86・肉料理のパイナップル
「クローバー家襲撃事件の真相を、お話します」
自ら真犯人を名乗り出たヒンドリー卿は、キャサリンさんに「辛い話をしてしまうが、どうか耐えてくれ」と大きな目に涙を浮かべて言いました。
キャサリンさんは「……パパ……」と一言こぼし、驚愕した顔でヒンドリー卿を見ています。
「クローバー家襲撃事件の真犯人は私です。……いや、正確には『事件をでっち上げた真犯人は私』というべきですね」
「でっち上げた……? あの、どういう」
思わず聞いてしまいました。
だって、クローバー家襲撃事件って、カナリヤの炎とか言うヤバい人達が酷いことをした事件ですよね?
それをでっち上げたって……一体、なんなんですか……!?
「クローバー家襲撃事件が起きた日の夜……。私の誕生日の夜でした。その日は家族で私の誕生日パーティをするのが毎年の恒例で。……でも、パンドラは、風邪を引いて寝ていましたから、また後日みんなでどこかへ出掛けよう、と決めていたんです」
ヒンドリー卿は「そうだろう? パンドラ」と、裁判官席にいるパンドラに笑いかけました。
パンドラは「ええ、お義父様」と微笑み返します。
「そして、キャサリンに連れられた私は自室に入ったのですが、そこで、目を疑うような光景がありました」
ヒンドリー卿は顔を手で覆い、すすり泣いています。
そんなヒンドリー卿をキャサリンさんはただ黙って見詰めるだけでした。
「妻フランシスは、使用人の男と不倫をしていたのです。……その現場に出くわした私は、フランシスと口論になりました。……キャサリンはそんな私達を見て酷く泣いておりました」
何と言えば良いのか。
私は言葉を無くし、キャサリンさんの肩を抱き込みました。
キャサリンさん、どんな気持ちで現場を見ていたのでしょう。
そう思ってキャサリンさんのお顔を見たら、彼女は
ただ悲壮な顔で、ヒンドリー卿を見上げています。
「フランシスは使用人の男と出て行くと言い部屋を出ました。……私も頭に血が登っていたので『勝手にしろ』と言いその場に残りました。……でも、キャサリンは違いました。……『ママ、行かないで』と泣いて縋り……そんなあの子を……フランシスは……階段から、蹴り落として……! 母親が自分の娘の腹を蹴るなんて、……そんなの、悪夢ではないですか」
不倫したお母様に追い縋り、階段から蹴り落とされた……。
そんなの、そんなことされたら、そりゃ……自分がキャサリンさん――フランシス様の娘だと言うことに絶望……しますよね……。
そんな絶望的な話を聞きながら、キャサリンさんは諦めた顔で一言「パパ……」と呟かれました。
「フランシスはキャサリンを蹴り落として使用人の男と逃げたあと、キャサリンの悲鳴を聞きつけた他の使用人やシスター達が駆け付け、近場の派出所にいる警察騎士を呼びました。……そして、すぐに到着した警察騎士達によってキャサリンは病院へ運ばれ、私は警察騎士駐屯基地へ行ったのです」
私は耐えられず、シドウさんの顔を見ました。
シドウさんはまるで自分のことのように思われているのか、今にも泣いてしまいそうな顔で俯いておられましたが、私の不安気な視線に気付いたのか無理に笑ってくださいました。
見ているだけで辛くなるような、悲しげな笑顔でした。
「警察騎士駐屯基地にて、ヘンリエッタ様の前任の警察騎士局長――ロックウッド卿に、私は『賊が侵入して、妻を拐い娘を階段から蹴り落とした。私は自室で刃物を突き付けられていたため身動きが出来なかった』……そう言いました。すると、ロックウッド卿はこう仰ったのです。……『それはカナリヤの炎の仕業に間違いない』と」
ヘンリエッタ様はゆらりと背後へ振り向き、傍聴席に座っている偉そうなおじ様……ロックウッド卿をじっと見ておられます。
ロックウッド卿は先程の偉そうな態度とは真逆に、バツが悪そうな顔をしていました。
「私は、ロックウッド卿の見立てを利用し、真相を隠しました。……それは、妻が使用人と不倫して出て行ったという醜聞を、ラネモネ家に知られたくなかったのもありますが……それ以上に、キャサリンの心のためでした」
ヒンドリー卿は泣きながら、「すまなかったね、キャサリン」と言います。
キャサリンさんは、感情を失ったような真顔でヒンドリー卿を見ておられました。
「キャサリンに、母親が自分を階段から蹴り落としたことなど忘れて欲しかったのです。……私は、娘の心を守るため、事件を作り出しました。……そして、キャサリンがそのことを忘れたままでいられるよう、五年間ずっとプルキノ・クルェスケを飲ませ続けました。私は、罪と引き換えに、キャサリンの夢を護ると決めたのです…………」
私もシドウさんも、ただ黙ってヒンドリー卿の言葉を聞いていました。
