プロローグ
能力っていうのは生まれながらにして平等じゃないし、それに加えて趣味嗜好という枷がさらに人生を生きにくくする。
例えば今私の前に立っている品川さんは普段は大人しそうな女子なのに、趣味はバンド、しかもギターというかなりイケイケな女の子。
例えば私の横の男子、白金君はいかにもな陽キャなのに妹と弟の誕生日プレゼントを買ってあげるために最近バイトのシフトを増やしている。
人によって趣味が魅力になるような人もいれば、柏になるような人もいる。
今私の周りにいるのは趣味で人生が輝いている人ばかりだが、この体育館内に集まっている一体何人が、自分の趣味と能力の噛み合わなさに苦しんでいるんだろう。
「えー、というわけで、秋の味覚というものを楽しむ心は...」
校長っていうのは毎月毎月よくもまあこんなにつまらない話をしかも長時間話せるよな。
つまんない連絡の後につまんない話を聞かされるこっちの身にもなってくれ。
見ろ、私たちだけじゃない。同じ職場の同僚であるはずの各先生方まで船を漕ぎ始めた。大人だけ椅子に座れるのはどうしたものなのだろうか。なぜ校長の話は立って聞かなければいけないんだ。
「ねぇ、つまんないしさ、抜け出さない?」
「あり。体調悪いとか言って保健室行こ。」
どこかのクラスのギャルたちがそんな事を話している。
そしてそういう子達は実際に行動に移せるのもすごい。
甘ったるい声で中年の男性教員にさりげなくボディタッチをしながら、一人は体調不良を装い、もう一人はその付添ということで抜け出す許可を勝ち取っていた。
すごいなぁ...
ああいう自分のやりたいことを貫き通せる人が、将来やりたいこととか夢を叶えるんだろう。
もちろん、その行動に正当性がなければ周りも認めはしないが、高校生である今はそのやりたいことを行動に移せるのも立派に能力であり才能だ。
もし、私があの子だったらどういう結末になっていただろう。
十中八九仮病を疑われ撤退。最悪抜け出せはするが抜け出した先で説教なんてこともあり得る。
私ではこの集会を抜け出す能力はない。
何度夢に見ただろうか。
ゲームみたいに自分で自分の欲しいままに能力を手に入れられたらと。
手に入れた能力に見合う身体能力を手に入れられたらと。
羨んでも羨んでも他人の能力は私のものじゃない。
私はこの何者でもない、何者にもなれない私のまま。
「あれ...?ねえ先生!扉開かない!」
体育館の後方で先程の生徒が教師を呼ぶ。一瞬生徒たちの視界が後ろに向くが、すぐに数名は何事もなかったかのようにぼんやりと前を見直した。
「こら、校長先生のお話中だ、静かにしろ...!鍵なんてかかってないだろう...ん?」
男性教員が扉を触ったかと思えば、ガタガタと音を立てて扉を揺らし始めた。
「なんっだこれッ!!鍵はかかってないのにッ!!開かんッ...!!」
力任せに扉を開けようとする教員だったが、その扉から反対側の廊下が見えてこない。
息を切らして扉から手を離し、スーツを整える教師を不安そうに後ろの女子二人が見ていた。
「ハァ...ハァ...ったく!誰のいたずらだ!?後で俺のところに来いッ!!」
「まあまあ、高輪先生落ち着いて。ステージ側の扉なら鍵も無いですから。外階段を歩くことになるけど、二人共歩けそう?」
「あぁっ!?えっとぉ、はいぃ...」
後ろの方で聞こえるやり取りから女子生徒の若干の焦りが聞き取れる。
ここまでなってしまった手前、今更仮病ですなんて言い出せないのだろう。高輪先生もかなりご立腹の様子だし。
全校生徒の目にさらされながら、ステージ階段横の外階段口に向かう女子生徒二人。
しばしの脱線があったが、また校長の話に戻るのかとため息を付いたとき。
「...あら?」
女性教員が先程の高輪先生の動きを真似るようにドアノブを何度も回すが、その扉も外への道を阻んだまま微動だにしない。
「せ、先生...?」
「ち、ちょっと待っててね!」
たちどころに情報は教員たちの間で共有される。
一つでも扉が開け放たれていたらそこから出ようという判断にすぐ切り替えることができたのだろうが、今日は初秋にしてはかなり冷え込んだ。暖房のない体育館で生徒の身体を冷やさないために、窓の一つに至るまで外へ通じる道は締め切られている。
「やっぱりダメです。窓どころか換気口まで開かない!」
