60 秦の遺構
西安での馮との会見の翌日には、セガランは咸陽での遺構発掘に取り掛かっていた。既に陳泰平と呉石へ、訪日前に指示していたので、表層は剥がし終わり、事業面の確認作業に入っていた。大地に横たわる石碑は数千年の埃りや塵を洗い流し、表面に陰刻されている文字は風化が激しく、ある程度しか読めない。
セガランは姉妹墳墓から連れて来た劉に拓本の採取を指示し、自分は滑車での石碑の引き上げを陳と相談した。陳は呉と滑車2台で引き上げる算段をし、呉はそれを人足に伝える。トラックから資材を降ろし、素早く滑車が組み立てられる。
威勢の良い掛け声と共に石碑に巻かれたロープに滑車を噛ませて、ロープが引かれる。2組の滑車で徐々にではあるが、石碑が持ち上がり、その下にある石蓋が見えて来る。数人の人足が素早く竹ぼうきで石蓋の土を払う。石蓋が大きな自然石で出来ているのが確認された。
石碑の下にコロを噛ませ、石碑を数メートル移動させると、石蓋の全容が見えた。巨大な自然石であるが、表面は比較的滑らかであった。
石碑が移動され、自然石の石蓋の全容が見えた。90cm四方の石蓋が横3個、縦4個の計12個確認された。一枚岩で構成されてはいない。人足が丁寧に土を払い、石組みの側面を掘り下げる。脇には層序を確認する為のトレンチが掘られ、セクションを確認しながら次の事業面迄掘り下げるよう、セガランは指示した。特に撹乱された様子はない。と言う事は、項羽によう焼き討ちはなかった、若しくは免れた可能性があると考えたセガラン。
石組みの周囲を彼は人足に指示して掘り下げさせた。均一の粘質土丹塊交じりの土が堆積しているだけで、焼土や礫などは混じっていなかった。10cm程掘り下げると石蓋の下部が確認され、呉にそれを伝えた人足がバールで蓋をこじ開けようとしていたのを見た呉が、作業を中止させた。現状の地表から70cm掘り下げた事になる。
「親方」呉は陳に声掛けをした。
「何だ」
「石蓋を確認しました。開けても良いですか?」
「待て、セガラン様に確認する」
そう言うと、陳はセガランに蓋の撤去について尋ねた。セガランは撤去前に写真と平面図及び側面図の作成を指示し、その後の撤去を伝えた。
陳は指示された作業量から当日の撤去を断念し、翌日に撤去するよう呉に命令した。呉もそれを人足に伝え、その日の作業が終了した。
セガラン、劉、陳、呉は明日の作業確認を現場で行い、西安の宿舎に戻って行った。
翌日には写真も撮影され、平面図及び側面図も作成されたので、石蓋の撤去作業が始まった。石蓋の重さは凡そ200kgと推定されるので、人足4人が端から順に撤去作業を開始した。
初めの石蓋を開けると、そこには周囲と同様の、粘質交じりの土が堆積していた。次に隣の石蓋を開けた。その中にも粘質交じりの土が堆積している。全ての石蓋を撤去したが、全てに粘質交じりの土があるだけで、他には何も見つからなかった。
セガランは陳に、石組みの周囲の掘り下げを命じた。人足達は陳の命令通り、石組みの周りの土を撤去する。トレンチのセクションを確認しながら掘り下げ作業をする。
地表から1m掘り下げたが何の変化もない。勿論トレンチのセクションにも、そのレベルでは事業面の確認は出来なかった。
結局その日の作業は、石組みの中の全てが粘質交じりの土の堆積である事を確認して終了した。
多少の期待はあったのだろう、セガランは少し落胆の表情を浮かべたが、劉や陳及び呉の手前、あからさまな態度はとれない。皆に作業の慰労を伝え、帰路に着くのであった。
辺りはトウモロコシ畑と雑木林が広がる、何の変哲もない風景が見える。静かに夜の帳が下りて行く。




