18 そいつは私からお前を奪う悪魔だ
「ツィラ、歩けるか?」
少年の姿をした砂男が、私に優しく話しかけてくれた。年老いた砂男は、まだオーガと話している。
私は、笑顔を作って彼に答えた。
「平気! あんなに美味しい夕食だったもの、何だか体が元気になったみたい」
「そっか。よかったな」
「妖精の料理って、変なものが出るんじゃないかと思ったけど、普通においしかったね」
「ああ、俺も、スプライトのサラダとか、エルフの目玉とか出たらどうしようかと思ってた」
私は思わず笑った。何だかふわふわとした絨毯の上を跳ね回っているみたいに、変な気分だった。私も若い砂男も、私の未来に待ち受けているものから目をそらし、言葉には出さないようにしていた。
オーガの息子を生き返らせることができなかったら、私は死ぬ。ちょっとでも逃げようとしたり、諦めても駄目。それを聞いても、私はそんなに恐ろしくはならなかった。だって、あまりにも現実味がなさ過ぎる。小指の指輪はあってもなくても分からないほど軽い。
老いた砂男が私達の元に来て言った。
「ツィラの家に帰ろう。もう夜中だ」
「話は済んだのか。何を話してたんだ?」
「ここを出てから話す」
砂男達は私を間に挟み、早足で屋敷を出た。ゴブリン達がのぞいていたので、私は手を振って挨拶をした。
外は冷え込んでいた。月明かりに照らされた夜道を、三人で歩く。私と若い砂男の視線を受けて、老いた砂男が口を開いた。
「オーガと話して、ツィラ、君を家に帰す許可を得た。何も君が危険を冒す必要はない。私がオーガの息子を蘇らせる」
私達は口を揃えて聞いた。
「どうやって?」
「今はまだ分からないが、あてが全くない訳でもない。ツィラは今まで通り、あの家で暮らしなさい。何も心配することはない」
「あんたが逃げたら、どうするんだよ」
若い砂男はそう言ったけれど。砂男は、決して逃げたりなんてしない。彼がどれだけ私に誠実で、高潔な人(妖精?)か、そしてどれだけ私を愛してくれているか、私はよく知っている。
「俺もあんたについていけばいい?」
「君はツィラを守ってくれ。いつまた、別の妖精がツィラを狙うか分からない」
私は、冷たい両手を息で温めながら、彼らの会話を聞いていた。これで本当にいいのだろうかと思いながら、何も言えなかった。
屋敷を出た時にもう夜中近かったのに、家はまだ明るかった。私は扉についた呼び鈴をそっと振った。
すぐに足音がして、扉が内側から開かれた。そこにいたのはアダーリだった。アダーリは私を見るなり叫んだ。
「母さん! 父さん! エルザ! ツィラが帰ってきた!」
そして、立ち尽くす私を抱きしめた。
「どこに行っていたの? わたし達、死ぬほど心配したのよ! 警察にも電話したし、街中探したのに、見つからないんだもの!」
「ごめんなさい……」
アダーリは、私の後ろにいる砂男達に気がついた。そして、眉をひそめた。
「あの人達に、何かされた?」
「違うの。むしろ、砂男さん達は私を助けてくれた」
家の中から、私の家族が飛び出してきた。
「ツィラ……!」
お父さんが私の腕をつかんだ。
「今の今まで、どこにいたんだ!」
「あの……オーガのお屋敷に……」
「何だって?」
老いた砂男が固い表情で父さんの前に進み出て、頭を下げた。
「お嬢さんを危険な目に遭わせてしまいました。申し訳ありません」
お父さんは怖い顔になった。
「あんたは誰だ? ツィラは今日一日ずっと、あんたと一緒にいたのか?」
「えっと、お父さん、この人は……」
「私は砂男です。人間ではありません。今朝からお嬢さんと広場へ芝居を見に行きました。その後でお嬢さんがオーガという鬼の屋敷に連れて行かれてしまい、我々もお嬢さんを連れ戻すために屋敷に行きました。そこで夕食を出され、ある重大な話をしてから帰ってきました」
お父さんには、半分も分からなかったかもしれない。けれど父さんは、おもむろに腕を振り上げ、砂男を殴ろうとした。私とアダーリがそれを止めた。
「やめて、お父さん。砂男さんは私の大切な友達なの。乱暴しないで!」
お父さんの後ろから奧さんが出てきた。エルザも一緒だ。
「とにかく中へお入りなさい、ツィラ」
エルザも大きくうなずいた。けれど……私は、首を振った。
「私は、中に入らない」
この場にいる全員に聞いてほしいことがあった。砂男達にすらまだ話していない。誰かが何か言う前に、そして私の決心が揺らぐ前に、口を開く。
「お父さん、お母さん、アダーリ、エルザ。私は、これから砂男さんと一緒に旅に出ます。いつ戻って来れるか分からないけれど、しなきゃならないことがあるの」
