4羽 【個体名 トラ】
『トラ、怪我の具合はどう?』
川で魚を捕らえてバリケードの内側に放り投げ、自分は【跳躍強化】でバリケードを上から越えるようにして内側に入る。
『ふむ。だいぶいい具合だ。【自己再生】のスキルもおかげさまで機能し始めたしな。』
昨日の夜明けまで死にかけだったのに、もう傷が塞がっている。失血量が多かったのでまだ本調子ではないだろうが、これが聖獣の回復速度か。
『魔力もいい塩梅に復活してきたのでな。今朝から【治癒】のスキルも使い続けている。明日の明朝にはキャッスルタートルの元へ向かうことが出来るだろう。』
『そっか…寂しくなるね。』
『…そんな顔をするな。全て方が付いたらまた遊びに来てやる。何なら、貴様が私の縄張りに来るか?』
『いいね、それ。聖獣様の加護でか弱いうさぎを守ってよ。』
『そのころにはもう私より強くなってそうだな。』
『聖獣様より強い野うさぎがいてたまるか。』
私はバリケードを再び超えて近くの散策に出る。
もうすぐトラは私の住処を出ていく。もちろんそれは引き留められないし、トラには元々の目的を果たさなければいけない理由がある。
聖獣としての役目を、己の命が尽きる前に果たそうとしているのだ。
他者の為に命を懸けられるのは、彼の聖獣としての誇りなのだろうか。それとも彼自身の勇気によるものなのか。
私はまだ、自分が生きるので精一杯だ。
今回トラを助けられたのも、トラのにおいと強さに他の獣が近づいてこなかったからというのも大きい。あれが他の獣に襲われている最中や、ましてトラの群れの連中に襲われていたら…きっと私にはトラを助けることが出来なかっただろう。
結局のところ。私はうさぎなのだ。
中身が人間だという理由で他のうさぎよりは長生きできるのかもしれない。現に私の中にある、私の記憶が戻る前のこの体の記憶を辿ったが、すでに他の仲間は何かしらの獣に殺されてしまった後だった。
スキルを手にしたって、中身が人間だって、私はうさぎだ。トラのように強くあることは、きっと私にとっても難しいだろう。
他より頭一つ抜けた木に【跳躍強化】で登って遠くを見る。
トラの縄張りはどっちだろう。キャッスルタートルのところまでどれだけあるのかな。人間の住んでいる場所なんてここから見えないな。この森はどれだけ広いんだろう。
色んな事を考えていると、自分がどれだけ小さな存在なのかを思い知らされる。
そんなことをぼんやり考えていると、少し先の木々が大きく揺れている。
何ならなぎ倒されながらこちらに近づいてきている。
速度は決して早くはない。だが、向かっている先とその被害の大きさから嫌な予感がする。
私は【跳躍強化】で全速力で住処に戻る。
バリケードを越えると、まだ傷が完全に治っていないはずのトラが4つの足でしっかりと地面を踏みしめていた。
まだ相当の痛みを感じるはずだがそれでも震えたり、顔をしかめたりすることなく堂々と私のやってきた方向に身体を向けている。
『戻ったか。早速で悪いが、洞穴に入って【自然擬態】を使って隠れていろ。』
『…やっぱり、そうなんだね。』
『…ああ。私の想定より1日早かったが、私の息子がこちらに向かっている。』
鳥や獣たちが騒々しく逃げ回る声が聞こえる。
トラと話し続けたことによって、私の【動物言語理解】はレベルが上がっている。これまではお互いに会話の意思が無ければ声となって聞こえることはなかったが、今は私が聞きたいと思えばその動物に会話をするほどの知能が無くても動物たちの本能の声を聴くことが出来る。
『イヤダ』『コワイ』『シニタクナイ』『ニゲテ』『タスケテ』『ゴメンナサイ』『アッチイケ』『コワイ』『イタイ』『イヤダ』『コワイ』『コワイ』『イタイ』『タスケテ』
