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28 大清帝国特命全権公使の折衝

 大清帝国特命全権公使、汪大燓(おうだいしょう)は沈に命じて、大日本帝国外務省に電話を掛けさせ、外務省の石井事務次官との会談を午前中にセッティングさせた。


「大清帝国特命全権公使の汪でございます」

 事務次官室に入り、汪は石井事務次官にあいさつをした。

「これは汪閣下、お久しぶりでございます。本日は何用でしょうか?」


「次官にご相談がございまして、お伺いした次第でございます」

「どのようなご相談でしょうか?」


「3日前に摂政王殿下の使いが来日しまして、大日本帝国に於ける徐福の碑を見て回りたいと言うのです。国内の移動をスムーズに行いたく、次官から内務省にお取り計らいをお願いしたいと思いまして、お願いに上がった次第です」

「徐福の碑ですか。私はそちらの方面は素人ですから何も分かりませんが、何方に行かれる予定ですか?」


「山梨県の瑞穂村(みずほむら)(現富士吉田市)と三重県の新鹿(あたしか)村(現熊野市)を予定しているそうです」


「そこに徐福の碑があるのですか?」


「さあ? 私も門外漢ですので、その者の言う事をそのまゝ、伝えているだけです」

「そうですか。特に軍の基地や兵営がある処ではないですから、内務省に話せば許可が下りるとは思いますが」


「宜しくお願いします」

「それで閣下、何人で周るのですか?」


「通訳の沈とセガランと言うフランスの医者二人です」

「フランスの医者が、どんな関係にあると?」


「はい。何ですか摂政王殿下と個人的に親しくて、研究の為だとか。我が大清帝国でも各地を廻って碑の拓本を採取していたそうですから、こちらでも同じ事をすると思います。勿論フランス共和国の関与するものではありませんので、ご安心下さい」


「そう願います。我が国と貴国との関係で進める話しですから、お間違いのないように。それと拓本ですが、それだけでしたら問題はないでしょう。しかし、それ以外の場所に行ったり、不審な行動があれば問題になりますが・・・」

「その点はご安心を。沈を通訳兼監視として付けて行動させますので」


「分かりました。内務省の内諾を得られるよう話してみましょう」

「ありがとうございます」


「処で、10年前には閣下に危うい処を助けて頂き、感謝しております。何時か、その時の御恩を返さなければと、常々思っておりましたから、良い機会です」

「そう言って頂けると私も動いた甲斐があります」


 石井の語った件は、1900年に起きた清国版尊王攘夷運動、義和団事件の事である。当時彼は北京の公使館に勤務していたのだが、凶徒の公使館乱入から、一部清軍の過剰反応により公使館員一人が死亡した事件があった。彼は事前に汪から情報を受けていた為、公使以下無事に公使館を退去出来たのであった。八ヶ国連合軍が北京に進駐し、連合軍指揮を日本が担っていた為、事件後を見据えた汪の対応であったと考えられる。


「あの時は閣下の賢明なご判断で、公使も無事でしたから感謝の言葉もありません」

「全員無事に退去されたと思ったのですが・・・」


「事件のどさくさに紛れて、杉山書記官が(とう)(ふく)(しょう)の配下の者に殺害されました。あの時は洋務派と反対派の思惑があって、断固とした処置を執れなかった、と聞きました」

「そうでした。董提督は排外主義者でしたから・・・ それに何処ぞの公使も殺害されましたし」


「我が国も明治維新の前には、外国船打ち払い令や生麦事件などの攘夷運動が盛んでしたから、後始末に苦慮された事は同情致します。どうしても攘夷は苛烈になりますから」

「全く以ってその通りにて。各国から死罪を求める声が多くて、難儀したようです。最も私などは未だ下っ端でしたので、内容迄は」


「それは私も同じです。お互い血気盛んな時でした」

「もう、10年前になりますか・・・」


「話しは変わりますが、梁尚書閣下はお元気ですか?」

「体調が芳しくないとの知らせがありまして、近々交代するのではないか、と噂されております」


「ほう、そうしますと次は閣下の就任ですか?」

「どうでしょうか」


「私で何か、お手伝い出来る事はありますか?」

「ありがとうございます。その話しは日の高い内は・・・」


「そうでした。ご都合の良い日時をお知らせ下さい。ご相談致しましょう」

「良しなに」


 汪公使の退出後、石井は内務省に汪公使の要請内容を伝えた。そして日を置かずに、公使との夜の会談を設定した。

 この頃、大清帝国の日本への対応は二つに分かれていた。日本の制度を積極的に受け入れ、自国の立て直しを図る者と、日本よりもロシア帝国やドイツ帝国に靡く者とがいた。汪はどちらかと言えば、前者であろうか。石井もそれを知っているので、親日派の大臣を擁立出来れば、満州利権及び対ロシア政策に於いて有利に事を運べる、と踏んでいた。


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