16 蓬莱山へ
当時の上海は、大清帝国に於ける最大の経済都市であった。イギリスとのアヘン戦争(1840年~1842年)に敗れ、清朝は南京条約に調印し、上海を自由貿易港として開港した。これにより当地へ列強の進出が促され、上海租界が出来上がった。多くの外国企業が進出して企業への投資が促され、大清帝国最大の都市へと発展するのである。
そんな上海から日本への航路は横浜、神戸、門司、博多、長崎など幾つかあり、セガラン一行は横浜港に向かう定期旅客船に乗り込んだ。上海・横浜間は船中で二泊もすれば到着する距離である。彼も妻も、そして彼の妹も日本への旅は初めてゞあった。フランスと勝手の違う清国での生活に戸惑いながら暮らした者にとって、更に未知なる土地での生活がどのようなものになるのか、不安な心持ちで日本に向かっているのである。
セガランにとって日本に対する認識は、フランス軍の軍事支援によって欧州列強と肩を並べた生徒。大国清に軍事的勝利を収めた東洋の強国。妻や妹は、清国から遠く離れた中華圏外の地ほどの認識であろうか。
2日前の9時に上海を出港した客船は、当日の15時に横浜の大桟橋に到着した。客船からぞろぞろと欧米人、清国人、日本人が降りて来る。
この当時の日本の立場から見ると、日本と清国の往来は活発になり出していた。日本帝国の支配地が朝鮮半島から大陸へと拡大する過程であったので、そこに商機を見出す者は幾らでもいた。清国人は日清戦争での敗北を分析して、日本の改革を学び、清国にフィードバックする為来日する者が増えていた。同じように欧米人も、勢力圏を拡大する日本での商機を見出していたので、上海経由で来日する者は一定数いた。セガラン一行も、そんな欧米人と同様に見られたのかも知れない。
一行は横浜から鉄道で東京に入り、そのまゝ在日大清帝国公使館に向かった。当時の公使館は、麹町区永田町2丁目2番地の広大な地(3千坪以上)に構えられていた。公使館でセガラン一行は、摂政王からの文書を汪大燓特命全権公使に手渡し、一行の目的を告げた。そして彼等は、宿泊する“帝国ホテル”に案内された。
ホテルの部屋に入り、初めて彼等は安堵の表情を浮かべた。渋々やって来た訳ではないが、異国から異国へと緊張の連続であった。彼等にとって、ホテルの部屋は西洋世界そのものと言っても過言ではなかった。旅客船や鉄道もフランスで馴染んだものではあったが、彼等の周りには常に東洋人がいたので、何とはなしに構えていたのだろう。そんな雰囲気から解放されて、緊張の糸が切れたのだろうか。ベッドで、ソファで彼等は暫し寝入ってしまった。
程なくして公使館から晩餐会へ招待する旨の連絡が入った。20分程の仮眠ではあったが、彼等の顔色はすこぶる良くなっていた。晩餐会は汪特命全権公使の公邸で行われた。
「セガラン殿、上海からの長旅、大変でございましたな」
「お気遣い頂きありがとうございます。本日は私共の為に、このような盛大なる晩餐会を催して頂き、感謝申し上げます」
「監国様からの特別なる外交文書を拝見致しました。セガラン殿の日本でのご活躍が叶うよう、我々も協力させて頂きます」
「汪閣下からのご助力の申し出、感謝致します」
「それで、如何なる地に赴くのでしょうか?」
「それでございます。私も日本は初めてゞございます。監国様からのご要望で参った次第ですので、右も左も分かりません。何処から調査するのが良いのか?」
「それでしたら明日、部下に調べさせますので、セガラン殿は暫し、ホテルでお寛ぎ頂いてお待ち下さい」
「貴方、ご挨拶はそれ位にして頂いて、私達をご紹介下さい。イヴァンも手持ち無沙汰で困っていますよ」
妻が二人の話しの区切りの良い処で、会話に入って来た。二人は直ぐに晩餐会の参加者をそれぞれが相手方に紹介し、食事が始まった。
「セガラン殿、監国様は外交文書の内容以外に、如何様なご指示を貴方に出されたのですか?」
公使が再びセガランに尋ねた。
「はい。文書に書かれている事のみです。監国様のご指示は『徐福の痕跡を探れ』だけでございました」
「そうですか? 口頭で指示された事はないのですね?」
「何もございませんでした」
「梁敦彦外務部尚書様から何か言付けはありませんでしたか?」
「何もございません。そもそも外務部を介した業務ではございません。監国様直々の公務でございます」
「そうでしたか。私とした事が大変申し訳ありませんでした。てっきり外務部からの口頭指示があるものだと思っておりましたので。そうなりますと、日本の外務省ではなく、内務省と話しをしなければなりませんか」
「どのような意味でしょうか?」
「対外交渉の件です。何をするにも日本帝国政府の許可を得ませんと、この国では動けませんので。外務省でしたら伝手もあったのですが、内務省となると・・・」