『…ッ!!!』
ほんの一瞬、聞こえてくる本能に耳を、スキルを傾けただけで、悍ましい感情の波が私の頭に押し寄せる。
思わずスキルを強制解除して、聞こえる声に制限を掛けた。
『…沢山、殺しているんだな。』
今ここに向かってきているのは本当にトラの親族なのだろうか。
その行動に聖獣としての誇りや森の生き物に対しての慈愛などは全く感じられない。
私にはただ、殺戮と虐殺、一方的な蹂躙を楽しんでただいたずらに獣たちを殺しているとしか思えない。
『ねえ…いくら何でも様子がおかしすぎない?ただトラのことを追いかけるだけなら、こんなに殺さなくても…』
『真意のほどは、バカ息子から直接聞くさ。』
さあ隠れていろ、と首元を掴まれ洞穴の奥にそっと運ばれる。
不安に感じながら、【自然擬態】を発動し洞穴の中から隠れてトラを見守る。
トラがふと上を見ると、空から大型の肉食魔獣の亡骸が降ってきた。
若干の反応遅れを見せたが難なくそれをかわすトラ。その亡骸は、特別捕食のような後も見られず、ただただ沢山傷つけられて、痛めつけられて、殺されていた。
『…随分と洒落の効いた親孝行ではないか。』
いる。バリケードの向こうに、この災禍の根源が。
トラの問いかけに少しの間をおいて、魔獣の死体をぶつけられて勢いよくバリケードが破壊される。
派手な演出の後、ゆっくりと侵入してくるトラより若干小さいが十分な大きさの獣。
『ひゃははっ!気に入ってくれたかよぉ?おとぉさん?』
トラと似たような体色、見た目をしているが額のエメラルドグリーンの角がトラよりもかなり短い。漂う鬼火もトラのものと比べれば幾分小ぶりで数も少なかった。
さらに後ろにもう二匹控えているが、この二匹に至っては角は見られない。
同じ種族でもトラのような威厳は全く見て取れない、ただ強いだけの獣のようだった。
『…守護の務めはどうした。群れのオスを引き連れてきたようだが…まさかメスだけに押し付けてきたのではあるまいな?』
『守護…守護ねえ…』
ふらふらと落ち着きのないその様子は、人間のときに駅で見たチンピラのような様子にも見て取れる。
これがトラの息子だなんて、正直信じられないし信じたくない。トラから聖獣としてのオーラをそっくり拭きとったようなその姿。口元や爪にはたくさんの血や獣の毛がついている。
『…愚か者め。聖獣としての誇り、責務、その重要さを…』
『あーあー!!!ったくうっせえやつだなァ!!?』
トラの息子が他のファントムタイガーと同時に鬼火のようなものに何か、恐らくスキルによる魔法を纏わせてトラに向けて飛ばす。
トラはそれを冷静に見極めるとその場から一切動くことなく、自身も鬼火で応戦、その全てを消滅させた。
『セキムだホコリだなんだって、そんなのが何の足しになるんだァ?こんだけ恵まれた種族に生まれて高みを目指さねぇとかアホ過ぎんだろ。』
『聖獣の任を放棄するというのは私たちだけの問題ではないのだ。それがなぜ分からぬ。』
トラの言葉は至って静かで冷静だった。
ぐっと怒りを堪えている様にもみえるが、それでも冷静に、父親として息子に聖獣の役割の重要性を説こうとしている。
『だからキャッスルタートルのところに行こうとしたんだろ?俺たちファントムタイガーは聖獣の中では一番未熟…群れ単位でしか認められてねえんだもんな!?』
『その通りだ。他の聖獣のように単独で人間の進行一つ食い止められぬ…だからこそ群れが一丸となりその任を全うしなければならんのだ。』
『そんなクソみてえな種族の為に一生を捧げろってのかァ!?生まれた時から群れの為に死ぬことが強制されたカスみたいな種族なんざ知ったこっちゃねえ!!!』
