勇者、魔王になる!?
五・零:虚無への堕落、漆黒の侵食
スラオの遺した「ツッコミ」を胸に、ユウマ、レム、ミコは新たな連携でバグ魔族の群れを押し返していた。久留米の商店街は、彼らの新たなリズムと共に、かつてないほど混沌と、そしてどこかユーモラスな戦場へと変貌していた。しかし、その高揚感も束の間、突如として足元の地面が大きく軋み、アスファルトに深淵が口を開いた。それは、まるで世界の基盤に走った巨大なバグのように、不吉な輝きを放っていた。
「な、なんだこれ!?」 ユウマが叫ぶ。反射的に剣を地面に突き刺し、落下を食い止めようとする。しかし、地面はまるで崩れ落ちる砂城のように、脆く、彼の体は抗う術もなく、暗闇へと吸い込まれていった。レムとミコの声が、遠く、泡のように弾けて消える。
目が覚めると、そこは言葉では形容しがたい空間だった。色彩は狂ったように点滅し、音は耳障りなノイズと化し、全てが歪んでいた。まるで、世界そのものがバグってしまったゲームの最終ボスステージに放り込まれたかのようだ。ユウマの身体を、無数の漆黒のコードが絡め取る。それは、まるで粘着質な蜘蛛の糸のように、彼の意識の奥深くまで侵食していく。
「ぐっ……これは……!?」 ユウマの意識が、急速に混濁していく。頭の中に、聞き慣れない声が響き渡る。それは、数多のバグ魔族の声が、一つに溶け合ったような、悍ましい不協和音だった。 『ユウマ=セーブレス……お前の持つ、強すぎる「願い」と「絶望」……それは、我々の最高の餌食となる。無限のループに囚われたお前の魂は、既に我らの眷属だ。今こそ、その力を解放せよ……魔王として、この歪んだ世界を支配するのだ……!』
ユウマの全身を、禍々しい闇のオーラが包み込む。彼の視界は赤と黒に染まり、理性は薄れていく。頭の中で、過去の記憶が猛烈な勢いでフラッシュバックする。 幼い頃、父に「お前がいれば、家は大丈夫だ」と言われた記憶。その期待に応えられず、ただ「静かに暮らしたい」と願った自分の弱さ。何度死んでも終わらない無限のループへの、募る絶望と怒り。 「そうだ……この世界は、もうダメだ……壊れてるんだ……ならば、俺が……俺が全てを終わらせてやる……!」 ユウマの瞳から光が失われ、その代わりに、深淵の闇を映す魔王の瞳へと変貌していく。身体が、バグ魔族のように歪んでいく。指先からは漆黒の魔力が迸り、周囲の空間を破壊し始めた。
久留米の街並みも、彼の変貌に呼応するかのように激しくグリッチし始めた。久留米城跡の石垣が、まるで低解像度のテクスチャが剥がれ落ちるように崩れ、筑後川の流れが、まるでエラーを吐き出す映像ストリームのように逆流を始める。
五・一:魂の絆、最後のツッコミ
その時、虚空から、二つの光がユウマ目掛けて飛び込んできた。レムとミコだった。彼女たちは、ユウマが落ちていった穴を追って、このバグ空間に飛び込んできたのだ。レムの顔は、かつてないほど焦燥に染まっている。ミコの瞳は、高速で解析プログラムを回しながらも、その感情パラメータが警告音を上げているかのようだった。
「ユウマ! 正気を取り戻せ! 貴様は魔王などではない! 勇者だろうが!」 レムが叫んだ。彼女はユウマ目掛けて剣を構えるが、その手は微かに震えている。彼女の口の中には、生臭い血の味が広がっていた。バグ魔族との激戦を潜り抜けてきた証拠だ。 「識別コード:ユウマ=セーブレス。魔王化、進行度89.7%。早急に介入が必要。そうしないと、このセーブデータは完全に破損します!」 ミコが、悲痛な声で叫んだ。その声には、感情のない彼女にしては珍しく、切迫した響きが込められていた。
漆黒のオーラを纏ったユウマは、レムとミコを見据える。その瞳には、もはや理性のかけらもなかった。 「邪魔をするな……俺は、この世界を……全てを終わらせる……!」 ユウマは咆哮を上げ、漆黒の魔力を放つ。それは、レムとミコを塵一つ残さず消し去ろうとする、純粋な破壊の力だった。
レムは、迷わず剣を構え、その魔力に立ち向かう。彼女の脳裏には、ユウマと共に戦い、共にループを乗り越えてきた記憶が走馬灯のように駆け巡っていた。 「私が、貴様を助ける! たとえ魔王になろうと、このレムが……」 「レムさん! そのツンデレ、今じゃ効果ありません! 認識してください! ユウマの心には、既に『ツンデレ過剰エラー』が発生しています!」 ミコが、レムのセリフを遮って叫んだ。彼女はユウマのデータに直接干渉しようと、両手を構える。しかし、魔王化したユウマのバリアに阻まれ、光が弾け飛ぶ。
