銀河の美少女たち
二・零:空から降ってきた方程式
久留米の商店街は、地獄絵図と化していた。破壊されたシャッター 、散乱する商品 、焦げ付くような硫黄の匂い ――そして、そこかしこで蠢く「バグ魔族」の異形が、ユウマの視界を侵食する 。彼は初心者用の剣を握りしめ、襲い来るバグ魔族の一体に、情けない悲鳴を上げながらも必死に斬りかかっていた 。
「くっ、そ! これ、ゲームじゃねえのかよ! 痛えんだよ、マジで痛えんだよ、このバグ野郎!」
バグ魔族の攻撃は、物理的な痛みを伴った 。その肉体は歪んだポリゴンとエラーコードで構成され、触れるたびに電気が走るような不快感がユウマの神経を逆撫でする 。口の中には、
鉄と鉛を混ぜたような重い不協和音が広がり、全身から吹き出る冷や汗が、ヘッドセットの内側を濡らしていた 。こんな体験、VRMMOの極限状態でも味わったことがない 。これは、
現実だった 。
「だいたい、何なんだよ、この変な怪物どもは! もっとこう、可愛いスライムとか、モコモコしたウサギとか、そういうのはどこ行ったんだよ!」
彼の問いかけに、バグ魔族は奇妙な電子音を発しながら、さらにその歪んだ腕を振り下ろす 。ユウマは寸でのところでそれをかわし、商店街の柱の陰に転がり込んだ 。呼吸は乱れ、心臓は
ドラムロールの暴走のように高鳴っている 。脳裏には「死んだらチュートリアルからやり直し」という非情なメッセージがちらついていた 。それは未来永劫続く「セーブのない人生」を宣告されたようだった 。
その時、ユウマは奇妙な既視感に襲われた。この柱の傷、この店のシャッターの壊れ方、そして、今倒したばかりのバグ魔族――その右腕のグリッチパターンが、先ほどとは違う方向から襲いかかってきた別のバグ魔族のそれと、寸分違わぬ方程式を示している。まるで、世界が昨日見た夢の続きを、今日また見せられているかのようだ。
その時、空が割れた 。文字通り、
空が割れたのだ 。
正確には、上空のグリッチがさらに肥大化し、宇宙のキャンバスに巨大な亀裂が走ったかのように、空間が裂けた 。その裂け目から、眩い光が差し込み、二つの影が流星のように地上へと落下してきた 。一つは漆黒のドレスを纏った少女、もう一つは、なぜか青く発光する液体状の塊 。
ユウマは思わず目を見開いた 。バグか? 新しい敵か? いや―― 。
二・一:ツンとデレとドロリと
最初に地面に着地したのは、漆黒のドレスを纏った少女だった 。長い銀髪が夜空に溶け込むかのようにたなびき 、深紅の瞳が冷たく周囲を見渡す 。その表情は、
氷の結晶。一切の感情を読み取れない 。彼女の背中からは、蝙蝠の翼にも似た、しかしコードの集合体のような異質な翼が生えていた 。
「ちっ、こんな下賤な場所に転送されるとは。父上の趣味が悪すぎる」
少女は悪態をついた 。その声は、
深紅のベルベットを耳元で撫でるかのように、わずかに粘度を帯びていた 。彼女が腰に提げているのは、空間そのものを切り裂くような禍々しい輝きを放つ漆黒の剣 ――それは、
宇宙の法則そのものがねじ曲げられ、具現化された異様な刀身だった 。
「そこの下郎、貴様、このバグまみれの空間で何をしている? まさか、この私が直々に手を下さねばならぬほどの輩か?」
少女は剣先をユウマに向けた 。その瞳には、侮蔑と、ほんのわずかな苛立ちが宿っていた 。ユウマは思わず唾を飲み込む 。
ツンデレの波動が嵐のように押し寄せる 。古のRPGに登場する、高飛車な魔王の娘がそこにいた 。
「え、ちょ、俺? 下郎ってあんたね……俺はただの一般ピーポーなんですけど? VRMMOやってたら、巻き込まれただけで……」
その時、もう一つの影――青い液体状の塊が、少女のすぐ隣に着地した 。それは地面にどろりと広がり、数秒後には、身長30センチほどの青いスライムの姿へと変形した 。そのスライムは、ぱっちりとした目と、口元にはなぜかへの字に曲がった口がある 。
