8 水路下の秘密
セガランは渭水に注ぐ暗渠を調査した。それは咸陽地区と西安地区の2地区で実施された。暗渠の数は数えきれない程あるので、上水だけを対象に絞って行ったが、それでも一ヶ月で終わるとは思えなかったし、事実1ヶ月半を過ぎても終わる気配がなかった。
2ヶ月近く経った頃、彼は調査対象数の多さから、渭水より遡って調査するよりも、遺構から渭水への水路を辿る事に方針を変えた。その対象は阿房宮、建章宮、未央宮、長楽宮そして咸陽宮から渭水に向かう物とし、4班に分けて人足を水路発見に従事させた。
それと同時に彼は紫禁城の摂政王に、恐らくではあるが貴方達の望んでいた遺跡ではないかと、当該拓本と写真を送った。
摂政王からの返事は曖昧だった。引き続き、調査を継続するよう指示があった。その上で渭水へ接続する水路の調査については、何故碑文からそのように推測したのか、関心を示された。
当初、彼は隠された名を隠された人と解釈し、それが何であるかには関心がなかった。それは彼がフランス人である事に由来した。名前はフランス語で“un nom”。そして人はフランス語で“un homme”。この違いを彼は、劉が通訳するフランス語から理解出来なかった訳だ。劉の拙いフランス語故か、彼の発音の為せる故か分からないが、どうやらセガランは聞き間違えたらしい。そこから誤った解釈をして、隠された水路の発見を指示した訳である。
未央宮及び長楽宮から渭水に注ぐ暗渠水路には彼の求めていた設備はなかった。確かに敷き詰められた敷石から、現代のインバートらしき設備は確認出来たが、円天井、石柱、横断アーチ等の設備は発見出来なかった。
彼は次に建章宮の暗渠水路確認に移ったが、そこでも求める設備を確認出来なかった。残された遺構は咸陽宮、阿房宮に絞られた。その時、彼は数か月前に発掘した遺構を思い返した。その遺構は盗掘され、暗渠水路は発見されなかったが、その時点では暗渠水路の確認目的はなかったから、見過ごしていたのかも知れないと思い至った。彼はその考えに至ると直ぐさま劉に、貴族墳墓の再調査へ着手するように命じた。
翌日、劉は人足を呼び寄せ、再調査が命じられた事を説明した。人足頭の陳泰平は劉の説明を聞き、暗渠水路の発見に従事していた者から、貴族墳墓の発掘に携わった者を呼び集め、彼から今一度説明した。そして、呉石を名指しで呼び寄せた。
「呉、前に来い」
呼び出された呉は怪訝な表情をしながらも素直に陳の前に出て来た。
「良いか、呉。お前はあの墓に最初に入ったから分かると思うから、覆土した土をもう一度、お前の指示で運び出せ」
「分かりました」
姉妹墳墓にやって来ると、墓には土が高塚のように盛り上げられていた。又これを掘り下げるのかと思うと、呉の気持ちは萎えそうだったが、命じられた以上やるしなかない。彼は円匙と蓑を人足に持たせ、彼と一緒に掘り進めさせた。
覆土なので、最初程苦労しなくとも良かった。作業も順調で、午後には玄室迄掘り返す事が出来た。
「頭、終わりましたよ」
墓の入り口に戻ると、呉は陳に作業が終わった事を告げた。彼の報告を陳と劉が聞き、隣で結果を待っていたセガランに劉が告げた。
「セガラン様、玄室に着きましたので、確認願います」
「ありがとう」
セガランは墳墓の入り口に続く階段を降り、墓の中に入って行った。彼の後に劉、陳、呉が続く。
玄室につながる通路の天井は、入口から円天井が続いていた。玄室も松明の火をかざすと、天上の形状が分かった。こちらも円天井である。圧力を分散するのに適している円天井を地方の姉妹墳墓に採用する程、この一族は裕福だったのか? それなら入口から20mもない玄室に届く規模の墓よりも、大きな墳墓を築けたのではないか? 彼には幾つかの疑問が浮かび上がった。
規模が小さくとも内部構造は手が込んでいる。地方豪族のものとは思えない。それを証明するには埋葬品があれば良いのだが、生憎盗掘されてしまい、何も残っていない。
幾つかの疑問を解き明かす事が出来ず、彼は墓から出て、宿舎に戻った。そして墓の平面図、断面図、写真と拓本を見比べ、あれやこれや考えた。その晩彼は考えた、色々と試々看したが彼の疑問は晴れなかった。




