16 砂の道
銀の砂を、辺り一面に撒く。勿論人間には見えない。すると散らばった砂がさっと避けて、一本の道筋が現れた。
「何やってるんだ、じいさん」
若い砂男が私の手元をのぞき込む。
「ゴブリンの手がかりを探すのだ」
「どうやって?」
私は、できたばかりの空白の道を指差した。
「ご覧。砂が動いて道ができているだろう。砂がゴブリンを嫌い、足跡を避けるからだ。ずっと砂を撒いていけば、彼らを追いかけられる」
「なるほど……!」
私がゴブリンの足跡を辿って歩き始めると、若い砂男もついてきた。
「まだ何か用があるのかね?」
そう聞くと、彼はむっとした顔になった。
「何か用、はないだろ。あんたはツィラを助けにいくんだろ? 俺も手伝う」
「君に手伝ってもらうようなことはないよ」
「無理するなって、じいさん。ほら、ゴブリンの足跡を見つけるためにはたくさん砂が必要なんじゃないのか。俺の砂を使ってくれよ」
不本意だが、ありがたい申し出だった。私は砂がたっぷりつまった袋を受け取り、どんどん撒いて道を作って行く。私の後ろを歩く若い砂男が、地面の砂を集めてまた渡してくれる。
ゴブリンは街の中を横断したようだ。見えない道を歩く我々の周りで、おもちゃを買ってもらった子ども達がはしゃいでいた。その隣を歩く親達も、嬉しそうに笑っている。クリスマス・イブだからだ。街路樹や店の窓も、美しく飾りつけられて。
人間に紛れて歩き回る妖精たちを何人も見かけたが、彼らは私を見るとそそくさと逃げて行った。オーガやゴブリンを恐れているのかもしれなかった。
道の途中で砂が足りなくなり、若い砂男が砂場に取りに行ってくれた。それを待っている間に、不安が募っていく。もし、オーガがツィラを既に殺してしまっていたら。ツィラの心に深い傷が残ってしまったら。ツィラを取り返すことができなかったら。全て私のせいだ。彼女に忍び寄る悪意に気づきもしなかった。
「待たせた!」
若い砂男が、私の目の前で手を大きく振った。大きな砂の袋をいくつも握っている。
「ああ、ありがとう」
若い砂男は、早速また砂を撒き始める私に尋ねた。
「あのさ、この後オーガやゴブリンがいるところに乗り込んだとして、どうやってツィラを助け出す?」
私は正直に答えた。
「分からない」
「なんだ、作戦があるんじゃないのか」
「逆に聞くが、君は砂男がオーガに勝つにはどうしたらいいと思う?」
「砂を投げつけてやればどうかな、顔とかに」
「誰かを攻撃するために砂を使うのは、よくないことだ」
「そんなこと言ってる場合かよ」
言い争っている間に、ツィラの家のそばを通りかかった。若い砂男も気がついて、ふと口をつぐんだ。開け放たれた窓から、甘い匂いが漂ってくる。耳をすますと、ツィラの妹と母親の話し声が聞こえた。
「上手い具合に焼けたわね、ケーキ。ツィラが帰ってきたら、驚くことでしょうね」
「うん! あたしのケーキをプレゼントしてあげるの。ツィラ、泣いちゃうかも」
「そうね。ところで、ツィラとアダーリは、いつ帰ってくるのかしら?」
「夕方までには戻ってくるって言ってたわ」
我々は顔を見合わせ、先を急いだ。道は街外れの立派な屋敷まで続いていた。屋敷の玄関から人間の服を来たゴブリンが出てて、私に気づかず街の中に走って行く。
「ここか」
若い砂男がぼそりと呟いた。私は彼の顔を見た。緊張の色がはっきりと浮いている。
「妖精の中でもとりわけ邪悪な者たちと対決する覚悟はあるかね? 怖いのならば、君は引き返したっていい。臆病だとは思わないよ」
「なめるな、じいさん」
彼は私を睨みつけた。「ツィラを心配しているのは、あんただけじゃないんだ」
複雑な装飾のある大きな扉を、迷った末に三度叩いた。すると、黒と白の燕尾服を着たゴブリンが顔を出して、我々を中に招き入れた。ゴブリンは私をまじまじと見つめていたが、敵意は感じられなかった。
「ご主人様は大広間にいらっしゃいます。どうぞ」
屋敷の中は、建物よりも広い。暗く長い廊下を歩きながら、妖精の国と同じ空気を感じた。あちこちから絶えず視線を感じるが、案内するゴブリンの他は誰も姿を見せない。壁には、人や鹿や狼や、エルフの剥製が飾られていた。
