31 カイキ
西に河口湖、南に不二の頂きを見る山は何の変哲もない、何処にでもある山であった。公使館通訳官の沈鐸の話しぶりから多少は期待したが、山頂迄針葉樹や広葉樹が混雑する山であり、海外東経に記述のある「湯谷之上有扶桑」や、大荒東経に見られる「山有名曰、孽揺頵羝、上有扶木」の如き扶桑樹が自生する山ではなかった。
二人は登って来た道とは反対側に降りて行った。麓に近付くにつれ傾斜が滑らかになり、山林から畑地に地形が変わって来る。この地方は桂川沿いに発展して来た地域であり、平地は少なかった。水田は山裾に沿って開墾され、不整形地の水田がほとんどである。水を引けない土地は畑地や果樹林、桐畑、桑畑として利用されている。
「矢張り、山海経に記された土地ではありませんでしたね」
沈がセガランに声をかけた。
「古書の記述通りの処などありませんね、鶴塚もそうでしたし」
セガランには気落ちした素振りは見られない、淡々と里に戻って来た。
「確かにそうですね。しかしこの周辺には未だ温泉地が他にもありますから、そちらも回ってみましょう」
「沈君。君の熱心さには敬服するよ」
「何を言っているのですか。全てセガラン様が、摂政王殿下より賜った命ではありませんか。日本にその痕跡がなければ、次は済州島、台湾に向かえば宜しいのです。それでも駄目でしたら、琉球やルソンも候補地に挙がっておりますから、探索は続けなければなりませんな」
「そこ迄の時間が、私にあるかどうか?」
「ご都合の悪い事でも?」
「未だ西安の発掘が完了していないのです。何の成果も挙げられぬまゝ、殿下の命によりこちらに、静養がてら来た訳です。こちらでも空手形を出せば、殿下の印象も悪くなるばかり」
「殿下はセガラン様の成果を期待しているとは思えませんが」
「何故ですか?」
「仮に成果を挙げるとするならば、それ相応の準備と態勢が必要になりますが、今セガラン様が仰られた『静養も兼ねて』ならば、字句通りに解釈して宜しいかと思います」
「そうなのですか?」
「恐らく、間違いないでしょう。ですからお気持ちをお楽にして、調査しましょう」
「そうですね」
沈の励ましなのかは分からないが、セガランの気持ちは幾分和らいだ。山裾のなだらかな地形を歩きながら辺りを見回す、気持ちにも余裕が出て来たのだろう。農家の者が其処彼処で、畑の草むしりや剪定をしている。
「この風景は西安でも見ました」
セガランは数ヶ月前、陝西省西安郊外で発掘に従事していた時の風景を思い返し、嘆息した。西安の郊外では、トウモロコシ畑や果樹畑が陵墓の周りに広がっていた。山と陵墓の違いだけだと思いながら、桂川に向かう小道を彼は進んだ。
果樹畑の剪定をしている男に向かって、沈が近付いて何やら話し掛けた。それを傍で見やりながら、セガランは歩みを止めて彼を待った。沈は戻って来てセガランに報告した。
「私の思った通りでした。セガラン様、周りを見て下さい」
そう言う沈の言葉に促され、セガランは下って来た山道を見返した。山裾から山道際迄畑が連なっている。先程言った西安郊外と変わらぬ景色が見えた。
「あの畑は桐と桑の畑だそうです」
青々とした葉を広げる桑畑が確かに見える。
「この地では養蚕が盛んに行われているそうです。何でも江戸時代より養蚕が広まっていたとの事で、この地での貴重な収入源だそうです」
「君が自説を披露した蚕ですか」
「そうです。何でも、今は政府が奨励しており、多くの農家が携わっているそうですよ。それに養蚕は、平安時代の文献にも記載されていると言っていましたから、古くからその技術が伝承されていた証ではないでしょうか」
説明する沈の言葉にも力が入っている。
「君の説の傍証にもなるのかい?」
「そうだと思います。江戸時代迄は国内需要に対して、今は海外への展開も政府が進めているそうで、『甲斐絹』と呼ぶそうです」




