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58・どうしちゃったのシドウさん

「……なに勘違いしてたんやろか」





パーティが終わり、私は宮殿近くのホテルに用意された部屋にて、湯船に浸かってボケーっとしていました。





「エンジュリオス様にもめっちゃ迷惑かけてもうたなあ。……王子様相手に気ぃ使わせて申し訳ない」





エンジュリオス様には大変失礼な話ですが、意外とエグい噴射力を持つ噴水の水しぶきから庇われ抱き込まれた瞬間、



『あ、この人は違う』



と本能からそう思ったのです。



エンジュリオス様から香った香水のせいなんでしょうか。

香り自体は、とても良い感じに調合された香水だと思います。


でも、違う。


私が大好きなのは、煙草と汗が混じったみたいなシドウさんの匂いだ。





「……なんて、エンジュリオス様からしても『お前なんか知らんわ』って感じですよね」





エンジュリオス様は不思議な方でした。


ところどころ『あれ?』という違和感はありますが、きっとそれは王子様だからと思います。


うちンとこの王子も違和感だらけですし。





「……まさか、泣いてまうなんてなあ」





そんなエンジュリオス様に、私はなんと愚痴を垂れてしまったのです。王子相手に愚痴です愚痴。


不敬罪で一族もろともぶっ殺されても文句は言えません。



シドウさんと後輩ヒーラーさんが地元トークで盛り上がっておられる場に入ることが出来ず、トドメと言わんばかりにシドウさんの口から『書類上』と出た瞬間、私は医務室に入ることも出来ず逃げてしまったのです。



そんな私をエンジュリオス様は追いかけてくれて、靴まで履かせてくれました。


王子様を走らせてどないすんねんと本気で凹みました。



そんな私はエンジュリオス様と噴水広場のベンチに座り、愚痴を垂れまくってしまったわけです。





◇◇◇





「エンジュリオス様。私、シドウさんのこと金で買ったんです」


「……どういう意味?」





噴水広場のベンチで、私は膝を抱えてシドウさんとのあれこれをだらだら語りました。



婚約破棄され放火魔にされ豚箱にぶち込まれ、誤解とは言えシドウさんにナイフを向けて酷い暴言を浴びせまくったあと、自分の冤罪を晴らすためシドウさんに金と社会的地位に物を言わせて結婚を迫ったこと。



とても美しい大貴族の女性にずっと恋をされてるシドウさんを応援するふりして、高嶺の花相手に疲れた瞬間を狙って私で妥協させたろとか思ってること。



シドウさんがその女性にフラれることを願っていること。



そして、自分の父親はシドウさんに二度と癒えない損害を与えてしまったこと。



恋のお相手がヘンリエッタ様であるとかコーカサス炭鉱爆破事故という公安事項は伏せましたが、いざ人に話してみると『……なんやこれ、私ほんまに恋愛物語の悪役クソ女やんけ』と思います。





「それにね、エンジュリオス様。……私、さっき最低なこと思っちゃったんですよ」


「最低な、こと?」


「ええ。……大貴族のお姫様相手やったら多分フラれるさかいにそのお溢れを狙ったろって思ってたのに、同じ地元で同じ学校を出てて、子どもの頃によく通ってた定食屋の娘さんで、しかも推しの幸せを祝えるくらい気立てが良くて美人でしかも巨乳のヒーラー美少女がシドウさんに惚れてしもたら、そんなんお似合いやんって」





私は無意識にシドウさんを下町の武器屋の息子さんと見下していたのだろうか。


ヴェスヴィオの町は大好きだし、シドウさんのご両親も大好きだ。


だけど、心のどこかで『それでもラネモネ公爵家で国一番の美女であるヘンリエッタ様は無理ゲーやろ』とシドウさんの恋路を馬鹿にしていたのだろうか。



そんな傲慢で無神経でカスみたいな私にとって、正直ヘンリエッタ様よりも同じ地元出身で同じ学校出身で子どもの頃から縁があるお店の心優しい美少女しかも巨乳の方が、とんでもない脅威だったのです。



