03.暗闇の地下牢
地下牢に閉じ込められてからどのくらい時間が経ったのだろうか。
王都に着いて地下牢に連れ込まれたのが昼過ぎくらいの出来事で、そこからお情け程度の食事が2回運ばれてきたことを考えると間違いなく日は跨いでいるだろう。
真っ暗でよく見えないが、錆びた匂いや手に触れた感触からして恐らく鉄格子と石造りの一般的な牢屋であることが推測できる。
――まあ、出ようと思えばいつでも出られるんだけどなあ。
ルシウムが装備していた魔剣や手荷物などは、全て騎士団に没収されてしまった。
しかし仮に武器や道具が無くとも、牢獄から出ようと思えばいつでも出られるのである。
とはいえ、ここで脱獄をしてしまうと、この先この街に滞在することが難しくなってしまい、ルシウムの目的が達成される可能性が極めて低くなってしまう。
「参ったなー。どうすっかなあー」
ルシウムは今後、どうするか考える。
このままこの牢獄で過ごしていればいつかは出られるかもしれない。けれど、門番を一人気絶させてしまったので、それがいつになるかは分からない。
かといって先の理由から脱獄することも難しい。
「初っ端からこれじゃあ、先が思いやられるな......」
「ああ、めんどくさいことになった......」
「ぶつぶつうっせえぞ!!!」
隣の牢屋から、男の野太い怒鳴り声が聞こえてきた。
――他にも人いたのかよ。
やることもなく、隣からも怒鳴られてしまったしまったため、
ルシウムは仕方なく、硬い床に寝そべる。
――冷てえなあ......。
服の上からでも伝わってくるひんやりとした感触を肌に感じつつ、ルシウムは目を瞑り、ふと過去の記憶を思い出していた。
◇◇◇
「この世界は欺瞞で満ち溢れている」
屋敷の執務室で、大量に積み上げられた紙の束に一つ一つ目を通しながら、白髪の男レモンド・サーペントが少々冷たく言い放つ。
ルシウムは、レモンドの執務室で棚の整理を手伝いながら、口癖のように言って聞かせてくるその言葉を聞き流す。
「いいか、ルシウム。世界をもっと視野を広げて見るのだ。そうすれば、自ずとこの言葉の意味が分かる」
「もう何度も聞いたよ。だから俺は旅に出るんだよ」
ルシウムは教会の説法の如く聞かされるその言葉に、飽き飽きとした態度で返事をした。
「この魔界も天族が住まう天界も、表面上は平和だが、このままだとまたいつか必ず戦争が起きる」
「それも聞いた」
ルシウムもそれは薄々感じていることだった。
長期に渡って繰り広げられていた戦争による傷跡は、あまりにも大きい。
どちらの種族も、まだ完全に互いを受け入れることができていないのだ。
魔族は魔界から外に出ようとはせず、また天族も天界から魔界へは足を運ばない。
それが決して悪いことではないのだが、このままだといずれ互いの反乱分子が衝突し合いまた戦争を引き起こす。レモンドはそう確信しているようだ。
「お前の母の死因が隠蔽されたのも、その影響だろう」
10年前のあの日、母が殺されたのも、村が焼き討ちされたのも、ルシウムが殺されかけたのも
全て不慮の事故という不本意な形で、こと片付けられてしまった。
あの日、何者かが村を襲撃し、完全なる殺意を、勇者である母とその子供に向けられていたというのに。
「......そうだな」
「戦争を終わらせた英雄が殺されたなどと広まれば、戦争の引き金になりかねないからな」
天族であった勇者が殺されたともなると、それはきっと魔族による逆恨みと捉えられ戦争を引き起こしかねない。
だから天族側も魔族側も、ともに不慮の事故として処置したのだろう。
「俺は、あの日の真相が知りたい。ただそれだけだ」
「私も色々と探ってはいるものの、結局、あの悲劇を引き起こした黒幕が誰なのかは分かっていない」
「俺も死んだことになってるしな」
「うむ。だからこそ、お前の存在がその真相を知る鍵になる。そしてこの世界を変える可能性になる」
「まあ世界がどうとかは、まだよく分からない。でも真相は知りたい。だから俺は旅にでる。天界に行けば、何か分かるだろうしな」
レモンドは現魔界の事実上のトップであるため、そのレモンドが知らないとなるときっとこれ以上魔界にいても、情報は手に入りにくいのだ。
だからルシウムは天界へ赴き、各国を巡る旅に出ることにした。
それは事件の真相を知りたいという、ただの純粋な思いだった。
「本当なら、私も着いていきたいんだがな」
「アンタが来たらややこしくなるだろ。それに、そしたら誰がこの魔界を統治するんだよ......」
「それもそうだな。冗談だ」
レモンドは表情一つ変えずにそう言う。
「冗談なのか本気なのかわかんねえよ......」
「まあ、あれだ。くれぐれもヘマをするなよ。下手をすれば、また戦争を引き起こしかねないからな。それくらいお前の存在は大きいのだ」
「大丈夫だよ。上手くやる」
「お前はあの勇者に似ているところがあるからな......。少し心配だ」
「心配性だなあ......。あれから随分時間が経ってる。案外分からないと思うぜ」
「いや、そういう事じゃないんだがな......」
そしてレモンドは、少し表情を歪ませた。
◇◇◇
そして今である。
――初っ端からヘマしちゃってんじゃん。
目が覚めてまず思い浮かんだのはそんな事だった。
目を瞑ってからどのくらい時間が経ったのだろうか。日の当たらない地下牢では時間の感覚が麻痺してしまう。
相変わらず錆びた鉄の匂いと独特な隙間風の音しか聞こえない。
――どうするかな。やっぱりもう脱獄してしまおうか。
そんなことを考えていると、微かに足音が聞こえてきた。
それも段々と近づいてくる。
ルシウムはじっと耳を澄ませた。
音は段々と大きくなっていき、そして止まった。
その足音の主は、手に持ったランタンで牢屋の中を照らす。
真っ暗な状態から急に光を照らされたルシウムは、若干目を細めた。
「貴方がルシウム・ミルファード殿か」
その人物は、囚人に対して向けるような粗々しい言葉遣いではなく、少しだけ丁寧な口調でルシウムの名を口にした。
「そう、だけど」
「ふむ、そうか。緋色の髪、門番の情報通りだ」
逆光で顔や姿はよく見えないが、声色的に、目の前にいる人物は女性のようだ。
「ん?俺になんか用でも?」
「貴方に話がある」
ルシウムに話があるとは一体どういうことなのか。
何やら面倒なことになる予感しかしない。
彼女はランタンの光を牢屋の鉄格子に向けて、そして鍵を開けた。
「え、どういうこと。出られるのか?」
「とりあえず私に着いてきてはくれぬか」
彼女はそう言うと、そそくさとどこかへ歩いて行ってしまった。
「話があるって言われても......あ、ちょっとまっ――あいだっ」
ランタンの光を失った牢屋はまた真っ暗闇に戻ってしまい、暗闇でまた何も見えなくなってしまったルシウムは、思わず牢屋の鉄格子に頭をぶつけてしまった。
「あの女、馬鹿なのか」
そんな文句を漏らすつつ、少し赤くなったおでこに手を当てながら、おぼつかない足で彼女ことを追いかけるのだった。