56 海洋民族 2
「海洋民族、航海民族と言う言葉を知っているかい、陳」
「いえ、初めて聞く言葉です」
「そうか。呉は?」
「私も知りません」
「そうか。では少し説明するか。紀元前5千年から3千年の頃、支那の歴史で言うと何時代になるのかな?」
「セガラン様。支那は最古の歴史を持つ国です。恐らく夏王朝が紀元前2千年頃ですから、その前ですと三皇五帝時代です」
陳が誇らしげに応えた。
「陳よ。それは神話の時代じゃないのか?」
「いやいや、史記にも書かれていまして、神農、伏義が治めていた時代ですよ」
「そうか」
「それ程、悠久の歴史を持つ国という事です」
「では、その三皇五帝時代の南支那や台湾から多くの支那人が東支那海や南支那海、果ては南太平洋迄進出していたとすると、どうだろう」
「そんな昔から支那人は、海外に進出していたんですか?」
「そう言われているね。南太平洋の先住民族はモンゴロイドに近い種族だと」
「だから私の夢にも支那語が出て来たのか」
「いや、それは違うな。夢は自分の経験した世界から想起されるものだから、自分で理解出来ない言語はないし。そもそもが、夢では言語での会話が成立しているのではなくて、意思の疎通が会話という形式で行われるから、言語が存在しない筈さ」
「でもセガラン様、私は島民と支那語で会話したんですが」
「それは言語による会話ではなく、意思の疎通が想像に拠る会話形式で伝達していたのさ。君の経験から支那語とフランス語は理解出来るから、そのどちらかで会話が構成されるんだよ」
「そうですか?」
「そうさ。それに君が訪れた島は南支那海の島ではなく、南太平洋の島なんだよ。そこではフランス語が主流だが、多種に渡る言語も存在し、それを初見で支那人が理解出来るとは思えない」
「何で南太平洋の島なんですか?」
「良くぞ聞いてくれた。私は清国に招待される前、タヒチで軍の仕事に従事していたのだ。滞在は結構長くてね、休みには各島々を巡って島の神話や伝承、言い伝えの類いを収集したのだ。その中には南太平洋諸島の世界で信じられている神々の名前が少しずつ違って口伝されているのだよ。例えば、君が聞いた塔洛阿、Taloaだが、これはクック諸島ではタンガロア、タカロアと呼ばれ、サモア諸島ではタガロア、フィジーではタグロア、タヒチではタアロア、ハワイではカナロア等と変化して伝わっている創造神なのさ。しかし、その創造神も地域に拠って役割が変わってしまい、海の神や冥府の神として信仰されている地域もある」
「神様の名前が変わったり、役目が変わるなんて信じられませんね」
「それだけ文字のない世界で、人の口を介して神話を伝える事は、難しいものなのだよ」
「そうでしょうね」と呉が口を挟んで来た。
「本題に戻ろう。夢の世界は自分の経験と意志によって構成されるから、辻褄の合わない事も、必ず何かと関係性がある。すると君の夢は、恐らく呉と法要を開催する件で話したと言った事から、君が法要の必要性を表面上では理解しているが、無意識の中では否定しているのかも知れない。それをそのまゝ夢でみると、意識している事と心の奥底で感じている事の矛盾が露呈してしまい、君の心に葛藤が生まれ、精神的な負担、ストレスによって心が壊れてしまう可能性があるので、オブラートに包んで抑圧している意識を解放しているのだ」
「何を言っているのか分かりません」
「親方、私もですよ。安心して下さい」
呉は陳の味方となるべく、相槌を打った。
「無意識の意識、又は抑圧意識というものは人類に共通するものから、民族や一族に共通するもの迄、多種多様なのだ。これも例を上げて話すと、蛇を嫌いな人は多いだろ?」
「はい」
「これは、ほ乳類が爬虫類に捕食されていた時代の名残から来ていると言われているのだが、好きな奴もいるのは可笑しくないか? 人類共通の記憶なら全ての人が嫌いにならなければ可笑しいだろ。それがそうではない。そこから人類共通の意識と民族共通の意識、更には一族共通の意識が幾重にも折り重なって記憶が形成されていると説明する説もある」
「すると親方は支那人の意識と陳一族の意識が折り重なった夢を見た、と言う事ですか?」
「そう。支那人として南太平洋の島に行き、支那語で会話した処は民族の意識。それ以外の塔洛阿、塔内はかつての海洋民族、陳一族の意識から構成された物語さ」
「確かに私の祖先は広東から移って来たと、祖父から聞いた事があります」
「その両者の意識を矛盾なく抑圧意識から解放したのが、今朝見た夢さ」
「そう言われますと、そうかと思いますね」
陳が納得したような顔でセガランの説に同調した。




