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56・エンジュリオス王子

「え、僕のこと……知ってるの?」





鼻血をなんとかするため医務室に行ったら、なんと隣国を追放されたヒーラー王子のエンジュリオス様と出くわしました。



医務室の光を背に受けお顔には影がかかっていますが、それがエンジュリオス様の妖艶さをより引き立てて言います。



シドウさん絶対正義の私からしても、素直にエンジュリオス様の美貌はすげえなと分からされます。

艷やかな金髪が飾るお顔は整い過ぎて最早恐ろしいほどに美しく、長いまつ毛に縁取られた若草色の瞳を見ていると息を吸うのも忘れるほどでした。



シドウさんに対して抱く、キャー! 素敵♡ ペロペロしたい! というときめきは毛ほどにありませんが、恐ろしいほど端整に作られた美術品を見ているような、そんな圧倒と畏怖がありました。





「……あの、どうかした?」


「! いえ、別に」





余りの美貌に怯んだ私へ、エンジュリオス様はすっと顔を近付けられたあと、いたずらを成功させた少女のようにくすくす笑っておられます。



この方は、ご自分の見た目の使い方を知ってる人だ。



女に対して距離を詰めるのが異様に上手いその態度で瞬時に分かりました。



シドウさんなら『ふぇぇ』みたいなツンデレ美少女化するもんな。……その真っ赤になったお耳をペロペロしたいとか思ってませんよ。ほんまに。





「あ、ごめん。鼻血止めなきゃだよね。……取り敢えず、そこに座ってくれる?」





エンジュリオス様は医務室の椅子を私に向けてくれました。



お言葉に従い椅子に座ると、エンジュリオス様は縦に丸めたガーゼを私の鼻に詰めて、「ごめんね」と言ってから私の鼻をつまみました。





「こうしておくと止血になるから」


「ぞうでずが……ありがどうございまず」


「あははっ、ガーゼ入れた鼻摘まれてるのに、返事しなくて良いよ」





エンジュリオス様は楽しそうに笑いました。


……いや、笑ってるん……だよな?


楽しげなエンジュリオス様の笑い声は完璧に明るく朗らかな感じですが、なんでしょう……この違和感。



なんで、口が笑ったあと遅れて目が細められたのでしょう。



私はシドウさんが見せる、悲しそうな笑顔を思い出しました。


震える唇でそっと笑いながらも、目と眉は泣きだしそうな哀しい表情を浮かべる、あの儚げな笑顔です。


シドウさんというヤバいほど強い男に儚げというのは不釣り合いかもしれませんが、それでもやっぱり儚げという言葉しか思い付きません。





「……誰のこと考えてるの?」


「え、なんで」


「…………今は僕が治療中なんだよ? 寂しいな〜って」


「あ、ああ……ずびばぜん」


「ごめんごめん、冗談だよ。……というか、ぷ、くくっあははっ! 鼻摘まれたまま答えなくて良いってば! 面白いなあ君は!」





エンジュリオス様は恋する少女のような笑顔を見せます。





「今日の舞台、観てたよ。……アイグレーの衣装、すっごく似合ってた。近くで見れて嬉しいな」





エンジュリオス様は私の鼻を摘みながら身を屈めて私と視線を合わせてきました。


確かに、私はアイグレーの衣装を着たままです。

着替えもせずにシドウさんのエルキュールのお衣装を羽織ってソファーでゴロゴロしてたもんですから。



そして。





「可愛いよ」





若草色の瞳を細めてそっと微笑まれました。


至近距離で見ると、滑らかな頬骨のあたりにまつ毛の影が落ちています。





「あれ? 君、靴擦れしてない?」


「え? ……ああ……ぞういや。アイグレーの靴っでガラスの靴なんで、結構歩ぐの大変でじだがら。多分ぞれでずね」


「ごめんね気付かなくて。すぐ手当するから。……ほんとはヒールで治してあげたいけど、血行が良くなると鼻血が悪化するしさ」





エンジュリオス様は私の鼻から手を離すと、薬箱から絆創膏とガーゼと消毒液を取り出されました。


そして、私に跪かれるとガラスの靴をそっと脱がしてから、消毒液を付けられたガーゼを優しく当ててくださいます。





「んぎょ! いっでぇッ!!! 靴擦れって地味に痛いんでずよねえ」


「……鼻には止血のガーゼを詰めて足は靴擦れなんて、大変だね」


「上は大火事下も大火事みだいな感じでずわ」


「あははははっ! 確かに! ……もう、ほんとに面白いなあ君は。……こんなに可愛いのに」





あんたそれ、本心で言うてるの?


