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ふたりの密談

朝日が窓から差し込む頃、カティアはすでに身支度を整えていた。机の上には、昨夜遅くまでかけて書き上げたノートが開かれている。エドガーの庭園で見つけた奇妙な植物。青の粉の使用例と、それに伴う異変。そして、自らが育てた虹色パプリカの特性。


今日、ジークハルトとの報告会で伝えるべき情報は山ほどある。


カティアはリリーと共にいつもの路地裏に足を止めると、マリーへと変身する。短い茶色の髪に、ふっくらとした頬。日に焼けた逞しい手。


「……ふぅ、よしっと。今日もバッチリね」


リリーには八百屋の方へ行くように言い、マリーはジークハルトとの待ち合わせ場所の広場へと歩き出した。


***


「待たせたな、マリー」


背後からかけられた声に振り返ると、ジークハルトが立っていた。いつもの騎士団の制服ではなく、落ち着いた灰色のシャツに黒いコートを羽織った姿。見た目はごく普通の市民だが、その凛とした佇まいは隠しきれない。


「あらあら、気にしないでよ。あたし、今来たところだよ。おはよう、ジークハルト様。今日もいい天気ね」


マリーはにっこりと笑い、手を軽く振って見せた。その明るさに、ジークハルトも少し肩の力を抜いたように見える。


「おはよう、マリー。ああ、良い天気だ。元気そうで何よりだ」


広場の片隅、噴水の向こう側にあるベンチ。ここが、ジークハルトとの約束の場所だった。人目につきにくい場所を選んだのは、彼の慎重さゆえだろう。二人はベンチに腰を下ろした。前回よりも距離が近く、言葉の壁も少し薄れている気がする。


「まぁ、あたしは元気だけど……ジークハルト様こそ、お顔がちょっとお疲れ気味じゃない? 騎士団のお仕事、大変なんでしょ?」


ジークハルトは苦笑いを浮かべ、小さく息をついた。


「少々睡眠不足でね。最近は調査で夜更かしが続いている」


「そりゃあ無理もないけど、身体が資本よ。倒れたら元も子もないからね」


「気遣いありがとう」


「ところでさ、あの青いやつ、何かわかったのかしら?」


マリーの問いに、ジークハルトは周囲に目を配ってから小さな声で返した。


「騎士団の中でも、異変に気づき始めた者が出てきている。特に近衛騎士の一部に、家族が原因不明の体調不良を訴えている者が複数いる」


「やっぱり……アレが関係してるってわけね」


「そうだ、青の粉を使っていた」


ジークハルトの表情が険しくなる。


「だが、証拠が足りない。しかも、高位貴族の間でも使用例が出てきていて、公にはできない状況だ」


マリーは唇を尖らせてうなった。広場の向こうでは子供たちが追いかけっこをして遊んでいる。その無邪気な笑い声を聞きながら、マリーはこの平和な日常を守るための戦いに身を投じていることを実感する。


「じゃあ、あたしの方でも一つ。……これは友達から聞いたってことで、よろしくね」


ジークハルトは静かにうなずく。


「エドガー王弟殿下もね、あの青い粉のことを調べてるみたいよ。お屋敷の温室で、青い色の土を使って植物を育ててるんだって。どうなるか見てるらしいのよ。なかなか興味深いでしょ?」


「エドガー殿下が……?」


「ええ。殿下も、あの粉の気味の悪さにピンときてるみたい。あたしの友達が言ってたんだけど、その土を使った植物はすぐに元気がなくなるって。殿下も、それを見てかなり心配されてたって話よ」


