37 外交の行方
この頃の日本帝国の外交は、小村寿太郎が外務大臣として動いていたが、伊藤博文は満蒙問題解決を図る為、対ロシア融和政策を打ち出していた。その一環としてロシア帝国蔵相、ココフツォスが極東を訪問する時期に合わせ、伊藤はハルピンを訪問するのである。
満蒙問題とは、日露戦争の勝利によって日本帝国が、長春から大連に到る南満州鉄道をロシアから獲得し、北満州への日本進出を懸念するロシアの対日戦争第2ラウンドが警戒されるに至る、日露間の不安定な外交状態を指す。日本への南満州鉄道譲渡によって、ロシアの中東鉄道は長春からハルピン迄の南武線、そして東武線と西武線だけになった。
中東鉄道の所管は大蔵省であり、ココフツォス蔵相は日露戦争敗戦からのロシア財政再建策として、赤字路線の中東鉄道売却をアメリカに打診した事もあり、国家財政を逼迫させる赤字鉄道事業の清算を視野に入れていた。これに対しスホムリーノフ陸相は、沿アムール総督ウンテルベルゲルが建議した対日警戒論を支持し、蔵相と真っ向から対立した。内閣の亀裂を恐れ、ロシア皇帝ニコライ二世は両者の融和を諮り、蔵相に現地視察を提案した。
この情報を逓信大臣兼鉄道院総裁の後藤新平から伝え聞いた伊藤は、ココフツォス蔵相との会談を望み、後藤の協力を得てハルピンに向かったのである。
この時、伊藤の考えはロシアの中東鉄道と日本帝国の満鉄との協定締結であった。だが後藤はロシアが中東鉄道の売却をアメリカに打診した事により、アメリカの関心が満蒙、特に東三省(清朝国家の故地、奉天省、吉林省、黒竜江省を指す)に注がれる事を恐れたのである。則ち国際社会の眼が注がれ、満蒙の利権(南満州鉄道の沿線周辺に於ける治外法権、軍の駐屯権等)を脅かすものになると疑っていたのである。
事実、清朝は東三省に於ける日露の鉄道利権を脅威と捉え、愛琿と錦州を結ぶ錦愛鉄道敷設契約や新民屯から法庫門に到る鉄道敷設契約は、満鉄の併行線となる為日本は反対し、契約破棄に追い込んだ。この計画は軍機大臣、慶親王奕劻が英米を巻き込んで遂行しようとしたものである。
この計画はロシアにとっても不都合であったので、日露は協調して契約を潰したのである。
これが1909年から10年にかけての満蒙の政治状況であった。日露は鉄道に関しては同床であったが、地域安保に至っては異夢と言わざるを得ない。
では日本の外交姿勢は如何であったのか? 桂太郎総理大臣は伊藤と同じく対ロシア融和派であったが、外務省の小村は対ロ強硬派であった。それは日露戦争について、如実に表れている。伊藤は開戦に反対していたが、小村は開戦に賛成していた。これがポーツマス条約へも影響しており、小村のアメリカ派遣につながったのである。しかしながら、外務省の方針は満蒙の鉄道権益については伊藤と同様であった。なるべく国際社会の注意を引きたくない、無用の波風を立てたくない、悪戯に清朝を刺激したくないである。
石井はあの日以降も汪と会談を持っていた。保守派の外交政策を少しでも日本に有利にと動いているのだ。
「閣下、その後の外務部の動きに変化はございましたか?」
「何も変わっておりません」
「私共の徐福碑顕彰式典は、内務省とも協議を致しまして、共同開催に漕ぎつけようかと言う処迄来ております」
「それはありがとうございます」
「帰国のお土産は用意致しましたので、閣下のご決意を」
「そのように言われましても、梁敦彦外務部尚書閣下の引退は決まっておりませんし、醇親王載灃殿下が政府を主導している現状では・・・ そもそも殿下は保守派ですが、洋務派の政策を大幅に取り入れまして立憲君主制も視野に入れる柔軟な考えをお持ちの方でして。現状殿下に対抗し得る人物と言えば袁世凱閣下しかおらず、その閣下も下野しておりますので、親日派にも親露派にも分のない争いに為りかねません」
「それは私共も認識しております。その現状を打破するに足る人物が、必要なのです」
「袁閣下が下野した後でも、内閣で実力を保持している方と言えば、北洋軍に影響を保っている徐世昌郵伝部尚書閣下でしょうか。後は東三省で軍事力を背景に、台頭著しい張作霖ですね」
「張作霖殿は駄目です。彼は陸軍との関係が深過ぎます。例えば、陸軍省軍務局軍事課長の田中義一大佐が彼のバックにいますから、外務省が接触する事は出来ません」
「そうなりますと、徐郵伝部尚書閣下しかおりません」
「彼は袁閣下の刎頚の友ではありませんか。袁閣下の色が濃過ぎますな」
「彼以外となると・・・ 石井次官のお考えは?」
「我々が誼を通じているのは、我が国に留学経験のある者達なのですが、制御しきれない処がありまして・・・」
「それは存じ上げおります。洋務運動の一環として我が清朝は政治、経済、教育の手本を日本に求めました。大清帝国より留学させた者の多くが『民族、民権、民主』の三民主義を唱え、革命共和へと思想が過激化してしまいました。それを抑えようと外務部が日本の文部省に中国同盟会の監督を要請した結果が、革命派の武装蜂起につながってしまった苦い経験がありましたから」
「それです。孫文君などがその代表でしょう。彼を支援する者も我が国には多くおりまして、政府としても何処迄、援助すべきか悩んでいる処でございます。そうなりますと、我が国にとっても、貴国にとりましても安心して手を携える事の出来る方は、閣下しかおりません」
「そうなるのですか?」