ユウマの意識の奥底で、スラオの声が響いた。 『おいおい、ユウマ! お前、何やってんだよ! 魔王化とか、それ、完全に「ボケ」に振り切りすぎだろ! 俺がいなくなって寂しいのはわかるけどさ、それでも、ツッコミがいないからって暴走してんじゃねーぞ! その闇堕ち、最高のオチになるとでも思ってんのか? なら、俺が全力でツッコんでやるよ! お前は、そんなんじゃねぇだろ!』 スラオの声は、ユウマの内に焼き付いた「ツッコミのプログラム」を通じて、直接彼の意識に叩きつけられた。
そして、レムが、ユウマの放った魔力に打ちのめされながらも、必死に立ち上がった。その瞳には、涙が滲んでいた。 「ユウマ……貴様は、静かに暮らしたいと願った、ただの……だ、だが……この世界で、私たちと共に戦うことを選んだ、勇者だろうが! 私を……私を置いていかないでくれ……!」 彼女の言葉は、普段のツンデレとはかけ離れた、感情剥き出しの叫びだった。それは、ユウマの心に、まるで凍てついた湖に小石が投げ込まれたかのような、微かな波紋を広げた。
ミコもまた、ユウマのバリアに阻まれながらも、必死にデータ解析を続ける。 「ユウマ=セーブレス。あなたの心の奥底にある『静かな暮らし』という願いは、エラーではありません。しかし、その願いが、このような形で暴走することは、データとして許容できません。私たちが、あなたを……正常な状態に戻します!」 ミコは、そう言い放つと、解析したデータを光の弾としてユウマに放った。
レムの叫び、ミコの決意、そして何よりもスラオの「ツッコミ」が、ユウマの意識の奥深くに響き渡る。彼らは、ユウマの「ボケ」を全力で受け止め、そして、彼自身の「ツッコミ」を促したのだ。
五・二:覚醒の光、再構築された絆
ユウマの全身を覆っていた漆黒のオーラが、一瞬、激しく明滅した。 「……静かに……暮らしたい……だが……俺は……」 彼の口から、苦悶の声が漏れる。理性の光が、闇の中で、まるで消えかけたロウソクの炎のように、か細く瞬いた。
「違う! ユウマは魔王なんかじゃねぇ! あんなに必死にループを乗り越えてきたんだぞ! このボケ野郎!」 レムが、ユウマの魔力に耐えながら、必死に叫んだ。 「ユウマ=セーブレス! あなたの心は、決してバグってはいない! あなたの持つ感情は、正しいデータです! 私たちは、あなたと共にいます!」 ミコもまた、ユウマの瞳を見つめ、静かに、しかし力強く告げた。
ユウマの意識の奥で、スラオの半透明の残像が、彼の頬をピシャリと叩くような錯覚を覚えた。 『おい、ユウマ! いい加減にしろよ! お前、俺がいなくなって、まさか感動ポルノに走るとか、そういう展開じゃねーだろ!? 俺が消えたのは、お前らがもっと面白くなるためだろ! ツッコミがいないと暴走するボケとか、それ、芸人として二流だぞ! ほら、早くツッコめよ! お前自身の人生に、最高のツッコミを入れろよ!』
その瞬間、ユウマの瞳に、再び光が戻った。漆黒のオーラが急速に収縮し、彼の身体から剥がれ落ちていく。彼の心臓に焼き付いたスラオの「ツッコミのプログラム」が、まるでデフラグメントされたハードディスクのように、正常に作動し始めたのだ。
「……たく、スラオの野郎……死んでまで、うるせぇんだよ……!」 ユウマは、力なく呟いた。しかし、その声には、安堵と、そして微かな笑いが混じっていた。 彼の身体から、魔王の力が完全に消え去った。代わりに、彼の体には、これまでよりも一層強く、清らかな光が宿っていた。
レムは、涙を流しながらユウマに駆け寄る。 「ユウマ……貴様……!」 ミコは、彼のデータが正常に戻ったことを確認すると、安堵したように小さく息をついた。
久留米のバグ空間は、ユウマが魔王化しかけた影響で、さらに歪みを増していた。しかし、ユウマの瞳に映るその景色は、もはや絶望の色ではなかった。彼の心の中で、スラオのツッコミが、彼自身のボケにツッコミを入れ、新たな道を指し示している。
「いくぞ、お前ら! このバグまみれの世界に、俺たちが最高のツッコミを入れてやる!」 ユウマは叫んだ。その声は、久留米の歪んだ空に響き渡り、彼らの新たな旅の始まりを告げていた。それは、単なる勇者の物語ではない。ボケとツッコミが織りなす、世界を救うための、壮大な「お笑い」の物語の序章だった。