ジークハルトは顎に手を当て、思案するように視線を落とした。


「興味深い話だ。……実は私も、青の粉の流通経路を追っていた。ある人物の名前が浮上してきている」


彼はポケットから折り畳んだ紙を取り出し、広げる。


「王宮料理長、ヨハン・グリューネ。貴族たちの間に広まった起点は、どうやら彼の料理にあるようだ」


「へぇ、王宮の料理長さん? そりゃまた、ずいぶん上の方から来た話ねぇ」


マリーは驚いたように眉を上げたあと、少し首をかしげる。


「そのヨハンって人、そんなに影響力あるの? あたし、そういう世界はとんと疎くてさ。どんな料理を出してるのか、ちょっと興味出てきたわ」


「王宮の行事では必ず彼の料理が並ぶ。王族や高位貴族たちも、あの料理長の味を疑う者はいない。それほどの信頼を集めている」


ジークハルトの言葉に、マリーは納得するように頷く。その表情の裏で、カティアとしての記憶が蘇る。宮廷の夜会で何度か彼の料理を口にしたことがある。確かに最近、彼の料理には青色を使ったものが増えていた。このことをジークハルトに伝えるわけにはいかないが、情報のピースが少しずつ揃い始めている実感があった。


「実はね、あたしもちょっと面白いもん見せようと思って持ってきたのよ」


そう言ってバッグから小さな布袋を取り出し、口を開ける。中には、きらめくような色彩のパプリカの切れ端が収められていた。


「これはあたしが育てた野菜。満月の夜にね、ちょいと手をかけて育てた特別な子。どうもね、元気の出る力がある気がしてならないのよ」


ジークハルトはそれを覗き込み、目を細めた。


「虹のような光……これが、魔力に影響する可能性があると?」


「そう! でね、明日このパプリカを使った料理を試してみようと思ってんの。まずは自分で味見して、問題なければ下町のみんなにも食べてもらってみるつもり」


「危険はないのか?」


「なぁに言ってんの。昔からある野菜だし、ちょっと育て方が変わってるだけよ。ちゃんと自分で確かめてからにするから安心しなさいな」


マリーの明るい口調に、ジークハルトも思わず小さく笑った。


二人の会話は自然と続き、互いの信頼が少しずつ深まっていくのを感じる。ジークハルトが話すたびに、マリーはカティアであれば決して見られない彼の素顔を垣間見る思いがした。規律と忠誠に生きる騎士の裏側にある、温かな人間性。


それは不思議なことだ。カティア・フォン・リーベルトとしては、社交界で何度か彼を見かけたことがある。だが、そこでのジークハルトは常に儀礼的で、距離を保っていた。マリーというおばちゃんには、彼は別の顔を見せる。


ジークハルトがふと、空を見上げるように言った。


「……君は、どうしてそこまでこの問題に関わっているんだ?」


マリーは目を丸くし、少し間を置いてから言った。


「好きなのよ、この街の人たちが。助け合ってて、元気でさ。放っとけないじゃない」


それは偽りのない言葉。けれど、本当の理由すべてを語るわけにもいかない。


二人の間に静かな理解が広がる中、教会の鐘が小さく時を告げた。マリーはハッと時計を確認し、勢いよく立ち上がる。


「あらやだ!もうこんな時間!? あたし、そろそろ退散しなきゃだわ!」


「予定があるのか?」


「ええ、ちょっとね。……また話したいことができたら、ここで落ち合いましょ」


「わかった。気をつけて」


ジークハルトの言葉を背に、マリーは小走りでその場を後にした。変身の時間制限が迫っていることを、内心焦りながらも。


***


リーベルト邸に戻ったカティアは、書斎でノートに今日の情報を書き記していた。


「王宮料理長ヨハン・グリューネ……」


名前に丸をつけながら、青の粉の流通経路と関係者について思いを巡らせる。その下に「エドガー殿下——青の粉の調査、協力者?」と書き添え、二重線で囲んだ。


「まだ謎は多いけれど、少しずつ手がかりが見えてきたわ」


情報が整理されていくにつれ、確実に点と点が線になり始めていた。エドガー殿下が調査していること、そしてヨハンが青の粉の供給源である可能性。


「お嬢様、明日の準備は?」


背後から、リリーの声が静かに届く。


「虹色パプリカを使った料理を試してみたいから、必要なものをまとめておいてくれる?」


「かしこまりました」


リリーはうなずき、効率よく準備リストを作り始める。


カティアは窓辺に立ち、茜色に染まる空を見つめた。変身の魔法。マリーというもうひとつの自分。そして、ジークハルトという存在。今、そのすべてが少しずつ交わり始めていた。

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