。しかし、ユウマの瞳に映るその光景は、もはや単なる繰り返しではない。それは、無数のプレイヤーの「願い」が織りなす、生きた「記憶の迷宮」だった。そして、彼はその迷宮を解き明かし、新たな物語を紡ぐ、唯一の勇者なのだ。