3羽 トラの威を借る...うさぎ
魔物に襲われる心配がなくなったところで、私は自分用に一匹取っておいた魚を頬張る。
すっかり時間が経って人間であった頃なら確実に病気になるレベルで痛んでいるが、神経毒を入れていたお陰で虫は集っていない。だからセーフ。
今後は夜になってもこの柵の内側ならある程度は活動できるだろう。
もっとも、今はそのスペースの七割ほどをこの大型のネコ科に占領されているが。
『そういえばあんた、同族が死んでるかどうか確認しに来るって言ってたけど、そいつらに助けを求めることは出来ない...よね、さすがに。』
『そう、だな。なにせ私は群れを追われたのだ。』
先程まで虫の息だった獣は栄養を摂取して多少体力が回復したのか寝転がってはいるものの頭は起こして私と向き合っている。
『群れを...トラなのに群れで過ごしてるんだ。』
『ふむ...貴様はまだ幼体のうさぎ。この森のことを知らないのも無理はないが...』
トラは私のことを調べるようにじっと見つめる。捕食者にこうもマジマジと見られると、ちょっと、というかかなり逃げ出したい。
『見るほど、そして会話を重ねるほど不思議な生き物だ。持っているスキルも行動も生後一月そこらのうさぎのものではない。』
『あー...それは...』
少し迷ったが私は自分が異世界から転生してきたということを説明した。
前の世界のこと、そして靄から告げられたゲームのこと。
トラは時折質問を挟む程度で、それ以外は黙って私の話を聞いていた。
こっちの世界で誰に話しても信じてもらえるとは思っていない。
それこそ自分と同じ山越高校の関係者でない限りは。
まして話している相手は知能があって会話が成り立つとはいえ獣。理解すらしてもらえないだろうと半ば諦めていたが。
『なるほどな...つまり、貴様は同族、いや元同族と呼ぶべきか。元同族に遭遇しないように生き続け、かつ最後の一人になるまで生き残らなければならない。さもなくば自身のスキルをすべて奪われた挙句死亡すると...こちらの世界で死んだらどうなるのだ?向こうの世界での体は完全に死んだと確定していないのであれば、こちらの世界で死した魂が向こうの世界に還る可能性も...いや、成熟しきっていない人間の肉体、脳に通常以上の情報量が戻れば相当の負荷がかかる...それはそれで結局意識が戻らなくても...』
随分すんなり受け入れて且つ私でも考えてないことまで考察してらっしゃる!?
何このトラ、ほんとにただの獣なの?
『あ、あのー...私の言ってること信じるの...?自分で言うのもなんだけど、かなりメチャクチャなこと言ってる自覚はあるんだけど...』
『そうだな。向こうの世界では魔法もスキルも無いようだ。私が知りうる限りのこの世界の説明をしてやろう。』
『この世界って...あの、本当に何者なんですか?』
『ああ、私の種族はファントムタイガー。代々このマルル大森林を人間の侵攻から守護している種族で、私はその族長だった。今では群れを追われたがこれでも【支配者】系スキル【獣の支配者】を冠する者だ。』
『は、はぁ...』
『む?あぁ、いや失敬。説明すると言ったのにいきなり情報量を詰め込んでしまったな。』
にやりと笑ったその獣、ファントムタイガー。どう考えても通常の魔獣じゃないその種族名もそうなんだけど、笑った時に出る牙が怖すぎるッ!
あとこいつが体力を取り戻していくにつれて辺りに鬼火みたいなのが漂い始めてるんですけど!?
今まで自分が出会ってきた獣は、見た目はファンタジーだけど生態的には前の世界の野生動物と変わらなかった。
けどこいつに関しては、サイズも見た目もその他諸々も全てにおいてがファンタジー過ぎる...