ヘンリエッタ様も、お人形のような真顔でヒンドリー卿を見ています。
「ですが、五年間の投薬のせいでキャサリンの心と頭は夢の世界から帰って来られなくなりました。……私のせいです。……全ては私のせいなのです…………。キャサリンが本当にパンドラに毒を盛ったのか、それは私にはわかりません。……ですが、もしキャサリンを罰すると言うなら、キャサリンを夢の世界に逃がして、淋しい思いをさせてしまった私を罰してください」
パンドラに毒を盛ったのは、本当にキャサリンさんなのでしょうか。
でも、毒の入った小瓶がドレッサーにあり、それにキャサリンさんの指紋がついているのは家宅捜索の際にわかっております。
それに、キャサリンさんは夢の中の自分が何度もパンドラに毒を盛ったから、もう何が現実で何が夢なのか分からないという状況。
ならば、そんな状況を作り出したヒンドリー卿が、自らを罰してくれというのも、無理はないでしょう。
そもそも、母親が娘を蹴るだなんて。
それ自体があまりにも辛過ぎて私は今にも泣いてしまいそうになりました。
「これが、ことの真相です。…………いかがですか、ヘンリエッタ様」
「……お前達親子は、あくまで『キャサリンが毒を盛った【可能性は】認める』という姿勢だってことはわかったよ」
「ありがとうございます。ヘンリエッタ様。…………どうです。これ以上追求を続けますか? 『キャサリンの指紋が付いた毒の小瓶がドレッサーにあった』というのは状況証拠に他なりませんし、そもそも『夢の中で毒を盛ったかもしれない』というのは、あくまで夢の中の話でしょう? ……まさか貴女は、夢の話を信じてくれるというのですか?」
ヒンドリー卿は涙に濡れた顔でヘンリエッタ様を見ています。
ヘンリエッタ様は
「状況証拠……。つまり、『犯罪への関与を【推測】できる証拠』だね。……………お前、この国の刑法をよく知っているじゃないか」
「……恐れ入ります。……ヘンリエッタ様。この状況でキャサリンを罰するというなら、そもそもキャサリンをこんな悲しい目に遭わせてしまった父親である私を罰しなさい。
……それとも、『この国の武力を司るラネモネ家の当主である貴女が、クローバー家の次期当主である十七歳の少女を状況証拠のみで連行して、犯罪被害者でもあるキャサリンが自白するまで取り調べをされますか?』
そもそも、『このような事態になった原因の一環には、貴女の叔父上であるロックウッド卿のずさんな捜査指揮があるのではないのですか? ラネモネ家のロックウッド卿の捜査指揮が正しければ、このような事は起こらなかったのでは?』」
「……お前は、私と痛み分けにしたいのかい?」
「勿論、ヘンリエッタ様の熱い正義感を突き通して頂いても構いませんよ。…………でも、貴女は『武力を扱う公爵家のご当主様』だ。……その意味を、よく考えることですね」
ヘンリエッタ様は相変わらず国一番の美女らしい可憐な微笑みを浮かべておりますが、青い目は蛇のようにギラついています。
「それなら、条件を一つ提案したい」
「なんでしょう?」
「遺体解剖の権利を、ラネモネ家の管轄に移して欲しいんだ」
「…………貴女の真の目的は、それでしたか」
「……どうだろうね? ご想像にお任せするよ」
この国の遺体解剖の権利は、国教であるフォティオン教を司るクローバー家の管轄です。
自身と遺族が望めば解剖はクローバー教の管轄のもと行えますが、まだまだ件数は少ないのだとジル先生から聞いたことがありました。
ヘンリエッタ様は、キャサリンさんを使ってクローバー家と痛み分けする条件として、『遺体解剖の権利』を手に入れたかったのでしょうか。
もしかして、最初からキャサリンさんを有罪にするのは不可能とわかっていたのでしょうか。
キャサリンさんの有罪が駄目なら、『遺体解剖の権利』を狙う。こう言う構えだったのかも知れません。
もし、キャサリンさんの有罪を可能にしたらしたで、キャサリンさんを助ける司法取引を持ちかけるだろうクローバー家に『遺体解剖の権利を寄越せ』と条件を出せますからね。
……正直、ヘンリエッタ様のお考えは、私ではもう何もわかりません。
「ラネモネ家は警察騎士という名の武力を司っている。人を拘束し拘留する権利も持っている。そんな危険な公爵家に遺体解剖の権利までは渡せない。……ラネモネ家は今まで、そんな理由で思うように事件を捜査できなかったんだ。……だから、今回みたいなパンドラ毒殺未遂事件に手も足も出なかったんだ」
確かに、ラネモネ家が遺体解剖の権利を手に入れたら、事件解決の難易度は格段に下がるでしょう。
そもそも、事件に巻き込まれた遺体の解剖がラネモネ家の管轄で行えたのなら、パンドラ毒殺未遂事件なんて秒で解決できたのです。
