17 始皇帝の求めたもの
翌日、セガランは公使館に呼ばれた。公使館の会議室に入ると、汪公使と若い男が待っていた。
「おはようございます。セガラン殿」
「おはようございます、閣下」
「貴方に適任者を紹介しましょう。この者は公使館の通訳として働いている沈鐸と言って、方士について詳しい者です」
「沈鐸と申します。セガラン様、宜しくお願いします」
「こちらこそ、宜しくお願いします、沈さん」
「それではセガラン殿、私は仕事がありますので、これにて失礼します。以後はこの沈通訳官に、何でもお聞き下さい。沈君頼んだぞ。監国様の命でセガラン殿は働いているのだから、粗相のないようにな」
「はい、閣下。お任せ下さい」
沈は部屋を出て行く公使に、頭を下げて見送った。セガランも同様に頭を下げて見送った。扉が閉まり、会議室には沈とセガランの二人になった。沈は早速喋り出した。
「早速ですがセガラン様。徐福について、如何程お知りでしょうか?」
「全く存じません」
「それでは蓬莱山は?」
「日本だと、教えられました」
「そうですか。山海経の中の海内北経に“蓬莱山在海中”との記述があります。これが初めて、蓬莱山について文書で確認されたものです。他の扶桑等と照らし合わせて、日本だと推測したのでしょう」
「そうでしたか。知りませんでした」
「仕方ありません。清国人でも知らない者もおりますから、お気になさらずに」
「ありがとうございます」
「それでは、方士は?」
「無知で申し訳ない」
「いえいえ。神仙思想については見識がない、という事ですね。分かりました。私から掻い摘んで神仙思想について、お話し致しましょう」
「宜しくお願いします」
「今の神仙思想は道教の影響が強く出ていますが、初期の神仙思想は、古代中国の神話などの影響を受けておりまして、人知を超えた存在、不老長寿となる事を目指したのです。それを成し得た者が仙人と呼ばれる訳です。一方、神とは自然界に存在する超能力を持つものです。仙人と神との関係は、始皇帝の例でお話し致しましょう。中国を統一した始皇帝には、神性があったとされています。神に近い力を持っていたかも知れません。例えば、始皇帝が東海に石橋を掛けて、太陽の昇る様を見ようと思い至った事がありました。海に石の橋を築くには大量の岩石が必要で、山から持ち出し尚且つそれを海中に投ずる必要もあったのです。人力でそれを成す事は、途轍もない時間を要します。しかしその力を持った海神が始皇帝に協力を申し出ました。石橋は完成しましたが、歴代の帝や王のように、始皇帝にも傲岸不遜で冷酷な面がありまして、海神の怒りを買い、結局石橋は崩壊してしまいました。この話しは有名な逸話です」
「沈君、始皇帝は古代の人間ですぞ」
「はい、そうです。皇帝になる程の人物ですから、神通力に長けていたと言われています。何せ、麗山の神女と付き合っていた位ですから」
「まるで、仙人のようですね」
「否、違います。仙人は不死です。今、お話し致しました始皇帝も、石橋を掛けようとした本来の目的は、渤海の先の海上にあると言う蓬莱山へ向い、不老不死の扶桑を得たかったのでは、棗、養神芝を望んでいたのではないか、とも解釈されているのです」
「それでは始皇帝は半神半人と言う事ですか?」
「そうですね。ギリシャ神話に出て来る、半神半人に近いと思いますね」
「それ程の人物でも、不老不死を望むのですか」
「半神半人でも、不死ではありませんからね。アキレスやヘラクレスなど、神と人の間に生まれた者の宿命ですか」
「洋の東西で同じ境遇の者がいた、と言う事ですね」
「それが人間の性でしょうか。その欲を昇華すれば、仙人になれるとされています。最も彼は、幾度となく暗殺されかけていましたから、尚更でしょう」
「それが日本にあるのですか?」
「蓬莱山は日本以外にも琉球、台湾や済州島などが候補地として上げられます。しかしながら、扶桑樹は古来より日本にあるとされていました。古の昔から日本は、扶桑国と呼ばれていましたから。それで監国様は日本を指名したのでしょう」
「そうですか」