そんなファンタジーの生き物が一晩かけて私にも分かるように丁寧にこの世界のことを教えてくれた。
今私が生活しているこの森はマルル大森林と言って、この大陸で一番大きな森らしい。
北側を山脈、南側を海で、そして東西を人間の領地で周囲を覆われている。
南北はそもそも国を作れるような環境ではなく、小さな集落の人間が時折森の恵を収穫しに来る程度。そう言った人種はこの森の獣たちの恐ろしさを知っているらしい。
問題は東西の国家、東のファディオス帝国と西のロム王国。
この2カ国は度々森を挟んで戦争をしており、その度に森が大きな被害を受けている。
彼はその西側を守護している一族だそうだ。
『ほぇー...え、もしかしてあんたってめちゃくちゃ強い系の生き物だったりする...?人間なんて千切っては捨て千切っては捨て、愚かな人間どもよー、的な生き物だったりする...?』
『ハハハッ。面白い表現をするな。私の一族はそれほど強大な種族ではない。大昔に何の力も持たぬ、人間に脅かされるだけの獣であったものが森林の加護を受けて四聖獣と呼ばれる一角に加えてもらっただけに過ぎない。』
『ほらやっぱりめっちゃ強いやつじゃん!!四聖獣って!!聖獣って言っちゃってるもん!!』
『聖獣と言っても、ファントムタイガーは群れ単位でやっと聖獣なのだ。おまけに大規模な人間の侵攻ともなれば北のキャッスルタートルに応援を頼むこともしばしばある。情けない話だ。』
この森は資材的に豊富かつ、押さえれば立地もあって戦争の重要な拠点になることから両国から狙われているそうだ。
それを防ぐ目的と、森から人間の住処に不用意に獣たちが迷い込まない為の見張りも兼ねている上位種の獣が森の四方に縄張りを作っているらしい。
『元々は森の中での生活圏をかけて縄張り争いをしていた種族同士だったが、今はどの種族が欠けても森の存続が危うい…そんなことなので、今となっては互いに協力する代わりに、お互いの領地には不可侵、という暗黙の掟があるのだ。』
私の生活圏のこの洞穴はギリギリでファントムタイガーの縄張りらしく、あと少し北へ進めばキャッスルタートルの縄張りに入る場所になるらしい。
『ところで、どうしてあんたはファントムタイガーの群れを追われたの?私の知ってる生き物に、若いオスが群れを離れる生き物とかはいるけど、あんた絶対若くはないじゃん?』
『…私に追放を下したのは、私の息子なのだ。』
『それは…長の座を狙って、とか?』
『分からぬのだ。突如として狂い、私に反発してきた。そして何故か息子は群れの絶大な支持を受けていたのだ。私の息子としての支持ではない、洗脳にもほど近いようなそれは、私の【ビーストロード】をもってしても覆すことは出来なかった。結果として、命を狙われた私は、己の身を守るために同族に手を掛けた。だが、息子の洗脳は異常だった。息子による命を顧みないような命令でも群れの仲間は平気で付き従うのだ。』
ファントムタイガーの身体に刻まれた痛々しい傷跡に目をやる。確かにその傷はどれも引っかかれたり、噛み切られたりといった、同じような体格の獣から受けた傷に見える。
『瀕死の重傷を負いながらもどうにか逃げ延びた私は、この異常を他の森の守護者に伝えねばと思った。だが、森の中心部の中立域までは命が持たぬと踏んで、キャッスルタートルの領地へ向かおうとし力尽きてしまったところを貴様に助けられたということだ。改めて、礼を言う。』
深々と頭を下げるファントムタイガー。およそうさぎに頭を下げるような種族ではないだろうに、その気高い姿に関心を覚えた。
『身体が動けるようになり次第、私はキャッスルタートルの元へ向かう。それまでは…本当に情けないが貴様のこの居住を占領してしまうことを許してほしい。』
『…はぁ。まあ仕方ないか。そこまでしてそのキャッスルタートルってやつの力が必要なんだもんね?』
『これは自意識過剰でも何でもなく、私が抜けた群れは聖獣として不完全な群れとなっている。森の均衡を保つためにも他の聖獣に頭を下げるほかないのだ。』
『ふーん。やっぱりあんた相当強いんだね。』
身体を少しずらしてくれたおかげで洞穴に戻ることが出来るようになったので、洞穴に戻りながらファントムタイガーに向けて投げかけた。
『…強いものか。他の聖獣と違って我らは数体集まってやっと一端なのだから…』
『種族がどうとかじゃなくて、あんた自身の心がだよ。自分だって群れのリーダーとしてのプライドとかがあるだろうに、それよりも森や使命のことを優先してる。それは強いやつじゃなきゃ出来ないことだよ。』
洞穴の入り口で星空を背にする巨大なトラを見上げながら話す。しばらくぶりにまともに会話が出来て、少しうれしかった。
『…ねえ!あんたの名前教えてよ!』
『名前…人間などによく見られる個体を識別する呼称か。すまんな。私たちのような獣は個体名を名乗るものはごくごく稀なのだ。基本的には種族を名乗ることがほとんどだ。』
