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53 塔内と塔洛阿

 夜も明けきらぬ前、暁には未だ早い時刻に(ちん)泰平(たいへい)は家を出た。呉と相談して道教の方士に法事を依頼した手前、現場に早く着かなければと思って、何時もよりは早く家を出たのだ。

 彼の家の周りには人家は疎らにしかなく、林と畑が一面に広がっていた。林と畑を左右に見る通りを西安に向かって北上する彼は、昨日の帰りと同じく懐中電灯を明滅させながら歩いていた。


 家から100mは離れた頃合いに、彼の後ろの林の中から一人の男が近付き、手に持った棍棒で陳の後頭部を勢いよく殴った。

「ウワァッ」陳は悲鳴を上げて道路に突っ伏した。

 男は暫し、辺りの様子と陳の具合を伺った。そして陳が昏倒したのを確認すると、陳の持っていた懐中電灯を奪い取り、陳の懐をまさぐって巾着を己が手に取って懐に入れ、陳の両脚を持って彼を林の中に引きずって行った。道から20m程奥まった平地に彼の身体を置き、陳の上に辺りの枯れ枝を撒き、何もなかったかのように西安へ向けて駆け出して行った。


 後頭部を棍棒で殴打され、陳は昏倒した。ピクリとも動かないが、彼の意識はしっかりしていた。払暁に見た夢が又しても彼を夢の世界に誘った。


 輪郭のぼやけた白い霧状のものが彼方に現れた。

「又だ」陳は、今度は身構えず、じっくりと霧状のものを凝視した。

「今朝は何もされなかった。単に俺の頭の上を通り過ぎたゞけだった。何も恐れる事はない、正体を見破ってやる」その思いで彼方を見詰めていた。

 すると、白い霧状のものゝ上に小舟が現われた。

「何だ、あれは? 今朝の夢とは違うのか? 霧の上に一艘の舟。それならば、霧に見えたのは白波なのか? もしそうならば海に俺はいるのか?」

 そう思って見ていると、白波を割いて小舟が陳の方に向かっているように見えなくもない。波に押されるように小舟の舳先が真っ直ぐに自分の方へ向かっている。


「俺は海上を漂っているのか?」彼は納得したような、しないような妙な心持になった。


 今回も白波はゆっくり大きく見えて来る。その上に乗った舟も大きく見えて来る。陳の方へゆっくり近付いている。

「今朝は波が俺の上を通り過ぎたが、何もなかった。それで目を覚ましたんだ。今見ているのはそれと少し違って、波の上に小舟が乗り上げて進んでいる。これはどんな意味があるんだ?」

 陳には二度目の体験ではあったが、初めてより構成が若干違っている事に意味を持たせようと考えるが、上手い答えが出て来ない。


 彼方から近付いて来ても、白波と小舟の輪郭は明瞭には見えない。焦点の合わない双眼鏡で対象物を見ている感覚なのだろう、彼がそう思って見ているから、そう見えるだけなのかも知れない。

 近付いているのは分かる、対象物が大きく見えるから。白波にも霧にも見えるし、小舟にも板切れにも見える。それが彼に迫っている。今朝の夢から判断して、恐らく陳に害を加える意図はないのだろうと思いながらも防御の態勢を取ろうとしたが、矢張り身体が動かない。

「これも夢なんだな」陳は安堵の気持ちと、若干の不安で待ち構える。


 白波そして小舟と解釈した物がゆっくり彼の頭上を通り過ぎる。まるでサーフィンで言う処のパイプラインのように彼の周りを白いものが覆う。

 又しても何処からか声が聞こえて来た。物音ではない、動物や鳥の発するものでもない、人の声のように聞こえた。


「同じだ」身体を動かす事は出来ない。しかし両手、両脚、躰、頭にも認識を向ける事が出来る。金縛りにあった状態なのだろう。


「確か、今朝は『塔洛阿タロア』と聞こえたような気はした。今度もそうか?」

 気持ちを落ち着け、彼は待ち受けた。

「Tanne・・・? 塔内・・・」そう彼には聞こえた。


「違う。塔内? 今朝、聞こえた名とは違う」

 陳は聞き間違えたかと思った。しかし、彼の心に静かに入り込んで来た名は、塔内と彼には聞こえた。


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