「え、何?」「閉じ込められた?」「ヤバくね」
閉じ込められたかもしれない。
その恐怖は一人、また一人と生徒たちへ伝播していき体育館は徐々にざわめき出した。
「み、皆さん!落ち着いてください!き、きっとたちの悪いイタズラです!すぐに警察に連絡を...」
「いぃえぇ〜?断じてイタズラなどではありませんよぉ〜?」
校長の焦りの静止に被せてくるように、間の抜けた、子どもとも大人とも取れない声がステージ上部から聞こえてくる。
声の先には体育館用のスピーカー。その上に足を下ろして腰掛けている人...の、様なもの。
人だという判断は、その姿形による判断だけ。灰色のノイズのような黒い靄が人の形に留まっていた。
「な、何をしているッ!!そこから降りてきなさい!そして今すぐ扉を開けなさい!!」
「落ち着いて下さいよぉ〜、高輪先生。生徒の前だからって虚勢を張っちゃってぇ〜。」
笑っている。実際に笑っているのが見えるわけじゃない。そもそも口角どころか表情もない。そこにあるのは一昔前のテレビに映される砂嵐のような人影だけ。
それでも、コイツは笑っている。『笑っているとわかる』
「さぁてさてぇ〜、山越高校の全校生徒、及び教職員、用務員の大人の皆様ぁ、ハジメマシテぇ〜。私はぁ...えっとぉ〜。」
その場の全員の視線が靄に集まる。かなりの距離があって普通に喋るのでは明確に声が聞き取れないハズなのに、ソレの言葉はまるで耳元で話されているかのようにまとわりついてくる。
「んんん〜、よく考えたら私、名前ありませんでしたぁ〜。」
「ふ、ふざけてないで学年とクラス、名前を言いなさいッ!!」
「ホントに無いんですってぇ〜。あと私はこの学校の生徒じゃありませんよぉ〜?あぁ〜でもぉ〜、呼び方がないと皆さん的には不便ですよねぇ〜。そしたらぁ、皆さんの世界に私の役目と同じようなことしてる職業があるのでぇ〜、それを名前ってことにしちゃいますねぇ〜」
黒い靄は足をぷらぷらと揺らしながらじっとりとした言葉を続ける。
「私のことはぁ〜『ディレクター』とでもお呼びくださいぃ〜」
「で、ディレクター...?」
ディレクターって、テレビとかゲームの製作上にある役職の事か?
現場監督とかそういった意味の役職だったはずだけど。
「私の役目は皆さんをこれから送る世界で監視、場合によってはサポートすることなんですぅ〜」
「何を意味のわからないことを...警察に通報するからな!!」
高輪先生がスマートフォンを取り出し、電話をかけようと試みる。だが。
「んんん〜?繋がりましたかぁ〜?」
「...クソッ!!どうして圏外なんだ!!?」
先生のその叫びに再び生徒たちに動揺が走る。各々がスマホを取り出し、確認しては悲鳴を上げるものもいた。
私の端末もしっかり圏外。どうやっているのかは分からないが、完全に外部との連絡を絶たれている。
さすがに私も焦ってきた。
生徒たちや職員は自然と体育館の後ろの方に集まり、前方にはその靄がスピーカーの上に座っているだけになった。
一通り生徒たちの動揺が収まったタイミングで、再び耳元で声が聞こえる。
「ご理解いただけましたかぁ〜?」
「...ディレクターさん、貴方の目的を聞かせてもらってもいいですか?」
上がった声は一人の生徒のものだった。
「おやぁ〜、流石バスケ部のキャプテン巣鴨君ですねぇ〜。そこの威勢だけの先生よりよっぽど冷静に今の状況を分析している。そして分析を出来ている生徒は他にもいるかもですが、それに発言が伴ったのは今のところあなたが最初ですぅ〜。コングラッチュレーション〜。」
「質問に答えていただけますか。ディレクターさんの目的を。」
「はぁいぃ〜。それじゃぁお答えしますねぇ〜。」
靄はわざとらしく咳払いをすると今までの間抜けな声のまま告げた。
「これから皆さんには、こことは別の世界で最後の一人になるまで生き延びて貰いまぁす。」
あまりに荒唐無稽な発言に全員静まり返ってしまう。
私は一人脳内で今までの自分の人生のアニメやゲームの知識を総動員させる。
異世界?転生か転移をさせられるってことか?最後の一人っていうのはデスゲーム系?デスゲームならこの体のままやるのが相場だけど、どうなる。
「...あれぇ〜?何だか皆さん微妙な反応ですねぇ〜?皆さんが喜ぶと思って別世界への転生にしたんですけど、もうこっちの世界の異世界ブームって終わっちゃいましたぁ〜?」
