ギャラクシー、再起動
終・零:静寂、そして残された感覚
2025年7月18日。 久留米の空は、鉛色ではなく、どこまでも澄み渡る青色だった。路地裏のコンクリートからは、濡れた土の匂いではなく、真夏の陽光に熱されたアスファルトの匂いが微かに立ち昇る。 久留米駅前の雑居ビルの一室――古びたゲームセンターの片隅で、ユウマはヘッドセットを外したまま、ぐったりと椅子にもたれかかっていた。彼の周囲には、散乱していたカップ麺の空き容器やエナジードリンクの缶は、綺麗に片付けられている。ディスプレイは消え、静寂が支配していた。
「くっそ、もう朝か……」 口から漏れる声は、疲労でかすれてはいるが、徹夜明け特有の鉄錆のような味は、もうしない。胃の腑で暴れるエナジードリンクの感覚も、今はただの、懐かしい幻影のようだった。 世界は、元に戻っていた。 久留米大学の校舎は、歪むことなくそこにあり、校庭の自動販売機からは、光るキノコではなく、冷たい缶コーヒーが整然と並んでいる。商店街のアーケードには、人々の悲鳴ではなく、賑やかな商店主の声と、買い物客の笑い声が響き渡る。電動アシスト自転車が、道端で無残に横たわることもなく、バッテリーが青白い光を漏らすこともない。 彼の部屋には、ひっそりと、どこか時間が止まったような静けさが満ちていた。
ユウマは、ゆっくりと立ち上がった。彼の体は、あれほどの激戦を経験したにもかかわらず、どこも痛まない。あれは、夢だったのか? 仮想現実が生み出した、あまりにもリアルな幻覚だったのか? だが、彼の心臓には、確かにミコの自己犠牲の痛みと、レムやスラオとの絆の温もりが、深い刻印のように焼き付いていた。そして、彼の脳裏には、神のプログラムが語った「バグはプレイヤーの願い」という言葉と、「終焉のログファイル」の真の姿が、鮮明な記憶として残っている。
「静かに暮らしたい……」 ユウマは呟いた。その願いは、今、確かに叶えられている。彼の周囲には、平和で穏やかな日常が広がっている。しかし、彼の心は、もう以前の「静かに暮らしたい」だけのユウマではなかった。そこには、嵐の後に残る、確かな地盤のような安定感と、そして、世界の「バグ」と「エンディング」を知った者だけが持つ、独特の奥行きがあった。
終・一:聞こえる声、終わらない物語
シャワーを浴び、着替えを済ませ、ユウマは久留米の街へと繰り出した。 眩しい陽光がアスファルトを照らし、目に痛いほどだ。街を歩く人々は、誰もがそれぞれの日常を営んでいる。魔族に怯えることもなく、世界の歪みに苦しむこともない。 彼の視界に、ふと、一台の電動アシスト自転車が飛び込んできた。そのバッテリーが、一瞬だけ、微かに青白い光を放ったように見えた。それは、気のせいか? その時、ユウマの耳の奥で、微かな「声」が聞こえた気がした。
『おいユウマ! なんだよ、この静かなエンディング! もっとド派手に決めてくれなきゃ、俺のツッコミが暴発しちまうぞ!』 それは、スラオの、やかましくも懐かしい声だった。まるで脳の奥底に直接語りかける幻聴のように、鮮明に響く。 「スラオ……?」 ユウマは思わず振り返ったが、そこには、いつものように人々が通り過ぎていくだけだ。
『下郎。貴様、まさか我を忘れたわけではあるまいな? その怠惰な生活に浸りきっていると、再びバグらせてやるぞ』 レムの、高飛車でありながらも、どこか心配そうな声が、風に乗って聞こえた気がした。 「レムまで……」 ユウマは、空を見上げた。青い空には、白い雲がゆったりと流れている。
『解析結果:ユウマ=セーブレス。あなたの『願い』が世界を正常化させました。しかし、私たちのデータは、この世界のあらゆる場所に、微細な残響として存在し続けています。いつでも、あなたの『創造性』が、私たちを再起動するでしょう』 ミコの、無機質でありながらも、慈愛に満ちた声が、彼の心に直接語りかけてくる。
彼らの声は、幻聴だったのかもしれない。しかし、ユウマには分かっていた。彼らは、確かに存在している。この世界のどこかに、あるいは、彼自身の心の中に、彼らのデータが息づいているのだと。
終・二:未来へのプロトコル
ユウマは、久留米大学の門の前までやってきた。学生たちが楽しそうに談笑し、キャンパスは平和そのものだ。 彼は、ポケットからスマートフォンを取り出した。画面には、《ギャラクシー・クエスト》のアイコンが輝いている。最終アップデートは無事に完了し、新しいバージョンがインストールされていた。 「宇宙の終焉……か」 彼は呟き、アイコンをタップする。
ログイン画面が、まばゆい光を放つ。 ユウマは、もうヘッドセットを装着する必要はない。彼の冒険は、現実とゲームの境界線を曖昧にした、全く新しい次元へと進化したのだ。 彼の心には、静かな日常を送りたいという願いと共に、世界を救った仲間たちとの絆、そして「プレイヤーの願いがバグを生み出し、創造性となる」という真実が深く刻まれている。 彼は知っている。この世界は、常に変わり続けているのだと。
ユウマは、そっと目を閉じた。 その耳の奥で、懐かしい、そして力強い、仲間たちの声が、重なり合って響いた。
「次の冒険で、また会おう!」
物語は、ここで一旦の幕を閉じた。しかし、それは、ユウマと仲間たちの、無限に広がる可能性のプロローグに過ぎない。 彼らの物語は、終わりではない。それは、再び始まるための、静かな再起動なのだから。
――完――