「いやいや、一般ピーポーがこんなとこにいるわけないでしょ! っていうか、あんた、セーブしてない勇者なんだろ? 死んだら最初からやり直しって、バグった世界でそれって、最早ギャグでしょ! オチが効きすぎてるわ!」
スライムは、
漫才師の魂を宿したかのようにユウマにツッコミを入れた 。その声は、やけに甲高く、そして、
やけにやかましい 。ユウマは思わず耳を塞いだ 。
「は? スライムが喋った!? しかも、俺のこと知ってるだと!?」
「当たり前でしょ! 俺はチュートリアルモンスター、スラオ! みんなのツッコミ担当! あんたみたいな『セーブ忘れ』の珍客は、そりゃあ覚えてるに決まってるでしょ! ね、これ、ちゃんとオチついてる?」
スラオは、興奮したようにぴょんぴょん跳ねる 。ユウマは困惑した 。目の前のツンデレ少女と、やけにやかましいスライム 。この状況は、彼の「静かに暮らしたい」という願いとは、あまりにもかけ離れすぎていた 。それはまるで、
穏やかな水面に、突如として巨大な爆弾が投下されたかのようだ 。
二・二:電脳巫女の祈り
スラオが騒ぎ立てる中、さらに上空から、もう一つの光がゆっくりと降下してきた 。それは、純白の巫女装束を纏った少女だった 。彼女の髪は
データが結晶化した滝。その瞳は、深遠な宇宙の星々を閉じ込めたかのように輝いている 。表情は、一切の感情を排した
完璧な無。しかし、その佇まいには、どこか神秘的な気品が漂っていた 。
少女はふわりと着地すると、スライムとツンデレ少女、そしてユウマを順番に、
精密な解析プログラムのように見つめた 。
「識別コード:レム=バグナイン。魔王系バグデータ。感情パラメータ:ツンデレ過剰。識別コード:スラオ。チュートリアル系おしゃべりスライム。ギャグ判定:高。識別コード:ユウマ=セーブレス。勇者型イレギュラーデータ。セーブ機能:破損。分析結果:全て想定外の事象です」
少女は淡々と言い放った 。その声は、
電子合成された無機質な調べ 。
「私はミコ=アーカイブ。旧神プログラムの残滓であり、このバグの世界を解析するために具現化されました。私の目的は、世界の秩序を再構築すること。そのためには、イレギュラーであるあなた方との協力が必要不可欠です」
ミコはそう告げると、ユウマの前に小さなホログラムを展開した 。そこには、この世界のバグがどれほど進行しているかを示す、複雑なグラフと数値が映し出されている 。
「この世界は、完全にバグっています。もはや、ゲームのルールは通用しません。そして、このバグを放置すれば、現実世界も宇宙そのものも、いずれはエラーコードの海に沈むでしょう」
彼女の言葉は、淡々としているが、その内容の重さは、ユウマの胸に
鉛の塊のように響いた 。この無表情な少女の瞳の奥には、世界を救済しようとする、強く静かな「祈り」が宿っているように感じられた 。それは、絶望的な状況の中で、
微かな希望が点滅する恒星のようだった 。
「……マジかよ」
ユウマは力なく呟いた 。セーブを忘れ、死んだら最初からやり直し 。こんなバグった世界で、こんな個性的な……いや、
規格外の美少女たちとスライムに囲まれて、彼は一体何をすればいいのか 。だが、ミコの言葉は、彼の心に、今まで経験したことのない重責を突きつけていた 。これは、ただのゲームではない 。これは、現実 。そして、彼は、この現実を救う「勇者」として、セーブデータもないまま、このバグだらけの宇宙に放り出されたのだ 。
「仕方ねえ、やってやるよ……こんな地獄みたいな状況で、俺だけ死に戻りとか、笑えねえ冗談だろ。だったら、このバグ、全部ぶっ壊してやる!」
ユウマの口調は諦めと、そして燃え上がるような怒気に満ちていた 。彼の脳裏には、久留米の街の惨状が焼き付いている 。父の言葉、そして彼が求めていた「静かな暮らし」を再び手に入れるために、彼はこの理不尽な状況に立ち向かうことを決意した 。彼の新たな冒険は、この奇妙なパーティと共に、今、まさに始まったばかりだった 。