と気になりますが、そもそもエンジュリオス様は追放されているとはいえ他国の王子様なのです。

そんなとんでもないハイスペックな方が、治療師として私の鼻血と靴擦れを治療して下さっているのですから、いちいちケチ付けるのは失礼な話ですね。



それに、相手は正真正銘の王子様なのです。

女相手のリップサービスは社交のマナーとして教育されているのでしょう。



……いつまで経っても人の名前をボロネーゼだとかマスカルポーネだとか間違えるクソミドリとは大違いですね。アレとエンジュリオス様を交換してくれませんかね。





「ほんとだよ?」


「へ?」


「君のこと、すっごく可愛いって思うよ」


「はあ……ぞりゃどうも」





鼻にガーゼ詰めた女にも自然にリップサービスを言えるエンジュリオス様はすごいな〜と思いながらそう言うと、エンジュリオス様は私の踵に絆創膏を貼ってくださいました。


そして、




「リップサービスじゃないんだけどな」




と悲しそうに笑って、手に持ったガラスの靴を私の足に履かせてくれている――――そんなときです。





「プロメ!? 大丈夫か!? お前が医務室に行ったのを見かけたって他の隊員から聞いて…………」


「ジドウざん!!! ……」





絶対正義のシドウさん……の後ろに、ヘンリエッタ様がいらっしゃいました。



ヘンリエッタ様はいつも通り警察騎士局長としての制服をお召になっておられますが、まるで彼女の為にデザインされたドレスを纏っているかのようにお美しいです。



私はそんなヘンリエッタ様を前にして、少しでもマシな格好をしなければ! と思い、鼻に詰めたガーゼを引き抜きゴミ箱に捨てました。


幸い鼻血は止まっておりましたが、今度は胸が痛くて仕方ありません。





「プロメさんって、言うんだ。……可愛い響きだね。ぴったりだよ」





エンジュリオス様はそっと私の隣に立たれると、「シドウさん……ですよね。……貴方か、お連れ様もお怪我をされたのですか?」と聞かれました。





「……いえ。……ただ、プロメがこちらへ来たと聞きましたから」





シドウさんは敬語モードでエンジュリオス様にお答えされますが、目は逸らしておられます。





「彼女、靴擦れされてましたよ」


「え」





エンジュリオス様は一歩前に出ると、シドウさんのお顔を見上げて言葉を続けられました。





「治療は済んでますからご安心を」


「……そうですか」





シドウさんはエンジュリオス様にそうお答えされたあと、私と目が合いました……が。





「ヘンリエッタ殿。お時間を頂きありがとうございました。……もう行きましょう」





まるで目を逸らすみたいに背後へ振り向かれると、ヘンリエッタ様へそうお声がけされました。



ずくん、と私の胸にナイフが刺さったみたいになります。


あれ、シドウさんが、なんか、遠い。





「だから言ったんだよシドウ。……早くしろってね」


「……俺は、最初からそんなつもりではありませんから」





二人して何を話されているんですかシドウさん。


早くしろ? って、どういう意味ですか?


最初からそんなつもりではない? 貴方は、何を言ってるの。



嫌だ。嫌や。行かないで。


行かんといてシドウさん!!


私を置いてヘンリエッタ様とどこへ行くの!?





「シドウさんっ!!!」





私に背を向けたシドウさんに駆け寄り、手を掴みました。





「あの、この後ほら御三家交流会のパーティがあるじゃないですか! アレにシドウさんも出てくれますよね!? だってアレじゃないですかシドウさん! 書類上とは言え一応私の夫なんだから、ほら、この国の社交界のルールじゃ女は連れの男にエスコートされてパーティとかに出るもんですから……っ、……だからっ!」





だから、私のこと置いて行かんといて。


シドウさん、私はあんたと一緒にいたいねん。





「……ごめん。俺は、そっちに行けない」


「え」


「今から、行くとこがあるんだ。……やらなきゃならねェことがあるから」


「そんな、あの、一体何を」


「……」





シドウさんは口を噤んでヘンリエッタ様を見ました。



まさか、公安絡みの何かなんですか。



元公安部隊のシドウさんは、私にすら言えない秘密をたくさん抱えておられます。



その秘密を追求するなど、私には出来ない。





「……プロメ。……お前はナルテックス鉄工の令嬢だろ? ……この国の鉄工業を支えて、いずれこの国の心臓になるだろう立ち位置の大会社の令嬢なんだから。……今のうちに上流階級に顔売っときな」


「……でも、そ、それなら! 夫が傍にいた方が」


「そもそもさ、書類上の夫が御三家や貴族や資産家達のパーティなんてモンに参加できるわけねえだろ。……しかも、下町の武器屋のせがれなんて連れてってどうすんだよ。変な噂が立って格が下がるだけだから、やめとけやめとけ」





困ったように笑うシドウさんは、彼の手をぎゅっと掴む私の指を優しく剥がしました。





「良いか、プロメ。……偉そうなこと言わせてもらうが、お前のこの先の人生のためにも、色々と考えておけよ。今夜のパーティは、お前の将来の幸せのためにもに絶対役に立つから。…………友達として、応援してる。……プロメなら、きっと大丈夫だから」