老いた砂男が怖い顔で私を振り向いた。
「それはいけない! 私一人で行くと言ったはずだ」
「砂男さん。私、もう決めたの」
どうしても声が震えてしまう。
「もともと、私がしたことがいけなかったのよ。私が、砂男さんを生き返らせたから。自分がしたことの結果から逃げたくない!」
私は右手の指輪を見せた。
「オーガという妖精さんに、約束したの。死んじゃった息子さんを生き返らせてあげるって。約束を守れなかったら、私が死ぬんだって。そうよ、これは私自身の問題なの。砂男さんじゃない」
私は、砂男さんの手をぎゅっと握った。
「自分の命がかかっているのに、誰かに危ないことを任せてのうのうと今まで通りに暮らすなんて、できない。私、生きたい。十年後も二十年後も、お父さんやお母さんや、アダーリとエルザと家族でいたい。やっと仲良くなれたんだもの……そのために、私は旅に出る。お願いです、許してください」
私は家族皆を見回した。誰もが疑いと困惑の表情をしていた。
一番先に口を開いたのは、奧さんだった。
「あなたはまだ子どもなのよ。無謀な旅に出る必要はないわ。あなたにはここで、学ぶべきこと、楽しむべきことがたくさん待っているのに!」
「そうよ。そいつが代わりに行ってくれるなら、任せればいいんだわ」
エルザが怒った顔で、砂男を指差した。
唯一砂男のことを知っていたアダーリは、悲しげな顔で私を見つめていた。私がすがるような目を向けると、彼女は妹と母の肩を抱いて言ってくれた。
「……ツィラの言うことは筋が通ってると思うわ。わたし達はもう守られるだけの子どもじゃないの。自分の運命を切り拓く冒険に出るのは、大人になるために必要なことよ」
「ありがとう、アダーリ」
アダーリは私を軽く睨んだ。それから、私の右手に指を絡ませた。
「約束して。絶対に、帰ってくるって。私達、待ってるから。あの物語の続きも、書かずにとっておくから」
エルザも言った。
「帰ってこなかったら、許さないからね!」
お母さんが、肩を震わせているお父さんにそっと寄り添った。お父さんは、振り絞ったような声で私に言った
「……だから、あの時言ったじゃないか。こいつは私からお前を奪う悪魔だと。恐れていた通りに、お前はこいつと一緒に私の前から消えてしまうのか。……エステルのように」
お母さんの名前を出され、私ははっとした。お父さんも、今もまだ悲しんでいるのだ、私と同じように__いや、私よりも深く。そんな当たり前のことに、どうして今まで気がつかなかったんだろう。
「お父さん、私は消えるんじゃない。出かけて、いつか戻ってくるの。生まれてはじめて、家から離れて自由に歩く。実は少しだけ、わくわくしてる」
私はお父さんの頬にキスをした。
「お願い、私を見送って。いってらっしゃいと言って。私、帰ってきた時に「ただいま」って言うから。必ず言うから」
お父さんは、とうとう小さくうなずいてくれた。
少しばかりの荷物をつめている間、お母さんと砂男がなにやら話していた。子ども部屋を片づける私を、アダーリとエルザが手伝ってくれた。
「本当に行くの?」
エルザが何度も聞いてくる。
「うん、行くわ」
その度に、私はそう答えた。
アダーリが、小さな水晶の玉をくれた。
「これをあげる。お守りよ。きっと、ツィラを守ってくれるはず」
「あたしも、これ!」
エルザがくれたのは、熊のぬいぐるみだった。
「寂しくなったら、これをあたし達だと思えばいいわ」
「ありがとう」
最後に、私達は三人で抱き合った。仲直りをしたあの時のように。
砂男達は、庭で待っていた。
「あれ、あなたも来てくれるの?」
若い砂男にそう聞くと、彼はうなずいた。
「じいさん一人じゃ、心配だからさ」
老いた砂男が、私に言った。
「本当にいいのかね、ツィラ。今ならまだ引き返せる」
「砂男さん、それは間違いだわ。私は、もう引き返せないところに来ているのよ。砂男さんに出会った時から」
そしてそれを、悪いことだとは思わない。
「行きましょう、二人とも! お月様が出ているうちにね」
お父さんとお母さん、アダーリが見送ってくれていた。エルザが家の中からかけてきて、紙の包みを私にくれた。
「これ、ケーキ。今夜食べてね。ツィラのために作ったんだから」
「ありがとう……」
エルザはくしゃりと顔を歪ませて、泣きだした。彼女の肩を抱き寄せるアダーリも、泣いていた。
月夜に、私は家族に別れを告げて、長い長い冒険に出た。
このお話は、昨年の童話祭で書いた「砂男の物語」の続きです。未完のままになりそうでかなり不安でしたが、無事に終わらせることができてほっとしています。