怒りの感情を鬼火にこめて、その威力はますます上がっていく。そして息子のボルテージが上がれば上がるほどトラの冷静さがより際立って見える。
トラの力量を警戒しているのか、先ほどからファントムタイガーたちは鬼火で遠距離から攻撃してくるばかりで距離を詰めて爪や牙で攻撃しようとはしてこなかった。
鬼火が衝突するたびに辺りに激しい爆風が飛びかい、私の作ったバリケードは既に跡形もなく吹き飛ばされている。
もしこの洞穴に隠れていなかったら私も一緒に吹き飛ばされていただろう。
一方トラは他のファントムタイガーたちがここに来てから一歩も動いていない。
三体一という数的不利な状況を力量差と実力差で圧倒していた。
後ろの二体のファントムタイガーは先ほどから会話に介入してこない。種族が同じで親子で会話で来ているのを見るに、ファントムタイガーという種族は少なくとも意思の疎通が測れる種族ではあるので、意図的に会話に参加していないのだろうか。
私は【動物言語理解】の対象を後ろのファントムタイガー二体に絞る。何かを思考していればある程度はこのスキルで覗き込むことが出来る。
出来るのだが。
『…?何も聞こえない?』
今までにない状況だった。
例え意思の疎通が測れないほど知能の低い種族であったとしても、スキルのレベルが上がって先ほどのように垂れ流しになっている本能の声は一方的にでも聞き取れる。虫でさえ『エサ』や『ハンショク』といった本能的に種族にインプットされたものは言葉となって聞き取れるのがこの【動物言語理解】なのだ。
それなのに、この二匹からは何の声も聞こえない。
ただ、違和感を感じるのは何かに遮られて声が聞こえないような感じだ。何というか、彼らの本能の声すら聞こえないように何かが間に挟まっているかのような…
『マリョクヲスベテショウヒシテ、オサヲコウゲキシロ。』
『!?』
二匹のファントムタイガーの意思に誰かが介入してきた。その介入は声となってはっきりと聞こえ、スキルを介して私に届く。
その声の主は、トラの息子だ。
だがどうにも、声は確実に息子のものなのだが、それが何故別個体のファントムタイガーから聞こえてきたのか。意思を共有する個体というわけでもないだろうし。
そしてほどなくして、息子の声に従うように二匹の個体は今までとは比にならない程の魔力を鬼火に込め始めた。
さすがのトラもこの様子には一瞬意識を持っていかれてしまう。
その瞬間、即座に距離をつめた息子の牙がトラの首元に襲い掛かる。
ぼたぼたと音を立てて大量の血がトラの足元に落ちる。トラは息子を払いのけたが、間髪入れずに二匹の特大の鬼火がトラに衝突する。
『トラッ!!!』
思わず呼びかけてしまった。幸いトラにしか意識が向いていないので私の存在はまだばれてはいなかった。
爆煙が晴れ、そこには変わらずにその場に居続けるトラの姿があった。出血が酷い。今しがた息子に付けられた傷からも多量に血が出ているし、今の鬼火の一撃で塞がりつつあった以前の傷も開いてしまったようだ。
『さっすが【ビーストロード】を持ってるやつは違うねぇ…だが、その虚勢も何時まで持つかなぁ?』
『…愚息め。貴様には私のこの姿が虚勢に見えるのか。』
『あぁん?』
トラが深く息を吸って、吐き出す。
この段階で気づいた。気づいてしまった。
私はトラには圧倒的力があるから、動かなくても息子たちの攻撃に対処出来ているのかと思っていた。
だが違う、トラは動かないんじゃない。動けないんだ。
身体を動かせるダメージ量ではない、動かしてこの攻撃をかいくぐれないと、先ほどの投擲を回避したときに理解したのだろう。
だからこうしてトラはじっと動かずに攻撃を捌く事だけに集中していたのだ。そしてぎりぎりで保たれていた均衡が、今の二体の攻撃と息子の牙で大きく傾いてしまった。