私の幸せは、貴方がいないと成り立たないんですけど。


そう言おうとしたとき、シドウさんは




「それではヘンリエッタ殿。……お待たせしてしまい申し訳ございません。……それでは、参りましょうか」




と仰いました。



『ヘンリエッタ殿、お待たせしてしまい申し訳ございません』


これって、私との会話が邪魔やったってことですか。



ねえシドウさん。



私は何も言えないまま、シドウさんとヘンリエッタ様の後ろ姿を眺めたまま立ち尽くしておりました。





◇◇◇





「だから言ったんだよシドウ。……早くプロメさんを奪わないと、王子様がプロメさんをお城に連れてっちゃうよ? って」





クローバー家の宮殿から少し離れた暗い森の中に、俺とヘンリエッタ殿と公安部隊の同僚がいた。


公安部隊の同僚達の中には、新人らしいあどけない顔をした人もいる。





「この国を導く者としては、いずれこの国の心臓を担うナルテックス鉄工のご令嬢は抑えて置きたいんだけどね」


「そのご令嬢を射止める役は、他の王子様にでも配役してください」


「王子様? それは……リヒト王子のことかな?」


「あのロックスターに誰かの夫なんて『役不足』でしょ。……両方の意味で」





役不足は、本来褒め言葉である。


例えば、ロックスターであるリヒト先輩に名前すら無い悪役をやらせるみたいな、本人の器の大きさと役柄が釣り合ってない場合に言う言葉なのだ。



だけど、反対の意味で使われる誤用があまりにも多すぎて、逆に市民権を得てしまっているのも事実である。


例えば、俺に王子様役をやらせる、みたいな。





「……俺は、『カナリヤの炎』の残党を狩る公安部隊役ですよ。……役名なんか、必要無い」





カナリヤの炎――――国家転覆を目論む加護無し達によって結成された、反王国過激派組織。


その残党共が、今、クローバー宮殿を襲撃しようとしていた。





◇◇◇





数日前。

ヘンリエッタ殿から聞かされていたことを思い出す。……確か、風の精霊シルフと激闘した際にぶっ壊れた中央裁判所についての始末書を書かされ、それを提出した頃だ。



警察騎士駐屯基地局長室にて、局長の椅子に座り足を組むヘンリエッタ殿は、 

 


『お前は、五年前の【クローバー家襲撃事件】を知っているかな?』  



と聞いてきた。





『ええ……。存じておりますが』





クローバー家襲撃事件。


それは、五年前にカナリヤの炎によって起こった凄惨な事件である。



国家転覆を目論むカナリヤの炎が、この国の国教であるフォティオン教を司るクローバー家を襲撃し、ヒンドリー卿の妻フランシスを略取し、その娘キャサリンを階段から蹴り落とすなどの暴行を加えた事件だ。



キャサリンの悲鳴を聞きつけた従者がすぐに現場へ駆け付け警察騎士に連絡したものの、犯人を現行犯で捕まえることは出来なかった。



しかし、捜査の末カナリヤの炎の構成員二名が逮捕され、現在は死刑執行を待っている状態である。





『それのお礼参りを、連中は目論んでいるらしくてね。……今朝方、こんなものが届いたんだよ』





ヘンリエッタ様から目の前に出された手紙を受け取り、中を確認した。



手紙には【無実の構成員二名を釈放せよ。さもなくば、御三家が集う宮殿に血の雨が振り、粛清の炎に包まれるだろう】と書かれている。





『下手くそな文章だ。雨なのか火なのかどっちかにしろと言いたいね。いるんだよ……こう言う素人。書きたいことを一度に書いてしまうから、濃い文面の割に内容が全く頭に入らない』





ヘンリエッタ殿にボロクソ貶された文章はさておき、この【無実】ってのが気になった。



人のカミさん拐って娘に怪我させて、何が無実なんだ。


カナリヤの炎の連中は、自分達加護無しを不当に扱う加護人を攻撃する際、【正当な断罪】だと主張する。



だから、今回も同じ理由なのだろうか。





『シドウ。命令だ。…………御三家交流会へ襲撃を企むカナリヤの炎の残党を、捕らえなさい』





◇◇◇





ヘンリエッタ殿の命令通り、カナリヤの炎の残党を捉えるべく手にした槍を構えた。


クローバー家の領土――クローバーランドに他の御三家が武器を持ち込むのは禁止されているため、この槍はクローバー家から極秘に支給されたものである。



本物の槍で戦う事になるのは、久しぶりだと思った。




現場は暗い森であるが、重い雲に隠れた月が顔を出したため、かろうじて敵の輪郭は見えた。



――そして、掛け声も音も無く不気味に迫ってくるカナリヤの炎の残党共を蹴散らすべく、俺は駆け出した。






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