「い、いや、急に別世界と言われても何もピンとこないというか...」
「さ、最後の一人になるまで生き残るってどういう事!?」
「俺たちは死ぬのかッ!?」
段々と冷静さを取り戻しつつあった生徒たちが次々に質問や罵声を浴びせる。
靄は自分の期待していた反応に近しいものが来たのか、声色を少し上げて答えた。
「落ち着いてくださぁ〜い。今からルールを説明しますからぁ〜。と言っても、簡単なルールですよぉ〜」
どういう理屈かは分からない。それでも先程からおよそ現実的ではない現象ばかり起こってきている。
扉に鍵もかかっていないのに体育館から出ることができなくなったり、関東圏の住宅街にあるはずの敷地で電波が届かなくなったり。
前方にいる靄は、明らかに私たちの理解の範疇を超えている。それが告げるルールとやらは、まるで私たちの頭の中に直接ペンで書かれるかのように不気味なほどすっと入ってきた。
それはルールと言うより、これから起きることへの説明書のようなものだった。
・この場にいる全523人を異世界に転生させる
・522人が死んだ時点で生き残った1人の一人勝ちとする
・転生先ではランダムな種族の幼体に転生する
・ある程度の成長を遂げたタイミングでこちらの記憶を転生先の肉体に追加で上書きする
・転生時にスキルを3つ付与する。1つは各自ランダム、もう2つは全員共通のものを与える
・全員共通のスキルのうち一つは自分の身体能力や保有スキルを数値で確認できる『ステータス開示』
・ある一定の種族を除いて、3つ目のスキルは秘匿される
以上が靄から伝えられたルールとやらだ。
「それではぁ〜、これから転生を開始しまぁす。」
靄が告げて私たちに手をかざすと、急激な頭痛と目眩に襲われる。
どうやらここにいる全員が同様の症状に侵されているようだ。
痛みなんて生ぬるい、文字通り死にそうな痛みが私たちの意識を少しずつ奪っていく。
「あ、私ったらうっかりしてましたねぇ〜。勝者の特典、言わばクリアボーナスを伝え忘れてましたぁ〜...」
靄が何かを私たちに伝えていたが、一体何人がそれを最後まで聞き取れていただろう。
やがて視界が明滅し、私の、現代社会で生きる人間としての人生が終わりを告げた。
次に目を覚ましたとき、私の目の前にあるのは地面と草花だった。
やたらと地面からの距離が近い。起き上がろうと手足に力を入れるが、目一杯力を込めても視界が持ち上がることがない。
まずい、体が言うことを聞いていないのか?
だが、前に進もうと思えばぎこちなくだが体が動く。
いやにはっきりと聞こえてくる水の音から察するに、この先に川かなにかがあるのだろう。
ひとまず水分補給だ。
まだあまり深い思考は出来ないが、ここは靄に転生させられた先の異世界で間違いないだろう。
先程からどう考えても日本のものではない植物や生き物が辺りをうろついているし、空にはどう考えてもカラスにしては大きすぎる鳥が飛んでいる。
靄が提示したルール、
・転生先ではランダムな種族の幼体に転生する
・ある程度の成長を遂げたタイミングでこちらの記憶を転生先の肉体に追加で上書きする
この2つが確かなら、私は今『人以外の種族に転生し、ある程度の成長を遂げて記憶が元の世界の私に上書きされた』状態なのだろう。
この目線の低さといい、やたら広い視界といい、どうやら人間のように二足歩行できる種族ではなく、かつ捕食者ではなく被捕食者。
間違いなくハードモード確定だが、どんな種族であろうと水分は必要。
ついでに水面で自分の姿を確認できれば、今後の自分の立ち回りがわかる。
靄の言うことが本当なのだとしたらどんな種族であろうと死ねばその時点で終了なのだろう。
生き延びること、それが最優先事項。
この被捕食者なのであれば捕食者から逃走するための脚力や擬態力があるはずだ。
取り敢えずこの体に慣れるまでひっそり暮らしてそれから...
ぼんやりと考えながらジリジリ歩いていると、小川の先にできたであろう水たまりを見つけた。
ありがたい、水流がない方が数倍飲みやすい。
私は口をつけて水を飲む。
どうやらこの体は嚥下は苦手なようで舌を使って無理矢理喉の奥へ水分を運び込む。
ひとしきり口を潤し、一息ついて水面を覗き込む。
いざ、異世界での私の体とのご対面だ。
『...え?なにこれ?』