3 摂政王、醇親王載灃の思惑
「監国様。ヴィットル殿から送られて来た資料がこちらになります」
吏僚の一人が政務をとる摂政の執務室に恭しく入って来て、摂政の側近たる宦官に拓本や写真を差し出した。吏僚が退室するのを確認すると、宦官は受け取った資料を醇親王載灃に手渡した。醇親王は一枚一枚丁寧に確認した。そして何十枚とある拓本、写真を全て見終わり、嘆息した。
「矢張り、万里の長城と通恵河には、隋の秘密はなかったか。それでは西安と洛陽に向かってもらうか。否、その手前に秦の咸陽があったな。初めに向かうのは西安が先か」
「監国様。お望みのものではなかったと」
宦官の一人が尋ねた。
「そうだ。私の望んでいたものはなかった」
「何をお求めなのですか?」
「大清国を蘇らすものさ」
「大清国をですか?」
「そうだ。お前達は分かるか? 何故、西太后が隋の長城と通恵河を調べさせたのか?」
「いえ」
側近一同、異口同音に応えた。
「そうだろうとも。私も初めは何故、貴妃が隋の長城と通恵河を調べさせたのか、その理由が分からなかった。それ故に随分と思慮したものだ。そしてある推測に思い至った」
「その推測とは?」
「隋は中華の歴代王朝の中で、短命な王朝であった。それに対して周や漢、晋、唐、明等は長期王朝を築いた。しかし王朝末期は国力が衰退し、民心が離れ反乱、一揆などで瓦解した。それらを思い浮かべ、私はある思いに至った。秦と隋はどうであったのか?」
「監国様の仰せの通り、秦と隋のみでございました、短命の王朝は」
「秦と隋共に民心が離れ、崩壊した訳ではない」
「その理由は?」
「英邁な始祖に対し2代、3代は如何であったか。後継者に難があったから、諸侯や宰相に操られ、自滅の道を選んだのだと結論付けた訳だ。翻って我が大清国は如何であろうか」
「英邁なる監国様の改革によりまして、時代に即した体制変革に進んでおります」
「前半は兎も角、我々は今、四面楚歌の状態にある。列強の圧迫は日ましに強くなり、“眠れる獅子”が今では“死せる豚”と迄言われる始末」
「全く持って、嘆かわしい事に」
「悔やんでも仕方ない。過ぎ去った過去の栄光は、今の我等の糧にはならない。話しを戻そう。大清国は未だ衰退期には入っていない。人口の増加は歴代王朝の中でもトップクラスであるし、3億以上の民が住んでいる。確かに東夷や南蛮には負けた。しかしそれは武力のレベルが違ったからだ。今大清国は、西欧の諸制度を取り入れ、政治体制、兵制と列強と比肩するレベルにあると思う。故に大清国の未来はある。そこで、どのようにこの国を進めるのか、これが肝要である」
「仰せの通りでございます」
「後は自滅しなければ良いのだ。幸い、皇帝陛下に佞臣はいない、私が摂政である限り。力ある総督、否軍属かそれもいない。であるならば、我が大清国は政治体制を一新し、借款により列強から租借地を獲られた過去を取り戻さなければならない。その為に、貴妃は動いたのだと、私は結論付けた」
「流石は高邁なる監国様」
「では貴妃の目的は、何であったのか。彼女が何故、隋の遺構を調べさせたのか、分からなかった。短命王朝は秦もそうだからだ。隋でなければならない、何かゞあると。そして、それは恐らく、隋の秘宝だと私は推測した」
「その意は?」
「考えてもみなさい。華北から江南に掛けて整備された、全長2000kmにも及ぶ大運河ネットワークを煬帝の時に完成させたのだ。それが如何に国家にとって、富をもたらしてくれたものか。人口の増加がそれを示している。更に言うなら祖、調、役の税制がもたらす大幅な税収アップと相まって、3度も高句麗遠征が出来た事だ。最も、遠征失敗が隋の命取りになった事は間違いない訳であるのだが」
「如何にも、蛮夷の者共を正す事が出来ぬなど、笑止」
「しかしだ。煬帝は4回目の遠征も計画していた、と言うではないか。その財力たるや、計り知れないものがある。如何に人と税が国力に直結するかゞ分かるであろう。あの俗物たる西太后だ。その事に気付き、軍資金の一部に充て、南蛮を大清国から一掃しようと、考えたのではないのか。全く以って愚かな事だ。彼我の国力差を考えず、唯闇雲に騎虎の勢いで以って事に当たるなど、何をかいわんや」
「ご賢明な結論、一同感服致しました」
「それ故私は秦、隋の崩壊を調べ、大清国の瓦解を阻止し、再び栄光を取り戻す」
「我等一同も微力ながら、ご助力致します」
「一同の助力、皇帝陛下に成り代わって感謝する。それでは、ヴィットル・セガラン殿に秦、隋の都に向けて出発してくれと連絡を頼む」