『…虚勢とはな、戦う意思がないのに見栄を張って相手を威嚇することを言うのだ。』
トラが、地面を強く踏みしめる。全身に力が入っているのか、出血がさらに激しく、トラの足元には既に彼の血で血溜まりが出来ていた。
『《俺》はまだ、お前たちと戦う気力は残っているぞ…?』
『ッ!!!』
彼を中心にとてつもなく強烈な殺気が放たれる。
捕食者が被捕食者に向けるような殺気など生ぬるい。並大抵の生き物であれば向けられるだけで生きる事を放棄してしまいそうなほどの圧倒的なまでの生物としての格の違い。
『馬鹿共にもう一度思い出させてやろう。お前たちの上に君臨しているのは誰なのかを…』
生物として、聖獣として、群れの長として、力の格差を見せつけるトラ。
その気高い姿は、彼が聖獣たる証拠だった。
しかしその殺気を直に向けられていながら、息子はおろか、後ろの二匹は何の本能すら聞こえない。
…いや、違う。
聞こえなくはない。かすかにだが揺らいでいる。
私と二匹の意思の疎通を隔てている何かが、薄れているのが分かる。
変わりに侵食してきているのは、トラだ。
この場を支配する圧倒的存在感が二匹の意思を引っ張り出そうとしている。
『…平伏せよ、我が同族達よ………【獣の支配者】!!!』
森がざわめく。
意識の全てを持っていかれそうになるほどの圧倒的なまでの支配の圧。向けられているのが自分ではないのに、呼吸を忘れてしまいそうになるほどの存在感に、俺に平伏しろという絶対的命令。
『…ッ!長…!』
『お逃げを…!!』
抗うことなど出来ようはずもないその覇気に、一瞬、二匹の意識がクリアに聞こえた。
この機を逃さない…!試してみる価値はある…!!
『起きろッ!!!馬鹿ネコ共ッ!!!』
【動物言語理解 レベル5】を獲得
【動物言語理解】が【思念共有】に進化
私は二匹のファントムタイガーの意思に直接言葉を叩きこむ。ぼんやりとしていた意識の中にいた二匹ははっと我に返ると、安堵しきったように気を失ってしまった。
『あぁ?今の声…誰だ。』
『…!全く…隠れていろと言っただろ。』
『そう言う訳にもいかない。トラ、あんたの仲間は洗脳みたいな何かの影響を受けてる。』
洞穴を出てトラの近くに歩く。相対する二匹のファントムタイガー。一方は少し小柄と言えど、私からすれば十分に大きすぎる脅威だ。
『…へえ。そのうさぎ、何もんだ?』
『私の友人だ。手を出すことは許さん。』
『友人?はっ!おいおい、ビーストロードが聞いてあきれるぜ。』
私はケラケラと笑うトラの息子の意識の奥を【思念共有】で探る。
まさかとは思ったが、やはりそうか。
『トラ…息子さんは洗脳されてる。』
それも、先に気絶した二匹の個体よりもより深いもの。
先ほどのトラのスキルで少しも揺らがなかったということは、相当のスキルか何かなのだろう。
私は恐怖で震える足を無理やり動かし、一歩前に出た。
『おい、どこかで見てるんだろ?トラの息子を解放しろ!』
『…おい、うさぎぃ…お前、何を知っている?』
凶悪な目がまっすぐと私の方を向く。身震いを悟られないように、必死で挑発する。
『図星…?そりゃそうだよね。聖獣様に直接楯突くなんて命知らず、出来るわけがない。どうやったのか知らないけど、ファントムタイガーが個々では聖獣じゃないっていうのを利用した洗脳なんでしょ?』
少しでも時間を稼ぐ。トラは動けない。だが、多少魔法で傷の治療は出来るはずだ。
『喋るうさぎ…いや、これは思念を送り込んでるのかぁ…?いずれにせよ、面白いスキルだなぁ…《欲しい》!』
『なっ…!?』
こいつ今、私のこれがスキルだと認識したうえで欲しいっていったのか…?
