01.旅の始まり
あれから10年。
世界は平和である。と皆思っている。
行商人の幌馬車の荷台に腰掛け、目的地である王都ベルホルンを目指すルシウム・サーペントは、雲一つない晴れ渡った空を眺めながら、手に持った果実を一口頬張る。
「いやあ、ほんと助かりましたよ」
手綱を引く行商人が、荷台にいるルシウムに向けて軽く手を挙げる。
「こっちも荷台に乗せてもらってるしお互い様だよ」
そう言うと、ルシウムはまた一口、果実を齧った。
「まさか、このご時世、野盗に襲われるとは思いませんでした」
「まあ、王国を出ちゃうと治外法権地帯だからな」
「ええ、全くです。といっても私には護衛をつけられるほどの儲けがでていませんで......」
「おっちゃんは運が良かったな」
「ええ、ほんとに助かりました」
野盗が現れるのは別に珍しい事ではない。王国の管轄外である町や街道は基本無法地帯と化していて、野盗や野獣がわんさか蔓延っている。
その為、こういった出来事は日常茶飯事だそうなのだ。
ルシウムのような素性の知れない謎の旅人はともかくとして、行商人や詩人などのあらゆる街を行き来するような人間は、基本、護衛を雇って旅や商売に励んている。
この行商人は身なりも悪くなく馬車も立派。
護衛や王国の騎士団を雇うには相当金を積まないといけないらしいのだが、この行商人にはそこまでの儲けを出すことができていないようだ。
「おっちゃん、家族とかいんの?」
「ええ、妻と娘が二人います」
「ああ、それで......」
――家族を養うので精一杯で、護衛を雇う余裕まではないってことか。
ルシウムはそのまま何も言わず、また一口果実を頬張った。
◇◇◇
この世界は、基本的には平和である。
今から20年前、緋の勇者と呼ばれる女性が、魔族を降伏させ、長年争っていた天族と魔族という2つの種族の戦争を終結させた。
戦争は、天族の勝利で終わったため、世界は天族が治安を維持し魔族はその配下として、魔族と天族は共存し、より良い世界を作っていくのだった。ということに表面上はなっている。
実際のところ、天族の住むこの天界には魔族は出入りしないし、その逆もまた然り。
「......くそくらえ」
ルシウムは軽く舌打ちをした。
「おや?何か言いましたか?」
「ああ、なんでもない」
「ところで、お兄さんのその髪の毛、珍しい色をしていますなあ」
行商人は横目でルシウムを見ながらそう言った。
「んまあ、よく言われるよ」
「まるで、緋の勇者様を思い起こさせるような綺麗な緋色ですな」
緋の勇者。戦争終結から10年後、そして現在から10年前に不慮の事故で亡くなったとされている、この世界の英雄だ。
特徴的な緋色の髪と琥珀色の瞳をした、凛々しくて美しい女性だったそうだ。
「なあ、勇者ってそんなに偉いのか?」
「そりゃあそうですよ。なんてったってこの世界の英雄なんですから。今の平和を作ったのも勇者様のおかげなんです」
「へぇ......」
――本当に平和なんだったら、野盗に襲われたりしないと思うんだけどな。
この世界の平和は仮初のものであるとルシウムは強く思っている。
10年前の悲劇、当時8歳だったルシウムにはあまりにも残酷で、今でも彼の脳裏にはっきりと焼き付いている悲惨すぎた事件。
そしてルシウムが旅に出るきっかけともなった出来事だ。
「お、見えてきましたよ」
そんなルシウムの心情とは裏腹に、明るく声を掛けてきた行商人。
行商人の声に反応し、ルシウムは荷台を覆っている幌の隙間から顔を覗かせると、
少し遠くの方に大きい外壁が見えてきた。
「王都ベルホルン、どんな街なんだろう」
新しい街への訪問に少し心を躍らせるルシウムなのであった。