ヘンリエッタ様としては、何が何でもこの権利を獲得したいでしょう。
「……わかりました。武力のラネモネ家に解剖の権利だけは渡したくはなかったのですが、こうなったら仕方ありませんね……。では、私からも条件です。『ラネモネ家は、二度とこの件に触れないでください』……キャサリンの心を守るためです」
「……わかったよ。『ラネモネ家【は】二度とこの件に触れない』と約束しよう」
「ありがとうございます」
ヘンリエッタ様は大勢傍聴人――御三家関係者の前でヒンドリー卿に頭を下げさせたあと、ご自分は特に何もせず優雅に検事席に戻られました。
でも、途中でピタリと足を止め優雅に振り返られました。
「……私はね。実は犬より猫派なんだ」
「……は?」
ヒンドリー卿は訝しげな声を出しました。
あんたこんな状況でいきなり何言うの? とツッコみたくなる発言をかましてきたヘンリエッタ様は、美しく微笑んだまま言葉を続けます。
「犬は躾をしないといけないから大変でね。……しかも、躾をしても言うことを聞かずにご主人様の手を噛むバカ犬もいるだろう? …………でも、その点猫は良い。躾も散歩も必要無いから」
「ヘンリエッタ様、一体何を」
「でも、警察騎士は犬みたいな奴らの集まりでね……。躾をして散歩をさせて面倒を見なきゃならないんだ。……困っちゃうよ。…………特に、【面倒な狂犬】が一匹いてね。私の言うことをちっとも聞きやしない」
「……部下の掌握に苦労されてるのですね」
「そうだよ。困っちゃうよね」
ヘンリエッタ様はそう言うと、検事席に戻りいつも通りの美しい微笑みを浮かべておりました。
◇◇◇
「それでは、この裁判の判決を申し上げましょう。まず、リヒト王子。貴方は完全に無罪です。……わたくし達のお家騒動に巻き込んでしまい、誠に申し訳ございませんでしたわね」
悪夢のような裁判は、パンドラ裁判官の言葉と木槌の音と共に幕を降ろしました。
どんな証拠も証人も証言も無効の相手を打ち崩し、悪夢を終わらせリヒトさんを救ったのは良いものの、悪夢が守っていた現実は、悪夢以上に悪夢でした。
「次に、キャサリン。……わたくしの毒殺未遂事件において、証拠不十分で貴女は無罪とさせて頂きますわ。……貴女には、辛い思いをさせてしまいましたものね。……いくら養女であるわたくしを気遣ったお義父様の優しさとは言え、わたくしは実の娘である貴女からお義父様を奪ったも同然。……罪は、わたくしにもありますわ」
この発言に、ヒンドリー卿は顔をガバっとあげ「パンドラ……! なんて優しい子なんだ!!」と涙を流されております。
でも、隣に立つキャサリンさんは、絶望しきった顔で俯いておられました。
そりゃ、そうですよね。
自分を蹴り落とした犯人がお母様だなんて、そんなの耐えられるわけないじゃないですか。
「その代わり、キャサリンは次のクローバー家当主として、その身に大地の精霊ノーム様をしっかりと宿し、精霊様と共にクローバー家を護ることを誓ってくださいますか?」
「ああ、勿論だよパンドラ!! キャサリンもそうだろう? ね?」
パンドラ裁判官の名裁きを受け、ヒンドリー卿は嬉しそうにキャサリンさんに話しかけますが、キャサリンさんは悲壮な顔で「……パパ」とだけ言いました。
「パンドラ、キャサリン……家族の愛と絆に感謝したいね。……だってここは、愛と夢のクローバーランドなのだから。まさにハッピーエンドだ!」
ヒンドリー卿はそう言って笑っておられますが、キャサリンさんは悲壮な顔で『私』を見ました。
キャサリンさんの辛そうな顔は、まるでシドウさんがたまに見せる辛そうな顔に良く似ています。
そんなキャサリンさんを見ていると、ヒンドリー卿の言う通りハッピーエンドと言っていいのか全くわかりません。
……なんだか、非常に不可解でした。
まるで、ようやく悪夢から覚めたと思いきや、悪夢から覚めた自分もまた悪夢の中だったような。
そんな私とは逆に、
「ハッピーエンドで良かったですわ」と目に目薬を差してからわざとらしく泣くパンドラは
「リヒト王子……。晴れて無罪となった今、言いたい事はありまして?」
とリヒトさんに聞きました。
被告人席に立つリヒトさんは、真面目な顔で言いました。
「肉料理のパイナップルが俺を呼んでいる」
【小説の更新頻度減少のお知らせ】
只今本業のイラストレーターとしての使命である夏コミの原稿がマジのガチで満開最凶ヤバいので、小説は一日一話更新が限界になります。
展開がちょいと遅くなり恐れ入りますが、何卒ご理解の程よろしくお願いいたします…!
꒰՞•ﻌ•՞꒱「毎日連載は続けます!」
それでは、夏コミの原稿を応援ついでにべた褒めレビューと星5評価とブクマをお願いします!




