63 反清復明は続く
その頃、故陝西省巡撫、李玉祥の後任着任迄の代理となり、正三品、提法使に任官した馮鶴雲は、省内の反乱分子鎮圧に頭を悩ませていた。湖北省武昌での兵士の反乱“武昌起義”が起こる時代の切り替わりにあって、旧勢力たる清朝は、地方迄統治能力を及ぼす事など出来ない状況にあった。
政治、経済、軍事、教育に新たな制度、人材を登用するには清朝政府の財政は十分ではなかった。列強に対日賠償金の借金をした為、東北地方の利権をロシアに獲られ、ドイツには膠州湾を租借され、フランスにも広州湾を租借される始末。英国には九竜半島、威海衛、新界の租借となる。列強に海岸地帯の蚕食を許す結果。これらの動きは租借地の密貿易を促し、清朝による税収入の著しい低下を招いた。
それでは新しい施策を進める財源は何処から得るのか? 貿易による収入が限られる中、手っ取り早い方策は国内からの搾取しかない。地方の各省総督や巡撫は、自前で新軍を設立、養成して軍閥化を進めており、各省は独立こそしてはいないが清朝の声は届いていない。当然税の徴収も芳しくない。
住民は新制度に係る税を負担せざるを得ない。総督、巡撫は賦課徴収するが、中央政府に税は届かない。今も昔も中間搾取によって、住民と政府には金がない状態は続くのである。住民が声を上げ、行動を起こすのは自然な事。蜂起すれば新軍による圧迫で封鎖し、表面だけは調える。その繰り返しは解決策にはならず、何時しか問題は露呈して、手に負えなくなる。正に、今はその時であった。
「未だ秦嶺山脈に巣くう賊を退治出来ないと?」
提法使、馮はわめき散らす。
「畏れながら探索地域が広く、一朝一夕には難しいものと存じます。ご存じの通り、あの一帯は南五台山、翠華山、驪山、圭峰山などで構成されておりまして、南五台山に兵を向けましても、南台に進むと北台に、東台に進むと西台へと移動し、痕跡を残しません。そうかと言って、中台を包囲しましても漢中方面へと逃走しますし・・・」
秘書官の金は畏まり、恭しく上司に報告していた。
「そんな事は始めから分かり切っていた事だろう、違うか?」
「仰せの通りかと」
「己の失態を覆い隠す為の便法ではないか。俺は無理な事を要求しているのか?」
「いえ、そのような事は・・・」
「では結果で示せ」
「しかしながら、秦嶺山脈は余りに広く、南は湖北省、西は四川省にも及びます。又清国の南北を分かつ山々ですので、深山に分け入るものでございまして・・・」
「俺は『湖北や、四川の賊迄掃討しろ』と言ったか?」
「いえ」
「そうだろう。『陝西省の賊を片付けろ』と言った筈だが」
「そうでございます」
「では何故、事が進まないのだ」
金は暫く口を噤んだ。そして意を決したかのように喋り出した。
「閣下。これからは私の推測で申し上げますので、どうかお聞き流し願います。終南山は古来より、仏教、道教の聖地でございます」
「そんな事は聞く迄もない」
「話しを進めさせて頂きます。先ず第一に、浄土宗の始寺、東林寺がございます。こちらは浄土宗発祥の地とされておりまして、天台大師、智顗や鑑真和上もこの寺を訪れております。又、あの岳飛将軍も参拝しております。更に、浄土宗寺院として、悟真寺がございます。こちらの寺院は唐の時代、北院、南院、竹林寺、水陸道場、華厳院と共に千名を超す僧侶が修行していたと言われておりますし、南山律宗、華厳宗、三論宗の発祥の地でもございます。禅宗に於いては、古刹として著名な古観音禅寺外、数多く点在している次第でございます。更に道教につきましては、開祖老子の墓もございますので、山中には数多の道観がございます。そしてこれが最も重要な点でございますが、市街地に建立されております、チベット仏教寺院の広仁寺の末寺が、山麓にあるそうでございます」
「それは真か?」
「はい、本当でございます。仮に賊がこの末寺に逃げ込んだとしたら、とても手を出せるものではございません。下手をすると、北京から如何なる難癖を付けられるか・・・ この末寺に逃げ込まなかったとしても、他の寺院に入られゝば、その宗派と諍いが起きるやも知れません」
「それでは我々は手が出せん、と言う事ではない」
「残念でございます」
馮の顔が赤くなってくる。それとは対照的に、金の顔は先程迄の青ざめた表情から、幾らか赤みが覗いている。