そういや……シドウさん言ってたもんな……『巨乳の女騎士が好き』って。





「ヒーラーって職業は狡いよね」





エンジュリオス様はくすっと笑いながら話を続けられました。





「怪我をして弱ってるときに治癒魔法をかけられて優しい笑顔を向けられたら、誰でも恋に落ちちゃうもんだからさ」


「……それ、エンジュリオス様が言います?」





私がツッコミを入れると、エンジュリオス様は妖艶な顔で笑った。


この人は、一体どれほどの相手を虜にして来たんだろう。

こんな見目麗しい王子様がヒーラーなんて、そんなん反則よなあ。





「同じ地元で同じ学校出身で、子どもの頃に通ってた定食屋の娘さんで、しかも性格が良くて巨乳の美少女ヒーラーかあ。……とんでもないね、こりゃ」


「でしょう? ……見下してるとかそんなんやなくて、単純に、お似合いやなって思ったんです」





医務室での二人の会話を盗み聞きして、大体のことは把握していた。


きっと、公安隊員としてどっかで戦ってたとき、シドウさんは後輩の美少女ヒーラーを庇って怪我をされたんだろう。


だから、そんなシドウさんに後輩の美少女ヒーラーは泣きながら謝っていたのだ。


あの横顔は、完全にシドウさんへ恋をした顔だ。



私にはわかる。痛いほどわかる。


だって、シドウさんに護ってもらったら、そら惚れるよな。



命を懸けて護るからって、言ったろ?



とシドウさんに抱き込まれたあの瞬間は、昨日のことみたいに覚えてる。



目の前が滲んだ。


いつの間にか泣いてしまったのだろう。





「……プロメさんは、お姫様だよ」


「え? いや、私はスーパー金持ちではありますが、お姫様では」


「ううん。……いずれこの国の鉄工業を支える国の心臓になるだろう大企業の、可愛いお姫様だよ」


「……そんならお姫様らしく下町の心優しい巨乳の美少女ヒーラーの恋路を邪魔しますかね……って、これマジで恋愛物語の悪役じゃないですか。悪役令嬢ですよこれ」


「悪役になる必要なんて無いでしょ」


「え」





エンジュリオス様はベンチから立ち上がると、私の手を取って立たせてくれた。



そして、ワルツでも踊るみたいにステップを踏みながら噴水へと近く付くと、月明かりを背にして逆光になったエンジュリオス様が、うっとりとした微笑みを浮かべて言ったのだ。





「お姫様の相手には、王子様がいるでしょ?」





そう言って白いハンカチで私の涙を拭ってくれたのだ。





◇◇◇





「あの人、どれだけ『あれ、この人私のこと好きなのかしら〜』って誤解させて来たんやろ。あ〜怖。無自覚王子様こっっわ」





私は風呂から上がって持って来た寝巻きに着替えたあと、鏡台の前でボケーっと髪を乾かしていた。



エンジュリオス様と話していると、マジで『あれ? もしかしてこの人ってば、私のこと好きなの〜!?』と勘違しそうになる。



一方、うちンとこのロックスター王子と話しているとイラついて頭が痛くなるだけなので、脅威度で言ったらロックスターのがマシだった。





「……そういや、シドウさん部屋におらんかったな。……置き手紙には『外の空気吸ってくる』って書いてあったけど、外の空気吸うんやったらベランダでもええのに。どこ行かはったんやろ」





パーティの後、部屋に帰るとシドウさんはいなかった。


お風呂を使った痕跡と『外の空気吸ってくる』と芸術的な字で書かれた置き手紙とゴミ箱に捨ててあった寝付けの薬のゴミを見るに、後輩美少女ヒーラーに怪我を治してもらった後、一回部屋に帰って風呂入って薬飲んで寝ようとしたけど眠れんで外に出たって感じだろう。



いくら治癒魔法で治されたとは言え、仕事で大怪我を負ったのに大丈夫だろうか。



どっかで倒れたりしてないか。


それが不安だった。



……まさか、ヘンリエッタ様からあの美少女ヒーラーに乗り換えて…………と思ったが、私にシドウさんの恋路についてあれこれ文句を言う義理は無い。





「……このままでええんかな」





加護人の騎士関係は解消できなくても、書類上の夫婦というのはいつでも解消可能だ。


何故なら、あの美少女はヒーラーで、つまり治癒魔法が得意な水の加護人なのだ。



水の加護人と加護無しのシドウさんが結婚したら、シドウさんの社会的地位は水の加護人と同等になる。





「なんや、私と結婚してもメリット無いやんけ」





私が差し出せる唯一の旨味である金すら、あの気高いシドウさんは受け取ってくれないのだ。



しかも、炎の加護人と水の加護人なら、水の加護人の方が社会的にも歓迎されている。



あれ? 寧ろ……私との結婚、邪魔じゃね?