『んー、そうなのか。じゃあ今日からあんたは【トラ】で!』
『なんだその名前は…言っておくが、個体名は他者から与えられようと自分がそれを個体名だと認めなければ個体名としては判定されないのだぞ。』
『じゃあ、いいよ。私が勝手にあなたのことをトラって呼ぶから。』
『そんなもの名前でもなんでもないただの自己都合ではないか…』
『何でもいいでしょ、その方が呼びやすいし。じゃ、そういう事で回復するまで私が面倒見てあげる。よろしくね、トラ。』
『なんと自己中心的なうさぎだ…』
すっかり夜も更けてきて私も眠気が回ってきた。
私みたいな下等生物に面倒を見て貰うなんて、もしかしたら屈辱なのかもしれないけれど。
でも、何でかわかんないけど、直感で分かる。あいつは、トラはいいやつだ。
今だって、身体が痛むだろうにわざわざ自分の身体をずらして私の寝床の洞穴を空けてくれた。それに会話の途中、私が牙や爪に対してちょっと怖がると可能な限り見えないように配慮もしてくれた。
きっとトラは肉食の捕食者である前に、この森の支配者の一角としての器が完成されているのだ。
彼ほどの長が追い出されるなんて、きっと何か向こう側に本当に異変が起きているに違いない。だとすれば、私の今の生活を守るためにもそうだが、この森の平穏を保つためにも、彼には北の聖獣のもとに行ってもらった方が良いだろう。
私が伝言を伝えに行ってもいいのだが、恐らく、私が数日走り続けても、彼が二、三日体を休めて完治してから走っても、大して到着時間は変わらないはずだ。
それどころか、私みたいな一うさぎが行ったところで話を信じてもらうまでのラグが発生するかもしれない。
それなら、ここでしっかり傷を治してもらってから同じ聖獣同士で話し合った方がこの森の為、突き詰めれば私の安寧の為になる。
それにあれだけの獣の近くで一晩以上過ごしているのだ。トラのにおいで厄介な獣が近づいてこないかもしれない。
まさにトラの威を借る…うさぎ、というわけだ。
…うん、我ながら何言ってるか分かんないな。
『…時にうさぎよ。』
トラが洞穴の向こうで問いかける。顔は見えないが少し探っているような声がスキルを通じて聞こえてくる。
『なぜ...貴様は私を殺さなかった?』
『...何それ。【ビーストロード】ともあろう獣が死んで楽になりたいとか弱っちいこと考えてたの?』
『そんな訳あるか...貴様の話していた靄からのスキル...【グリーディキリング】だったか。それがあれば、私を殺してスキルを奪おうとするのが普通のはずだ。そうしたほうが己の生存率は確実に上がるからな。他者を己の糧とし殺す、それがそのスキルの本質だろう。』
『...』
そりゃそうか。
トラの言っていることは私ができなかった合理的決断。
聖獣のスキルを獲得すれば並大抵の事であれば生き抜くことができるだろう。
もしかしたら、寿命を超えて生きることだって出来たかもしれない。
『...そうだね。私が生き抜く上で、スキルを奪うのは必須だ。こんな、スキルがなければただの餌でしかない種族に生まれてしまった以上、より強い種族からスキルを奪わなきゃ最後まで生き残ることはおろか、高校の皆とは全く関係のない肉食の獣に殺されるかもしれない。』
でも本当に何でだろう。
確かに最初はトラの傷や辺りが血の海になっていることに同情して助けようと思ったのかもしれない。
たったそれだけの理由で私が動くとも思えないのに。どうして。
私がトラを助けた理由...
『ああ、そうだね。うん、多分そういうことだ。』
きっと、きっと中身が人だからとかじゃない。人であったときはこんな感覚全く平気だったから。
平気なはずだった、そんな記憶だから、これはこの種族のせいだ。きっとそうに違いない。
そうでなければ説明がつかない。
『私さ、友達が欲しかったんだよ。』
『私は貴様の天敵だ。傷が癒えれば貴様を食い殺すかもしれぬぞ。』
『その時はその時。今となってはトラに殺されるんなら別にいいかなって。』
『...出会って一昼夜も経っていないというのに、随分と過大な評価だな。』
『別にいいでしょ。いきなり知らない世界に飛ばされて、一人で生きていかなきゃいけなくなって、心細かったんだよ。話し相手が欲しかったんだよ。』
巨大な獣の呼吸の音が洞穴の外から聞こえてくる。
『...転生した身であっても、それほど強大なスキルを持ってしても、一人は心細いのだな。』
『何言ってんの?トラだって私のことを過大評価してる。スキルを持ってたって、私の中身はただの人間だよ?』
『...ハッ。そうだな。というか、スキルがあっても外見はうさぎだろう。』
『言ったなこの野郎。魚に毒でも仕込んどきゃよかったよ。』
『おや、うさぎではなかったのか。ではねずみか?』
『なんで格が下がってんのよ。じゃあもういいようさぎで。だってうさぎだし。』
深夜。トラとうさぎ。
二匹の友の、二匹にしか聞こえない会話は、二匹が語り疲れて眠りにつくまで続いた。