まさか…いや、それもこんなに早く…!?
『…まさかあんた、山越高校の関係者じゃないよね?』
『…!!おい、おいおいおいおい!!マジかよ!!そういう事か!!!』
ファントムタイガーが真っ先に私目掛けて飛び掛かって来る。間一髪で【跳躍強化】で回避したが、後少しでも判断が遅れていたら潰されて死んでいた。
明確に殺しに来る一撃。それも、トラよりも私を優先して。
『アンタも転生者かぁ!!可愛そうにうさぎになんか転生してよく今まで生きてたなぁ!!』
『も、ってことはもうそれは自白してるって事でいいんだよね。アンタにも中身があるって。』
『その通り。最も残念ながらこいつは俺の身体じゃない。貰った俺のスキルで動かしてるだけだ。』
『…その子の意識は無事なのか?』
『ああ!二度と表に出てくることはねえけどな!便利なもんだぜ。俺のスキルで操った生き物で殺せば、そいつのスキルも手に入る。こうやってつえー魔獣をどうにか洗脳さえできれば、後は安全圏からスキル奪い放題のイージーモード!経由するたびに洗脳は弱くなっちまうから、さっきのお前がやったみたいに中継機からの洗脳じゃ十分には出来ないのが難点だけどな。』
ぺらぺらとよくしゃべる奴だ。
それじゃあ何か?トラの息子はこんなやつがスキルを奪うために利用されたと?
『…その子の意識を解放しろ。』
『誰がそんな手に乗るかよバァカ!そこの聖獣もお前も殺して、俺がこのゲームで生き残るための踏み台にしてやるんだからよ!!』
…中身は誰だ。
こんな不快なやつがいる学校で過ごしていたという事実が心底気持ち悪い。
友人を傷つけられ、その子供を利用され。
はらわたが煮えくり返りそうだ。
『…息子は貴様と同じ転生者に操られているのか。』
『みたいだね。しかも、他のファントムタイガーと違ってより転生者に近い経由で洗脳されたみたい。トラのスキルでも、洗脳がびくともしなかった。』
『そうか…その事実を知れただけでもありがたい。種族を愚弄するようなあの言葉は、息子のものではなかったのだな。』
『どうするの…?トラもかなり限界に近いでしょ。』
『ああ…恐らくもう助からないだろうな…昨日今日で、少し血を失い過ぎた。』
トラの体はすでにボロボロだ。呼吸も荒く立っているのもやっとのはず。
元々動けなくなるほどの重傷であったところにこの襲撃。とっくに限界など越えている。
『それでも、同族の責任は私の責任だ。それに、このまま奴を放置すれば、貴様にとっても都合が悪かろう?』
『何をする気なの?』
『…一撃で仕留める。一瞬でいい。奴の意識から私を完全に外してくれ。』
『…分かった。』
私はトラと息子を結んだ線から外れるように、横に向かって走る。
『釣られねえぞぉ?お前は逃がさねえが、聖獣への警戒は怠ったりしねえ!』
まあさすがにこれだけで意識が外れるとは思っていない。
ようはこいつの中での私の優先順位を底上げさせればいい。
『…13個だ。』
『あ?』
『決まってるでしょ。私の保有スキルの数。中にはついさっき進化したものもある。』
『………内容次第だ。この森で手に入る大まかなスキルには目星がついてる。さっきのお前の【跳躍強化】くらいなら既に俺だって持ってるしな。』
やっぱり食いついてきた!