そう思った、その時だ。



ドアがトントントンとノックされ、



「悪いプロメ。開けてくれ」



とシドウさんの声がしました。



すぐに電熱の温風機を置いてドアへと駆け寄り、扉を開きました。





「シドウさん……!? 貴方、まさか」





寝巻きのシャツとジャージのズボンを履いたシドウさんの赤い瞳は、ボケーっとして光がありません。しかも、なんかフラフラしています。


顔は異様に赤く、息も少し上がっているようです。



しかも、この匂いは。





「お酒、飲まれたんですか……?」






◇◇◇





部屋に入った途端フラフラと崩れ落ちるように床に座り込まれたシドウさんに、私は水の入ったコップを差し出しました。



シドウさんはボケーっと目で私を見て、「ありがと……」とコップを受け取られましたが、飲みながら口の端からこぼしたあと、そのままフラついてコップを落とされてしまいます。



シャツとズボンに水がかかったのにも気付かないようなシドウさんは「悪い……せっかく、持って来てくれたのに」と謝られたあと、フラフラしながら立ち上がられてベッドに倒れられました。





「シドウさん、大丈夫ですか!? シドウさん!!」





うつ伏せにベッドへ倒れられたシドウさんの肩を押して仰向けにして、私は大声でシドウさんの名を呼びました。





「どうされたんです!? お酒って寝付けの薬と飲み合わせが死ぬほど悪いって常識じゃないですか! なのに……! なのになんで酒なんか飲んだんです!!」


「……寒い」


「ねえ、聞いてます!?」





シドウさんが着ているシャツもズボンも水で濡れてしまったのだ。そりゃ寒いだろう。



でも、そんな場合じゃない。



シドウさんは寝付けの薬と酒は死ぬほど相性が悪いと知ってるはずなのに、どうしてこんな馬鹿な真似をしたんだ。





「あはは……」


「なに笑ってるんですか!! どうして酒なんか飲んだんだって聞いてるんです!」


「……あはは、……プロメ、親父にキレてる母ちゃんみてえ」


「ゼンジ様とシドウさんじゃ状況が違うでしょうが!!!」


「なあ、寒い。……プロメ……」


「むぎゃっ!」





光のないとろんとした目で笑うシドウさんは、私の腕を引いて抱き枕みたいに抱き締めてこられました。



お風呂上がりのためか、私と同じ洗髪剤や液体石鹸の匂いがします。

それに、お酒に混じって少し煙草の匂いがしました。



ああ、この人だ。



私は我慢ならずシドウさんの首元に顔を埋めました。



この匂いが好き。


この体温が好き。



やっぱり、貴方が好き。





「暖かいなぁ……プロメは」


「シドウさん、もうどうしたんですか一体!? 貴方らしくない! お酒なんか飲まれて!」


「……心配? あはは」


「心配に決まってるでしょ!! この心配は私の護衛がどうとかそう言うんじゃなくて!! 単純に貴方のお体とお心が心配なんです!!! 笑うなやアホ!!!」


「そっか……うん。ごめん……ははっ」


「ごめんじゃないですよほんとに! だから笑ろてる場合ちゃうやろが!」





寝付けの薬と酒って相性最悪だよな。

だったらロマンさんを呼んでなんかしてもろた方がええんちゃうか。



そう思ってシドウさんから離れようとしたとき。





「夫置いてどこ行くんだよ」


「え!? むぎょっ!」





少し怒ったような声を出されたシドウさんに再び抱き込まれ、私は完全に動けなくなりました。


……しかも。





「ひゃ、ぁ……し、シドウさん!? ちょ、あの、くすぐったいです……ってば!」


「なあ、お前なんでこんな良い匂いすんの」


「ちょ、え、え、あのちょっとシドウさ、ひゃぅっ」





シドウさんは抱き締めた私の首筋に顔を埋められ、頬擦りされています。


時々首筋にシドウさんの唇が当たり、くすぐったさに自分でもびっくりするような甘えた声が出ました。



なに? なにこの声? いつものぶりっ子した声じゃない。


こんなに甘えた声が、私の声なの?



なんだこれ。心臓がうるさい。顔が熱い。


駄目だ。なんだこれ。わからない。





「シドウさん、ちょっと、ねえ! 私の話聞、きゃぅっ!」





私を抱き締めるシドウさんの手が、背中からうなじにに撫で上がったかと思えば、指でつうっとうなじをくすぐられ、またあの甘え蕩けた声が出てしまいました。




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