「それに始皇帝には、数多くの方士がいました。盧生、韓衆、羡門などを抱えていました。更に安期生や王次仲も一時居りました。特に安期生は、安期先生とも呼ばれ、彼は始皇帝に大歓迎され、そのお礼に蓬莱山へ皇帝を招待したとも言われています。それもあって、始皇帝は蓬莱山に向けて徐福と盧生を派遣しました。皇帝に数多侍る方士から、何故徐福が選ばれたかと言いますと、彼の法力が桁違いだったからです。ある時皇帝一行が巡幸されたのですが、酷い渇きに襲われたのです。辺りに水源はなく一同途方に暮れていた時、徐福が如意を懐より取り出し、大地を数度叩くと、泉の水が滾々と湧き出たそうです。そんな彼ですら、皇帝の許に帰還する事はなかったのです。しかし、数百年後の東海の亶洲で子孫が見つかったとか。唐の開元年間(713年~741年)に、登州(現在の山東省蓬莱市)の東方海上の孤島に徐福が住んでおり、不治の病に悩まされていた島民に、黒い丸薬を与えて完治させた話しが伝わっています」
「すると徐福は蓬莱山に辿り着いて、不死の仙薬を手に入れた、と言う事ですね」
「そう言う逸話が残っているのです。唯、盧生は行方不明のまゝですので、この話しには整合性がありません」
「両者の痕跡があったのであれば分かりますが、片方しかないとなると、仲違いした可能性はありませんか?」
「方士としては徐福の方が格上でしたので、仲違いと言うより追放されたか、逃げたか、辿り着く前に亡くなった可能性が強いと考えられています」
「そうしますと、蓬莱山は存在する。それが扶桑島である日本」
「そのように推測なされたと思います、監国様は」
「貴方はどうお思いですか?」
「私もそう思います。しかし、蓬莱山は日本ではなく、済州島だと思っているのです。但し、扶桑島の扶桑樹の実を食べると不死になると言いますし、棗に至っては、唐の詩人李白も詠っております」
「李白が詠じておるのですか」
「はい。“我昔東海上、餐紫霞労山。親見安期生、食棗如大瓜”味は大瓜のようだったと言っておりますので、棗は瓜の一種でしょう。味は兎も角、安期生に会って棗を食したのですから、実在の果実ですね。それが東海の海上にあると言っていますから、これからも日本の可能性はあります」
「それは可笑しいですよ。李白は唐時代の詩人でしたね」
「はい」
「そして安期先生は秦の時代の方士ですよ。紀元前219年頃に活躍していた訳ですよね。李白の活躍は740年代ですから、950年以上の開きがありますよ」
「仙人なれば何等不思議はありません、と言いたい処ですが。この詩は『昔、東海にある仙界の労山で食事を安期先生として、瓜のような棗を食った』と想像で描いたものです。有り得ませんよね。私が言いたいのは大瓜に味が似ていると李白が詠っている事です。棗を食した事はないが、大瓜の味と同じと断じていますから,唐の時代ではそのような認識だったのでしょう」
「唐の時代の棗の認識を言っているのですね」
「そうです。李白は唐の都、長安で官吏をしていました。その時、遣唐使として来朝した日本の阿倍仲麻呂とも知り合いでしたので、日本の事も聞いていたのでしょう。それもあって作られたと思いますよ」
「それを聞いて私も安心しました。もし違っていれば、私も徐福のように姿を消さなければなりませんね」
「セガラン様はご冗談もお上手だ。それではもう一つ、ご安心出来る傍証を提示致しましょう。セガラン様は算命学と言う占いを御存じですか?」
「いゝえ」
「算命学は鬼谷先生が伝えた占いで、気学や四柱推命の元となった占いです。生年月日から運勢を占うものです。戦国末期に活躍した鬼谷先生には、斉の武将で“孫臏兵法”で高名な孫臏将軍や秦に対抗して六ヶ国による合従策を提唱した蘇秦宰相、秦の宰相で連衡策を提唱した張儀と言った弟子がおりました。その頃、既に鬼谷先生は180歳を超えていたと言われています」
「その方も仙人ですか」
「諸子百家、あらゆる学問に通じていた占いの祖、であると伝えられています。道教では古の仙人に列せられています。その鬼谷先生に始皇帝が人を介して、神鳥の咥えた草について問い合わせた処、『東海の祖洲にある不死の草で、養神芝と言い、一株で一人の命を救える』と答えています。如何ですか?」
「始皇帝は多くの方士や占い師などに、不死の仙薬を求めていたのですね」
「はい。その多くは東海の三神山や祖洲にあると示しています」
「今迄の説明では日本以外にありませんね」
「そうなると思いますが、三神山と祖洲は違うとも考えられます。『東海の海中』、『東海の先』と記述されたものをどう解釈するかです」
「方向とすると、台湾、沖縄、済州島、日本ですか」
「はい」




