35 劉は動いた
袁世凱の視察を受けて、劉は急いで渭水での河床発掘現場に人足頭を訪ねた。
「頭。作業は何処迄進んでいるんだい?」
「これは、事務官様。お陰様で、阿闍梨様の法力の凄さが分かりました。すっかり体調も良くなりまして、厲鬼調伏のお蔭でございます。」
「それは良かったね。私もあの阿闍梨様の法力を信じていたから、頭に憑りついた厲鬼の祟りを祓おうと、お願いした甲斐があったと言うもんだ」
「これは本当に厲鬼に憑りつかれた者でないと分からないかも知れませんが、それ迄見得ていた霊やら鬼の類いがすっかり姿を消してホッとしました」
「本当に元気になって良かった。処で頭、相談したい事があるんだが良いか?」
「何なりと仰って下さい。私で出来る事なら何でもしますよ」
「それでは・・・」
劉は渭水の現場の指揮を依頼した人足頭に作業の進捗を尋ね、大まかな指示をした。先ず、この仕事の最大の元凶が取り除かれ、不足した人員も補充出来る事、それによって来週から姉妹墳墓の作業を終了して、全ての人足をこちらの現場に充足する事を告げた。
劉の話しを聞いた人足頭は大層喜んだ。彼を悩ませていた重荷が綺麗に消えたからだ。現場が一つになれば、全てを劉が指揮する事になり、己は人足の世話をメインにした、本来の仕事に携わるだけで良くなる事を理解したからだろう。
「これで作業の時間は大幅に短縮されるから、成果も期待される訳だ。しっかり頼むよ」
「はい。お任せ下さい」
現場での今後の作業工程を人足頭に伝えると、直ぐに彼は宿舎に戻った。そこには測量図の作製や作業日報、宗人府への報告書に携わっている李来仙がいた。宿舎に着くなり劉は李を呼び、事の顛末を話した。
「これで最大の懸案事項が解決した訳だ。人足達も安心して仕事に掛かれるから、現場の雰囲気もガラリと変わったよ」
「それは結構な事でございます。逃亡したり、寝込んでいる者も安心して復帰するでしょう」
「そうなんだよ」
「しかし、事務官様のお話しでは、単に頭が李閣下から袁閣下に変わったゞけではございませんか?」
「君の心配も分かるよ。李閣下の振る舞いは、人の上に立つ者のそれではなかったからね。そう感じるのも無理はないが、袁閣下と話した処では、我々の立場も十分配慮してくれたものだったから、君の杞憂だと思うよ」
「そうですか? それでしたら宜しいのですが」
「それよりも、理事官様に報告に行ってくれないか?」
「私で宜しいのですか?」
「あゝ。この一週間で姉妹墳墓の作業を終了して、渭水の作業に来週から全力で取り掛かりたいから、現場を離れられないんだよ」
「分かりました。そういう事情でしたら喜んで行かせてもらいます」
「唯、一点だけ注意してもらいたいんだが。袁閣下の事なんだ」
「袁閣下の何が?」
「今の袁閣下は摂政王殿下によって大臣を罷免され、今は市井の者だと言っていたから、その点を配慮して理事官様に報告してもらいたい。理事官様が摂政王殿下にそのまゝ奏上したら、何故に袁閣下が係わるのか聞かれるだろうし、殿下の逆鱗に触れるのではないか?」
「その通りですね。引退に追いやった人間が殿下の知らぬ処で動いていたとしたら、殿下の面子を潰すようなものですからね」
「だから袁閣下が馮副官様に名義を替えた事も、それを憂慮しての事じゃないか?」
「それは考えられます」
「ではその点を配慮して言上してくれ」
「はい」
翌日、李は劉から理事官宛の報告書を携えて、北京に向かった。馬車と列車を乗り継いで、西安から一日で紫禁城に入った。
宗人府で劉と李の直属の上司である理事官、曹強力に李は劉の心配事を伝え、摂政王、載灃への奏上について、袁世凱の名前を伏してもらえるよう言葉を添えた。
曹も官人である以上、袁の罷免の経緯は知っていたし、摂政王と彼との仲も知っていたから、要らぬ波風を立てよう等とは思ってもいなかった。
翌日の報告は発掘の終盤に差し掛かり、覚書の当事者が、相手方の事情により陝西省巡撫、李玉祥から陝西省巡撫副官、馮鶴雲に変更になった事のみを説明した。
幸いにもこの日は奏上文が普段よりも多く、それ程時間を割ない事情もあって、何ら質問もなく終了した。こうして、袁世凱は己を罷免した摂政王と利益の共有を約する事になったのである。