ゴブリンが、歩きながら振り向きもせずに尋ねた。
「あなたが、死から蘇ったというのは本当ですか?」
「……まあ、そうです」
「一体、どうやって?」
「私も、まだよく分かっていないのです」
ゴブリンはここで振り向き、にたりと笑みを浮かべた。「ならば、考えておいた方がよろしい。ご主人様に説明していただくことになるのですから」
私は陰鬱な気分になった。やはり、私のせいでツィラがさらわれたのだ。若い砂男は私から目をそらして、叱られまいとしていた。
大広間への扉をゴブリンが開ける。我々はできるだけ堂々として見えるように、ゆっくりと中へ入っていった。
流れていた音楽が止まった。シャンデリヤに照らされた大広間の真ん中に長いテーブルがあり、たった二人だけ席に着いていた。そのうち一人がツィラであることに気がつき、私は彼女のそばに駆け寄った。
ツィラは落ち着かない様子で、目の前に置かれたコーヒーを少しずつすすっていたが、私を見るなりぱっと顔を輝かせ、立ち上がった。
「砂男さん!」
「ツィラ……怪我はしていないかね? 怖い目に遭わされなかったか?」
ツィラは首を振った。
「ゴブリンさんに急に囲まれた時はちょっとどきどきしたけど、皆優しくしてくれた。妖精さんっていい人ばかりなのね」
そんなはずはない。ツィラをさらったのには、必ず何らかの悪意が働いているはずだ。
その時、わざとらしい咳の音が聞こえてきた。テーブルに着くもう一人の人物だ。ツィラの向かいに座っていた。
人間と何も変わらない容姿の、恰幅の良い男だった。着ているものも、指輪や首飾りも、手にする杯も全てが上等だ。光沢のある緑色のガウンに、妖精達の戦いが刺繍で描かれている。
「君が噂の砂男どのか」
耳心地の良い、快活な声だった。親しげに細められた目から、隠しきれない残忍な光を見た。
「そうです」
「ちょうど今、このお嬢さんに君の話を聞いたところだ。まあ、座りたまえ」
促され、私はツィラの右隣に腰掛けた。若い砂男は、左隣に。
「腹が減っているだろう?」
そう屋敷の主人が言うと、広間の扉が開き、ゴブリン達がぞろぞろと料理を運んできた。キノコのスープやこんがり焼いた小麦のパン、揚げたじゃがいもとソーセージの大皿、リンゴをくわえた子豚の丸焼き、いろいろな種類のチーズ、ザワークラウトやピクルスの壷、まだしゅうしゅうと音を立てる揚げたてのウインナシュニッツエルにつけあわせのバターヌードル、香草のサラダ、巨大な山型のゼリー……。
私は料理が並べられている間に、こっそりツィラに尋ねた。
「あの人にどんなことを話したのかね?」
「砂男さんのことを聞かれたから……どうして出会って、今までに何があったのかを一通り話したわ。いけなかった?」
「いいや。いけないことはないよ。話さなければ何をされるか分かったものではないからね」
「あの人、いい人に見えるけど……」
ちょうどゴブリン達が空の皿を我々の前に置いたので、話は中断された。屋敷の主人は沢山の料理を前に、笑顔で両手を広げた。
「まずは、食べてくれたまえ。君達のために用意したのだ」
私は、食べない方が良いと思った。だが、止める前にツィラと若い砂男が、注がれたスープを飲み干し、とりどりの料理を食べ始めた。こうなれば仕方がない。私も腹をくくり、チーズとピクルスをパンと合わせて口に運んだ。
屋敷の主人が話し始めたのは、食事の後でのことだった。
「お嬢さんをここに呼んだのは、食べるためでも養子にするためでもない。実は、折り入って頼みたいことがあるのだよ」
ツィラは、背筋を伸ばして答えた。
「何をすればいいんですか? 美味しいご馳走のお礼に、何でもします」
「おやめ、ツィラ! 簡単に約束してはいけない。まだ何をしてほしいのか、彼は話していないのだから」
「なに、ほんのささいなことだ。君達にとっては簡単なことのはず。妖精を蘇らせた奇跡の子に、蘇った砂男よ」
主人は身を乗り出し、大きく息を吸ってから言った。
「かつて人間に殺された、私の息子を蘇らせてくれ」