そうだよね、だってお前はさっき自分で言ってた。私とトラを殺してスキルを奪うって。
それはつまり、この生き残りをかけたデスゲームのルールに乗り気だという事。
そんな奴であれば、何よりも食いつくのは他の参加者が持っているスキルだろう。こいつのスキルは洗脳系のスキル。どういう効果なのかの詳細は分からないが、相手に何かしらの接触、コミュニケーションを取らなければいけないのは必須だろう。
『…【思念共有】さっきもそこの二匹にやって見せたでしょ。自分の声や意識を、相手の意思に関係なく送り込むスキル。』
【思念共有】
任意の相手に自分の思考や声を届かせる能力。思考レベルの低い場合はある程度思考をコントロールすることも可能。
『虫とか魚とか、知能の低い生き物なら単純な行動に限り操ることも出来るけど…アンタのスキルとこの私のスキル、ぶっちゃけいい相性でしょ?』
『あくまで仮定だろ?俺は自分のスキルの詳細をまだ話しちゃいない。』
『もしアンタが何にでも洗脳を出来るのなら、息子を操ってトラを瀕死にした後、すぐ他の魔獣を洗脳して殺しに向かえばよかった。でもそれは出来なかった。』
さあ、私を殺しに来い。
かかれ。
『一つはアンタの洗脳が中継地点を挟むごとに弱くなるから。でもこれはさっきアンタが話してくれた。だったら、まだ別の理由があるんでしょ?』
私は彼から目を離さないようにゆっくりとトラを視界から外させる方向に動く。
まだ…まだ意識は完全に反れていない。
『意思の疎通。アンタの洗脳を成功させるには、多分何かしらの方法でアンタの言語を理解させる必要がある。』
ファントムタイガーは聖獣。それも人間の世界と森を隔てる万人だ。スキルを使わなくても人間の言葉が分かっても不思議ではないだろう。
『ファントムタイガーは人間、あるいは言語を話せる種族であるアンタの言葉が分かった。だから洗脳に成功したんでしょ?』
『…』
『私のスキルがあれば、言語が理解できない強力な生物を洗脳にかけることが出来る。私なんてただのうさぎだよ?ほら、今目の前に、アンタを生存に導くためのピースが揃ってる―――』
言葉をしゃべり終わるよりも早くファントムタイガーの凶悪な爪と牙が一瞬で私の視界を覆う。なんて速度だ。これで聖獣の中で個体値が一番低いとかどんだけ強いんだよ聖獣。
そして。
『上出来だ、友よ。』
それよりも速くそして正確に。聖獣の長の牙が自らの息子の喉を貫く。
『…ちっ。欲かき過ぎたか。まあいい。近いうちに必ずそのスキルを奪ってやる。それまでせいぜい生き抜いてみろや。』
息子の意識を覆っていたものが晴れていくのを感じる。だが、その息は既に。
『お父、さん………ごめん…なさい………』
『私の方こそすまなかった…もっと早く、気づいてやることが出来れば。ここまでお前を苦しめることは無かった。』
息子は、最後に父親に謝ることが出来てほっとしたのか、そのままゆっくりと呼吸を止めた。
『…つらいこと、させてごめん。』
『構わぬ。たとえ操られていたとしても聖獣としての任を放棄し、森の者たちに危害を加えた事実は覆らん…それに………』
背後で巨体が倒れる音がした。
トラの体は美しい藤紫の毛並みが赤い血で染まっている。倒れたその体の下からも止まらない血が私の足元まで広がってきた。
『トラ…!』
『ハハハ…声が震えているぞ……案ずるな友よ。これは既に決まり切っていた未来。お前のせいではない。』
『…っ!』
私は涙をこらえてトラの傷口に軽く爪を立てる。
『【神経毒】………』
『…ふっ。痛みを消してくれたのか。最後まで、捕食者に優しい…奇妙なうさぎだな。』
『もう、喋んなって…』
『…友よ…優しき友よ…最後に私の願いを三つ聞いてくれるか。』
そこは一つとかじゃないのかよ…
私は彼の額に手を当て、彼の言葉を聞き逃さぬよう全神経を【思念共有】に向ける。
『…何でも言って。』
