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19 調伏

 劉は現場から一番近い郷村の厲壇(れいだん)に赴き、方士に(れい)()調伏(ちょうぶく)の依頼をした。方士は厲鬼調伏の話しを聞き、孤魂を救済する懺孤(さんこ)(こん)なら未だしも、厲鬼を駆逐する儀式としては二つあり、一つは大儺(だいだ)といって、旧暦11月末日に行うもので、もう一つは厲壇と言い、清明(せいめい)(せつ)(24節気の一つで旧暦3月辰の月の正節、新暦4月5日頃)、7月15日、10月1日に祀るものであり、これを外して行うのは難しいと断られた。他に手立てはないのか尋ねた処、施餓鬼(せがき)ならば請け負うと言われたが、今度は劉が難色を示した。結局、厲鬼を調伏するには大儺と厲壇しかないと知り、そのまま宿舎に戻って来た。


 劉は李を呼び、西安か咸陽に赴き、寺院に調伏の依頼をするよう命じた。但し、巡撫に知られる事なく、依頼するよう断りを入れられた。多分であるが、方士に断られ為、縁起を担いだのではないだろうか。己が行って交渉すれば、又拒否されるのではないかと。



 西安は清朝時代でも、支那仏教の中心地であった。唐の時代には長安と呼ばれ、西域から幾多の僧が仏教経典を携えて入唐しているし、この地で皇帝から戒壇を赦され、壮大な伽藍を建立した寺院の歴史もある。


 李は先ず()竜寺(りゅうじ)を尋ねた。この寺には西太后が額を寄進して、帰依していた事が知られている。所謂、国寺扱いの寺院であったので、清朝関連の法事しか執り行っておらず、庶民の依頼は無理であった。

 次に向かった寺院は、臥竜寺に一番近い大薦(だいせん)福寺(ふくじ)であった。この寺には一時、金剛(こんごう)()が滞在して、金剛(こんごう)(ちょう)(きょう)を漢訳した事でも有名である。経典は四海から訪れる僧によって、支那各地、朝鮮、東夷にも伝来した。

 彼は印度出身で、龍樹(りゅうじゅ)(ナーガルジュナの漢訳名)の孫弟子にあたる。数多くの経典を携えて入唐した中国密教の始祖であり、空海が継いだ真言八祖の5代祖でもある。

 この寺院でも李の依頼は断られた。彼は幾度、宗人府の依頼である事を口にしようとしたか。しかし、それは上司の劉から強く禁じられていた。巡撫に知れ渡る事が眼に見えているから、出来ないのだ。一介の村民として西安に来ている為、身分を明かせないのが彼にとっては悔しかった。

 何日か西安、咸陽の寺院を巡ったが、色よい返事は聞けなかった。この地の有名な寺院はその殆んどが、国寺扱いされており、庶民の法事は、厲壇で方士が執り行うのが常であった。それでも、道教から調伏を断られた経緯があり、仏教寺院に頼るしかなかった。



 その日、李は大雁塔で有名な大慈恩寺(だいじおんじ)を訪れたが、そこでも法事依頼を断られた。道すがら、彼は都の家々や伽藍を落胆した気持ちで見ながら歩いていた。そして或る廃寺跡がその目に入って来た。そこには一人の僧が佇んでいた。

近付くにつれ、僧の発する声が流れて来る。それはリズミカルで心地良いものだった。どうも何かの経文を読んでいるらしい。しかし、手元には経典らしき物は見えない。李は僧の正体に興味を持ち、彼に近付いた。李の気配を感じた僧はにこやかに声を発した。


「愚僧に何かご用ですかな」

 その顔は何処にでもあるような中年男性のそれであったが、その笑顔には、何か人を引き付ける雰囲気があった。李の疲れた心を癒す効果があったのだろう。


「否、何でもございません。それよりも、何方のお坊様でしょうか?」

「愚僧は修行の身故、何処の僧房にも」


「こちらで何をされていたのでしょうか?」

「これは、見られておったのですか」


「はい。大慈恩寺から帰る途中、目に留まりました」

「そうでしたか。何かのご用で大慈恩寺に?」


「はい。法事を依頼に行ったのです」

「それはご奇特な事です」

 二言三言、僧と話している内に、李はこの僧に依頼してみようと思い始めた。そう思わせたのは、矢張り僧の笑顔に惹かれたからだろうし、どうにでもなれ、との捨て鉢な気持ちもあったのかも知れない。事の子細を話し、法事の依頼を願い出た。


「そうでしたか。各寺院にお願いしても断られましたか。宜しい。こゝで会ったのも御仏のお導きでしょう。愚僧がお力になりましょう」

「これぞ正しく盲亀の浮木。いやいや、阿弥陀如来のお導き、将又大日如来のご加護か。ありがとうございます。これで一安心致しました」


「衆生の救済こそが仏の本旨。お任せあれ」

「お願いついでにお聞きしますが、お布施は如何程で?」


「先程も申した通り、愚僧は修行中の身なれば、心配ご無用です」

「それでは余りにも我等の勝手過ぎます。幾ばくかでも宜しいので」


「そこ迄言うのでしたら、今晩の宿と食事をお願い致したい」

「それで良ければ、何泊でもお泊り下さい」


「貴方のご好意に甘えてばかりでは、托鉢も出来ませんな」

「このような阿闍梨様がおったとは・・・」

 李はこの数日の疲れが吹き飛ぶような思いだった。劉から巡撫に知られる事なく、依頼するようにとの命によって、村民の法事依頼として伺ったが、悉く断られてしまった。どうすれば良いのか思案に暮れようとした時、修行僧と出会った事が彼の問題を解決してくれた。李にとって、安堵の気持ちが一番強かった。


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