68 厲鬼調伏 2
「オン、アボキャ、ベイロシャノウ、マカボダラ、マニ、ハンドマ、ジンバラ、ハラバリタラ、ウン」
「ノウマク、サラバ、タアタアガタア、バロキテイ、オン、サンバラ、サンバラ、ウン」
光明真言、施餓鬼飲食真言も廃青は唱え、人足達も倣った。
「オン、アビラウンケン、バザラダトバン」
「ノウマク、サンマンダ、バーザランダン、センダン、マーキャロシャーダ、ソワタヤ、ウンタラタ、カンマン」
助手の人足が奏でる鐘や太鼓のリズムが広がり、真言が滑らかに流れる。それを聞いていると、自然に追随出来る速さである。
護摩壇に次々と段木、香油、供物が投入されている。投げ入れられる度に火焔は勢いを増し、白煙も辺りにタール臭を飛散させる。
護摩壇から昇る火焔が揺れ、それを包む白煙も上昇する。白煙が炎に変わる様は、観衆にある種の感情を喚起させる。火への畏敬を持っていた頃の人間の精神は、脈々と現代の人間にも伝わっている。火炎の祭りをどう解釈するか人それぞれに違うが、生物としての恐れだけは、共通の感情であろうか。廃青が修している厲鬼調伏を体現する火焔は四方八方に広がり、不動明王の持つ俱利伽羅剣に薙ぎ払われる魑魅魍魎、羂索によって絡め捕られる羅刹をイメージさせる。
額の汗も護摩壇の炎によって蒸発し、当初は汗だくになっていた法衣もカラカラに乾いている。護摩壇に投げ入れられる段木、香油が火焔に一層勢いを増し、上昇気流を発生させ、炎と白煙がとぐろを巻いて天へ向かう。
廃青の口からは、途切れることなく不動明王真言が流れ出し、参加者も追随している。
廃青は法衣の中で忙しく両手を動かし、印契を結び、観想によって不動明王と化した。後ろに侍る脇侍はさながら、眷属か?
参加者を魅了した護摩法要が終わり、廃青は諸仏諸尊を天空に帰還させた。護摩供によって歓待を受けた諸仏諸尊は満足し、不動明王は無敵の仏力を示した。廃青の法要は満足のいくものだった。それを如何に参加者に分からせるか。それが廃青の法要後の務めである。
「オン、ソワハンバ、シュダサラバダラマ、ソワハンバ、シュドカン・・・云々・・・これによって護身法は解除した」
廃青は身に印契を結び、口に真言を唱え、意に観想を以って護身法を解き、大壇から降りて脇侍と共に、参加者の下へと歩み寄る。
セガランは初めて体験した護摩供に感動したのか、椅子に座ったまゝ動かなかった。劉と李は二度目の体験であったので、茣蓙から立ち上がり、廃青一行に頭を下げて彼等を迎えた。人足達は感動したのか、はたまた呆気に取られたのか、無言で彼等を迎えた。それは呉も同じであった。
彼等には廃青の法要は初めての体験であったが、道教の譜度は経験していたので、何らかの反応があっても良さそうなものだが、何の反応もなかった。圧巻のパフォーマンスを見せられ、気後れしたのか?
護摩壇から降りて近付いて来る廃青は、清々しい顔をしていた。姉妹墳墓では明らかに疲れが見てとれたが、今の顔にはやり切った安堵感が見える。流石に年相応には見えるが、歳の割には若々しい動きも見えた。
劉は近付いて来る彼に又しても、謝辞を述べようと考えた。最初の時は焦ってしどろもどろだったが、今は多少、心構えが出来ている。
「如何でした?」
最初に廃青が己の法要について劉と李に感想を求めて来た。二人は顔を見合わせ、劉が口を開いた。
「感動致しました。姉妹墳墓での法要は初めての経験でしたので、何が何やら分からず、阿闍梨様のご気分を害したのではないかと。しかし、今日の法要は感激致しました。参加者が阿闍梨様の真言に合わせて唱え、厲鬼調伏に全員が参加した思いです。このような体験は初めてゞした」
「ありがとございます。拙僧もやり切った積もりです」
「阿闍梨様。本当に素晴らしい法要でございました。一度ならず、二度までも体験出来るなど、感無量でございます」
李も劉の後から称賛を伝えた。
「これ程の法要を執行出来る法師様は、中々居りません。事務官様、是非廃青様の祈願成就にお手伝いをお願い致します」
「無論だとも、李」
李の肩入れに廃青の顔は綻び、劉も彼の口車に乗せられてしまった。気を良くした廃青は、今度も同じ質問を投げかけた。
「処でお二人には御仏のお姿をご覧になりました?」
二人は顔を見合わせた。劉は前回仏の姿を見た事はなかった。李は前回の法要に脇侍として参加していたので、そのチャンスがなかった。
「申し訳ございません。信心が足りないのでしょうか、見ておりません」
劉が申し訳なさそうに応えた。
「私も見ておりません」李も同様に応えた。
「そうですか、それは残念な事でした」
少し気を落としたのか、廃青の口調は静かだった。
「それでは、皆さんはどうでした?」
廃青はセガランや呉、人足達の顔を見て話し掛けた。
誰も喋ろうとしない。何人かは周りをキョロキョロと見回しながら、何か言いたげな表情をしている。しかし、大半の者は黙って廃青の話しに聞き入っていた。
そして、意を決した一人の人足が立ち上がり、廃青に向かって話した。
「阿闍梨様。私は見ました、龍神様がそのお姿を現して、天空彼方へ昇って行くのを。そのお姿は正に不動明王様の三鈷剣に絡みつく倶利伽羅の様でした。阿闍梨様は奇跡を起こされました。地上に降臨した不動明王様を私は初めて見ました。正しく大日如来様でした。有難や、有難や」
人足は両手を合わせて、何度も廃青に頭を下げた。廃青はそれを聞いて、満足そうに何度も頷いた。
「貴方には御仏のお姿が見えたと。素晴らしい事です。これからも大日如来が貴方の守護となり、貴方を守るでしょう」
廃青の問いは、何時しか法話に変わって行った。参加者は皆それを受け入れたので、彼の法話も熱を帯びて行く。彼は耳目を集めた。