『…一つ目は私が死んだら、その事実を残された群れに伝えてほしい。そして、キャッスルタートルと協力するようにも。』
『…分かった。必ず伝える。』
『…二つ目だ。』
お前の手で私を殺してくれ。
その言葉に留めていた本心が零れ落ちてしまった。
『………イヤ…嫌だよ……死ぬなよ、トラ…』
『そう言うな。死ぬことは覆らぬ。だからせめて、友の役に立って死にたいのだ。大事な友を…恩人を生かすために死なせてくれないか?』
『………最初っから最後まで、酷いやつだよお前は…!住処はふさぐし、ヤバいやつらは連れてくるし…!』
『ああ、すまない…』
『最後の最後に、私に友達を殺せなんて言ってくるし…!』
『すまない……』
『謝んなよっ…!謝るくらいならこんなこと頼むなよ…!』
トラとは本当に短い付き合いだった。
それでも確かに友と呼べるのは、この世界でトラだけだ。
途端に意味のわからない場所に転生して、意味のわからないゲームに無理やり参加させられて、強がっていてもどこか不安だった私は、トラに確かに救われた。
彼にとっては取るに足らないうさぎでも、私にとっては掛け替えのない友人だった。
溢れる涙は、流れたトラの血をほんの僅かに薄める。
『勝手なこと、言ってんじゃねえよ...!』
『3つ目は、友の名前を教えてくれないか?』
『...あれ、私、名前、教えてなかったっけ......?』
涙で声が震えてひっくり返る。
『ああ...教えてくれ。私の友の名を。』
『私の、名前は―――』
額を虎の額に付け告げる。
彼の命が、尽きかけている。
私はそっと、彼の鼻先に歯を立てる。
ほんの僅かに血が滲み、口の中にほんのりと味が滲む。
『ありがとう―――』
【グリーディキリング 発動】
【吸収対象 ファントムタイガー】
【個体名 トラ】
涙が、止まらない。
人間であった時もこれほど泣いたことはなかった。
『何だよ...名前...気に入ってたのかよ.........』
獲得スキル
【健脚 レベル1】
【感知耐性 レベル1】
【物理耐性 レベル1】
【全熱耐性 レベル1】
トラの想いが、スキルとなって染みていく。
【魔力耐性 レベル1】
【魔素操作 レベル1】
【魔力操作 レベル1】
【魔法操作 レベル1】
【ステータス開示】の機械的表示をかき消すような慟哭が一匹のうさぎから溢れる。
【統治レベル1】
【縄張り レベル1】
【嗅覚探知 レベル1】
【治癒 レベル1】
あまりに大きすぎる想いに、押しつぶされないように泣き叫ぶ。
【ファントムインパクト レベル1】
【ファントムフレイム レベル1】
【幻影の咆哮 レベル1】
一匹のうさぎには、あまりに大きすぎる想いに、押しつぶされないように。
【獣の鉤爪 レベル1】
【獣の牙 レベル1】
【獣の咆哮 レベル1】
【獣の覇気 レベル1】
一つ一つ優しさで溢れる彼の想いを、噛み締めるように。
【獣王の資格】
彼の想いに応えるために。
私は、生きなければいけないのだから。
複数スキルを【キングオブビースト】に統合
【キングオブビースト】が【獣の支配者】に進化
【獣の支配者】
獣系スキルを【キングオブビースト】で統合したスキル。獣たちを支配し護り、最期まで誇りとともに戦った気高き王者のスキル。
うさぎだとしても、私には友達がついてるから。
生き抜くんだ。
このゲームを生きて、生きて生きて生き抜いて、最後まで生きてトラの想いに応えるんだ。
新たに受け継がれた小さな、小さな支配者は、今はただ、溢れる涙が止まるのを待たずにかける。
【跳躍強化】の限界を超えて、走る。
この付近で一番高い場所へ。
ここならトラにもきっとよく見える。
『ありがとう、トラ......私、絶対生き抜いてみせるから...!』
マルルの森に響き渡る新たな支配者のスキルは、友に向ける手向けであり、そして自身の決意を表明するための、最初の咆哮だった。