51 馮の置かれた立場
馮鶴雲は一時の落ち着きのなさから、苛立ちが目立っていたが、袁が隋朝の財宝の一部を手土産に帰省した時を境にして落ち着きを取り戻した。袁が西安に滞在していた時は、何時殺されるのか戦々恐々として、夜間安心して眠る事など出来なかった。幾ら赦されたとはいえ、端から李玉祥と組んで袁に相談せず、財宝をかすめ取ろうと動いていたからだ。
それが、袁がいなくなった途端に夜はぐっすり眠れ、食事はどれもかれも美味しく食せた。お蔭で一時げっそり痩せていたのが、今では元通り太った体形に戻ってしまった。そのせいか、最近は身体を動かすのも億劫に感じられる。
何も心配する事のない生活を送れているのだ。それがどれ程精神衛生状態に寄与するか、身をもって知らされた訳である。
彼は思い返した。李陝西省巡撫の心筋梗塞に拠る急死を発表すると同時に、劉宗人府事務官経由で摂政王に政府との秘密交渉を李から己に変更した事で、副官から昇格の内定を示唆された。勿論、袁の根回しもあったろうが、表向きは宗人府の動きが大きかった。劉保の上司である属官、曹強力から摂政王、醇親王載灃に馮昇進の案が出され、彼から彼の長男で皇帝として即位した、溥儀に昇進の奏上がなされた。
陝西省は直隷省である為、皇帝の直属省であり、巡撫は皇帝が任命する形になっている。馮は特段の功績もなく、中央でのコネクションもなかった。通常なら、他省からの巡撫也が横滑りするものだが、軍機処大臣には袁世凱の盟友である徐世昌がいたし、渭水の河床遺跡からの埋蔵品収益が摂政王にもたらされた経緯もあり、陝西省巡撫ではないものゝ、正三品、提法使に内定したのである。
次期巡撫着任迄の短い間ではあるが、彼は陝西省のトップになったのだ。前任の李の下、彼は己を殺して李に仕えて来た。無論役得はあったが、巡撫の権限とは比べようもない、微々たるものであった。その強大な権限を己一人の欲望でどうとでも使えるのだ。これが嬉しくない筈がない。彼は己の権力を打ち出の小槌にするべく行動した。
「金を呼んでくれ」
馮は室内の電話で秘書を呼び出した。
彼の呼び出しに少し遅れて、執務室に部下が入って来た。
「馮閣下、お呼びでしょうか?」
「金君、今日の俺の予定はどうなっているんだ?」
馮は威厳を醸し出そうと、ゆっくりそして低い声で秘書に予定を尋ねた。
「閣下のご予定は特にございません」
金は己の手帳を見ながら応えた。
「そうか。それでは劉の処に行きたいから、彼に『これから行く』と伝えてくれ。それと車の手配も頼む」
「分かりました。直ぐご連絡致します」
そう言うと金は執務室から退出した。その姿を見ながら、馮は考えた、劉を急かせて、政府の直轄現場以外の発掘現場を増やそうと。
確か、陝西省での発掘は北京の直轄事業であった事を知り、前任の李は激怒した事があった。彼の怒りが、現場で発掘に従事していた人足に迄及び、少なくない数の人足達が寝込んだり、不調を訴えたり、果ては法要迄実施する羽目になり、発掘の進展が阻害された経緯を思い出し、その轍は踏むまいと、彼は劉との交渉を如何にすべきか考えた。
「矢張り下手に出るべきであろうか。故人のような高飛車で物事を押し通そうとすると、何処からか反発を受ける事態になる。かと言って余り下手に出ると足元を見られかねない。その塩梅が難しいか?」
劉との折衝は李程ではないものゝ、威厳を持って交渉すれば主導権は己が掴めると、馮は考えていた。提法使に昇進する高揚感が彼を少しは舞い上がらせたかも知れない。
車の手配が出来る間、そんな事を想いながら待っている馮の表情から、彼の多幸感、達成感が読み取れるだろう。
幾ばくかの時間を待って、彼は自動車で劉の現場に向かった。しかし李と違って、兵士を満載したトラックは随行しておらず、付き従うのは運転手と護衛二人だけであった。
「これだけでも、劉の俺に対する気持ちは、前任者とは違うだろう」
そう思いながら、馮は前方を見詰めた。
その頃、河床遺跡で残務整理をしていた劉は、セガランから聞かされた、咸陽地区での発掘について考えていた。今迄の現場は隋朝時代のものであり、埋蔵品の手掛かりは石碑の碑文を読み解く事で、或る程度絞れたが、秦朝時代の石碑は如何であろうか? 具体的に碑文の採取は秦朝、隋朝時代と推測した遺構を中心に行ってきたが、明確に秦時代の物だと推定して採取した物はない筈だ。すると、現場は何処になる? 色々推測を巡らす劉に、招かざる客、馮が近付こうとしていた。




