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30 扶桑樹とは

 セガランと大清帝国駐日公使館通訳官の沈鐸(ちんたく)は山梨県、瑞穂(みずほ)(むら)(現富士吉田市)を目指した。御茶ノ水駅から新宿駅を経由して国有鉄道、中央東線に乗り大月駅で降り、そこからは内務省が手配した車で瑞穂村にある葭之(よしの)(いけ)温泉の旅館に辿り着いた。彼等の目的はそこから1kmと離れていない福源寺である。


「セガラン様、如何でしたか、旅の感想は?」

「大月駅迄は良かったのですが、それからの車の旅は、道が悪かったのか、些か疲れました」


「そうでしたか。セガラン様は我が国での移動は、鉄道が殆んどでしたから、車の移動はご不便だったようですね」

「車は北京にいた頃より使用していましたが、清国の方が道路は良かったですね」


「そうですね。我が国は昔より、皇帝陛下が首都と古都を結ぶ線を整備しておりましたから。それより、此処迄の道程で気付きませんでしたか?」

「何をですか?」


「瑞穂村の立地です」

「意味が・・・」


「セガラン様の選択眼は素晴らしかった、と言う事です。こゝは、山海(せんがい)(きょう)で記された扶桑樹(ふそうじゅ)の国と同じ環境です」

「それはどういう意味でしょうか?」


「これは未だ、セガラン様にお話しゝていなかった事でした。山海経には蓬莱山(ほうらいさん)の他に、扶桑樹についても記載があります」

「それは是非伺いたい」


「分かりました、お話し致します。山海経の東山経では『南望幼海、東望榑木』、海外東経には『湯谷之上有扶桑、十日所浴』、大荒東経には『大荒之中、山有名曰孽揺頵羝、上有扶木』とあります。又、荘子には『過扶搖之枝』の記述がありました」

「それがどのようにつながるのですか?」


「海外東経の“湯が沸く谷の上の山に扶桑がある”との記述は、温泉地の上の山に扶桑樹が植生している。大荒東経の“孽揺頵羝(げつようきんてい)山の上に扶木がある”と言っているのです。葭之池温泉の山に、扶桑樹が群生している可能性があるかもしれませんよ」

「2千年も前ですよ」


「そうですね。『そうであったら良いな』位の私の願望です。冗談はさて置き、明日は福源寺の碑を確認した後、山に入って確認しましょう、如何ですか?」

「分かりました」


「これは私が調べたのですが、“扶桑”は“榑木“、”扶木”、“扶搖”とも記されている事は今お話し致しましたが、漢字を調べてみたのです」

「何か目新しい事が分かりましたか?」


「“扶”には這う、腹這うとの意味、傍らとの意味もありました。禮記に『扶服救之』との記載がありますし、淮南子(えなんじ)には『去高木而巣扶枝』との記述も見られます。私見になりますが扶桑は桑に腹這うもの、又は桑の傍らの蚕という解釈は出来ないでしょうか。我が国では5千年前より、蚕の繭から糸を採取し、絹を生産していましたし、医薬にも利用しておりました。(とう)(ちゅう)夏草(かそう)として有名な漢方薬もありますし、蚕沙(さんしゃ)は鎮痛、鎮静に優れており、これらから不老不死の仙薬と見做されたのではないでしょうか」

「新しい解釈ですね」


「私の個人的な見解です。仮にそうであったとしたら、日本は古来より桑の木が群生する地であり、ヤママユから糸を採取する方法を徐福が連れて来た職人達によって先住民へ伝えた事になります。彼等は絹の生産から仙薬の生産迄可能になり、数百年後に東海の(たん)(しゅう)で子孫が見つかった事が、その証拠につながりませんか?」

「意見は控えます。私見として伺いました。明日福源寺を訪ねた後に山に登り、桑の木を探してみましょう。そうすれば沈君の仮説が真に成るか否か、分かるでしょう」


「そうですね。私も(そう)(よう)(しん)()といった類いの仙薬よりも、可能性としては高いと思っているだけですので、この見解に固執している訳ではありません」



 翌日、二人は福源寺を訪れた。宿泊した宿から1kmと離れていないその寺は9世紀に建立され、鬱蒼とした森に囲まれる静寂な環境に昔はあったであろうが、今は地方の街道に隣接した交通の便の良い地になっており、村の寺院といった趣である。

 徐福は不二に仙薬を求めたが見つからず、鶴となってこの地に舞い降りたと言う伝説がある鶴塚がそこにある。碑らしきものは見つからず、塚らしきもの、しかなかった。住職から鶴塚の由来を聞いた処、この地方に機織りの技術を伝えたのが徐福であり、彼の功績を後世に伝える為、この地方を都留郡と称したのは、鶴塚から来ていると教えられた。


 寺には目ぼしい痕跡もなく、彼等は戻って、葭之池温泉に隣接する山に入って行った。雑木の続く山道を登り頂きに辿り着くと、西に河口湖の湖面が銀色に光って見えた。南には不二の頂きが直線距離にして20kmもなかった。そんなロケーションから、沈は瑞穂には徐福の痕跡が残っているのでは、と淡い期待を抱いた。


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